第12話 転生六日目 2

「陸軍参謀総長リュカ・カラヴィ閣下がいらっしゃいました。」


 レオナールとアラン、シルヴァンが目を見合わせる。


「通せ。」


 従者の短い返事の後、扉が開いて、リュカが入ってきた。兵士が王へ行う礼をすると、レオナールが少し笑った。


「リュカ、俺がそういう堅苦しいの嫌いなの知ってるだろう。嫌がらせか。お前だって国が変われば傅かれる立場の癖して。」


 リュカの特徴的なはにかむような笑顔を見せ、そうだ、と話し始める。


「さっき、リナがシルヴァンに会いたいって軍へ来たんだ。なんだか、リナには珍しく慌てているみたいだったから、気になって。」


 三人がまた見合わせる。


「多分、リオ嬢から洗礼式の話を聞いたんだ。トシコ嬢は間違いなく白の魔力だったから、やはり、救世主はトシコ嬢ではなく、リオ嬢の方だ。しかも、魔力は最上級。今まで伝説としては伝わっていたが、存在として現れた事のなかった、虹の魔力。神に次ぐ魔力の持ち主。Irisだ。」

「虹の女神?」

「あぁ。王都の泉の伝説にもある。イリスは心根の美しい少女で、神からの愛を一身に受けたが、神からの愛は重く、それから逃れるために地上に降りた。それでも神は彼女を諦められず、泉を作りそこから虹を架けて、イリスがいつでも帰って来られるようにした。」

「それで、あの泉にはイリスが残していった沢山の精霊が居て、洗礼を受ける場所になったって話だよね。伝説でしょ?」

「あぁ。今までは。伝説としては語られていたが、存在を確認した記録はない。」

「それが、どうして急にリオ嬢になっちゃったの?」


 リュカは、話の脈略がつかめず、三人に聞く。


「レオナールは洗礼式の覗き見をしたんだよ。」


 アランがからかうように言う。


「それで、我こそは救世主と言っていたトシコ嬢は白の魔力だった。次に行ったリオ嬢の時、色とりどりの精霊が現れて見た事がないほどに光が溢れていて、輝いていたんだって。」

「神殿の泉に潜り込んだの?」

「巷の洗礼じゃ、泉の周りに沢山他人がいて、足浸けて帰るだけだって、シルヴァンが前に言ってたから。他人がいても滞りなく洗礼できるだろうと思ったんだよ。」


 三人は呆れたように、ため息をつく。


「リナもリオ嬢の話を聞いて、伝説を思い出したんだろう。あいつ、ガキの時、イリスのおとぎ話が大好きだったから。」

「えっ。リナが?」


 三人がシルヴァンの方を見る。


「あいつだって、可愛らしい所もあるんだよ。ただ、腕っ節が良すぎるだけで。」


 学院の頃、剣の実技で女生徒は皆、形だけ受けていた授業をリナは率先してやり、最終的にはアランと互角に戦うほどの腕前になった。魔力も強いので、学院卒業後は軍からの勧誘もあったほどだった。


「リュカ。リオ嬢の部屋へ行って、リナを呼び出してきてくれ。」

「うん。分かった。」

「アルはシド尊者とアニアを呼んできてくれ。」

「分かった。」

 二人が出て行った部屋で、レオナールとシルヴァンは暫く黙った。


「ありがたい事に、トシコ嬢はキレイだったって感想だけを口にしたらしい。それを聞いて、ハワード侯とジェラルド伯は喜んでいたらしい。計測石で魔力を確認することもしなかったみたいだから、それを利用してみるのはどうだろうか。」

「利用する…」

「救世主が現れただけでもこの騒ぎなんだ。もし、伝説の魔力を持つイリスが現れたと知れたら…」

「イリスだと言う事を公にはしないとして、本人にはどうする?」

「それは、さすがに言わないといけないだろうな。」

「白の魔力すら手に入れる事を恐れていた人間にか?」

「あぁ。知らなければ、守る事も出来ないだろう。」

「そうだな。自分自身も周りも守れないな。」

「シルヴァン、シモンも呼んできてくれ。諜報部隊に頼みたいことがある。」

「あぁ。分かった。」



「なんと。救世主はトシコ様ではなく、リオ様だったと?それも、救世主ではなく、まさか、虹の女神様だったとは…。」


 アナスタシアの父で神殿で尊者として働いているシドは驚きを隠せなかった。


「伯父上、この事は暫くここだけの話にして頂きたい。他の尊者へも、もちろんバシュレ公爵へも。よろしいだろうか。」

「あぁ。そんな伝説の力が召喚されたと聞いたら、大騒ぎになってしまう。力の使い方が分からない者が力を持つ事ほど悲劇はないからね。白金の魔力までならば、尊者が束になればどうにか力を抑制することも出来るだろうが、虹の魔力ともなれば神殿が束でかかっても抑制できないかもしれない。リオ様が独り立ち出来るまで、イリス様だという事は秘密にしておいた方が良いだろう。」

