平安京エイリアンズ
幾富 累
0 プロローグ-平安京ビギンズ
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西暦七九七(延喜一六)年、
ともあれ、都の中心部にはいくつもの市が立ち、多くの人が集まってきてにぎわいを見せていた。四方の地から仕事を求めて人が流れてきて移り住むようになり、中央を南北に走る幅八十メートルの朱雀大路周辺から東にかけて、粗末な庶民の家が密集するようになっていた。
盆地独特の蒸し暑い新月の深夜のこと、大半の者は眠っていたが、夜遊びをしていた貴族から盗人や物乞いまで、その時戸外にいた都の住人は怪異な現象を目撃した。
夜空の一角に赤い光が現れたかと思うと、直線の轍を引いて動き出した。流星ではない。光は星よりもずっと大きく、移動するとともに雪玉を雪原で転がすように大きくなっていく。
あの火の玉は大きくなっているんじゃない。落ちてくる。地上に迫ってくるんだ。
その通り、宇宙空間から飛来した火球は大気圏を斜めに突っ切り、平安京の西北に位置する
火球が山腹に激突した時の轟音で多くの者が眠りから覚めた。麓の農夫たちは大地の揺れを感じた。羅城門の浮浪児は衝突の瞬間、山が閃光を放つのを見た。見る間に山は煙に包まれていく。
大変だ。愛宕山が燃え上がるぞ。付近の山にも燃え移って、街まで炎に襲われるんじゃないだろうか。浮浪児は戦慄したが、幸いにもそうはならなかった。
一時間ほどで煙は消えた。山全体が燃え上がるようなことは起こらなかった。夜が明け、愛宕山に日が差すと、火球が衝突した箇所は木がなぎ倒され、大きなあざができたように見えた。飛来した火球は粉々に砕け散ったのだろうか。街中からは山肌にそれらしき物の影は見えなかった。
翌日は宮中も市中も愛宕山に落ちた火球の噂で持ちきりだった。
新都に神様が降臨されたとポジティブにとらえる者もいたが、特に宮中ではそれを凶兆と考え、不安を覚える者が多かった。
「この山背の地は呪われているのではないか」
「平安京遷都はやはり間違いだったのだ」
「飢饉や大地震が起らねばよいが……」
帝を前にしてそんなことを口にする公卿はいなかったが、宮中を覆う不安は帝にも十分伝わっていた。
ある日の夕方、気分のすぐれない桓武帝は早くから内裏の夜御殿に籠られていたが、ふと思いついて
すぐにはせ参じた緒嗣を帝は近くに寄せた。
「