「あと、職務上、宰相のクロヴィスと騎士団長のジルベールには報告するが、トシコ嬢の方を救世主として扱うよう指示をする。」

「しかし、陛下。救世主様がトシコ様ではなかったと言う事は、トシコ様が救世主様の仕事をしてしまったら、魔力の使いすぎで体調を崩されてしまうのでは?」

「それは、心配には及びません。」


 彼女は救世主の仕事をしようなどと思ってもいませんからね。レオナールはそう心で呟いた。


「結界についても、今すぐに張り直さなくてはいけないほどの劣化はしていませんし、魔獣の類いも騎士団や国軍で対応できるでしょう。目下の救世主の仕事は人々を安心させる事。救世主の召喚に成功し、この国はより安全になったと、国民に思って貰う事です。」


 報告を聞くところによれば、その役目においてトシコ嬢は適任だろう。着飾り、人々から傅かれる。彼女は役割を十分果たしてくれるだろう。


「まずは、お披露目舞踏会を催します。当日、トシコ嬢のエスコートは私が。リオ嬢のエスコートは…シルヴァンが適任でしょう。」

「いや、俺は…」

「公爵家の人間にエスコートを頼めば、トシコ嬢との無用な対立関係を連想させてしまう。リュカも隣国の公爵家だし、シモンには当日も別任務を任せたい。爵位を持っている人間で適任なのはシルヴァンだけだ。普段、騎士爵のようなものだからと、社交界への出席をしないのだから、こんな時くらいは参加して、俺や招待を断れないアルの気苦労も理解するんだな。」



「洗礼式、お疲れだったね。」


 クロヴィスが、柔和な顔で里桜に話しかける。


「ちょっと、両手を出してみて。」


 素直に里桜が手を出すと、


「物を受け取る時みたいに、手のひらを上にして。」


 それにも素直に従う。クロヴィスがベルベットの袋からポトンと正八面体の物を里桜の手の平にだした。水晶の様な透明の立体はみるみるうちに色とりどりにに光り輝いた。


「わぁ。これです。洗礼式の時もこんな感じでした。」


 里桜は手を自分の目線の高さまで持ってきて、無邪気に話す。その場にいた、クロヴィスもジルベールもリナも声を飲み込んだ。


「初めて見るけど、神秘的だね。女神の色と言われるとそうなんだろうな。」

「青、緑、黄、橙、赤、白、白金。全ての色が出ているな。確かに虹色だ。」

「えっ?これ白じゃないんですか?」

「これはね、白より白金よりも強い、虹の魔力だよ。」

「この国では伝説としては語られていたが、実在した記録はなかった。この世界を作った神に次ぐ魔力を持つ虹の女神Iris。」

「この石は、計測石と言って、触れた者の魔力が可視化出来る石なんだ。我が国の王位は魔力の強さで決まるから、これを使って魔力を測るんだ。」


 クロヴィスが里桜の手から石を取ると、みるみるうちに黄色で塗りつぶしたようになった。


「私の魔力は黄。」

「お嬢ちゃんの魔力は救世主の白金よりも強い虹の魔力と言って、長いゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンの歴史の中でも未だ現れた事がない。建国神話の中にしか居ない伝説の魔力…なんだよな。」


 ジルベールは困ったような顔をして人差し指で軽く頭を掻く。少し前から声を発さなくなった里桜の顔は蒼白している。

 そこへ、一定の距離を置いていたリナが里桜の側で跪き、里桜の手をぎゅっと握った。そして、静かに語りかける。


「リオ様、大丈夫です。私はずっとリオ様のお側にいて、リオ様をお守り致します。まずは、魔力を思い通りに操れるようにする訓練を致しましょう。リオ様の魔力が強い事はもう変える事は出来ませんから。ご自分を守るためにも、まずはそこからでございます。私、リナ・オリヴィエ。これから先、貴方様に誠心誠意お仕えする事をここで改めてお約束致します。私、こう見えて学院生の頃は、幕僚のアラン・バシュレと剣術の授業で互角に戦っていましたの。今も、参謀の兄に稽古をつけて貰う事もあります。リオ様は私がお守りします。リオ様に仇をなす者は、それが兄であっても決して容赦致しません。ですから、ご安心くださいませ。今はまず、訓練でございます。」


 一気にしゃべって、にっこりと笑う顔は、今までで一番綺麗な顔だった。


「それで、これからの事なんだけど。」

「しばらく、お嬢ちゃ・・いや、虹の女神イリス様の存在は世間に伏せておこうと思う。幸い、救世主トシコ嬢の召喚だけでも世間は祝福モードだからな。イリス様はしばらくただの渡り人として扱わせて頂くとする。」

「大結界も今すぐにどうにかなるって程には劣化していないし、魔獣討伐も国軍と騎士団だけでどうにかなっている。今、幸いとして救世主の仕事は、人々に安寧を与える事。それはその存在だけで十分だからね。」



「トシコ様。お披露目の舞踏会でお召しになるドレスは我々が手配させて頂きますので、お好きにお選びください。」

「それに致しましても、舞踏会の招待状を陛下自ら渡しに来られるとは…。」

「我が国にとって救世主の召喚は三百年振りの慶事。舞踏会当日のエスコートをさせて頂きたく、そのお願いも兼ねまして。お願いはやはり、本人が罷り越すのが当然でしょう?それとも、マクシミリアン殿かウィリアム殿のエスコートが既にお決まりでしょうか?」

「いいえ。エスコートして頂く方はまだ、決まっておりません。でも、陛下にエスコートして頂くなんて…恐れ多いです。」

「そんな事はありません。救世主様は王族にも匹敵する尊いお方ですから。」


 マクシミリアンが、肉付きの良い顔を、破顔させて言う。


「救世主トシコ様、陛下のお言葉に従い下さい。」

「わかりました。」


 俯いたまま小さな声で返事する。


「まだ、こちらへ来て間もないのですから、色々と戸惑う事もありますでしょうが、私ハワードとこのジェラルドを信じてぜひ、頼ってください。お力になりますから。」

「ありがとうございます。それでは、僭越ではございますが、陛下にエスコートをお願いしたいと思います。」



「いやです。」

「この事柄について、君に断る権利はないんだよ。」


 溜め息交じりにクロヴィスは言った。里桜は、クロヴィスとジルベールを目の前に小さな声で唸っている。ふと、クロヴィスは昔、飼っていた誰にもなつかない駄犬を思い出していた。


「舞踏会って言う位ですから、踊るんですよね?」

「舞踏だからね。」

「ですね。ヒップホップなら授業でやりました。あと高校はバレエもありました。」


 黙りこくる二人に耐えきれず、里桜は口を開く。


「わかってますよ。ワルツとかに合わせて踊るの。踊らなくちゃダメ?」

「ダメ。」


 ジルベールは笑いを堪えながら答える。昔、母の都合で城下に住んでいた頃近所に住んでいた女の子を思い出す。王子として王宮に暮らすようになって二十年余り。王族としての振る舞いの方が慣れてしまったと、うら悲しさを覚えた。


「としこさんのお披露目ですよね?私は壁の花でも良いんじゃ?」

「それでも、最低でも一曲は踊らないとね。」

「エスコート役はシルヴァンが買って出てくれた。」


 里桜の顔が盛大に歪む。


「シルヴァンはお買い得物件だぞ。今まで、社交界で誰一人エスコートをした事がない。身持ちの良さに加え、学院では隣国の王太子ウルバーノ・ヴェイゼに続く次席で卒業。我が国軍の若き参謀として陛下からも一目置かれているにも係わらず、現在正妻はいない。どうだ!」

「どうだ!って・・・夫にってわけでもないし…しかも、あの見目形。もう目立つ要素しかありません。」

「それなら、大丈夫だ。トシコ嬢のエスコート役は陛下がなさる事になったから。あちらの目立ち具合には適わない。」


 “あぁ。それなら”と短いため息を吐くと、ジルベールとクロヴィスは同じように笑った。


「まぁ。とにかく、今はイリス様の力は公には出来ないから、必要以上に目立つような催しはしないから大丈夫だよ。」

「いや、私の中で、舞踏会は十分すぎるほどの目立つ催しですけどね。他にどんな目立つ催しがあるんですか。」

「イリス様降臨のパレード。」

「うわっ。絶対、絶対にイヤ。それと、所々、イリス様って呼ぶのはやめてくださいませんか?これまでと同じように普通に里桜でお願いします。」

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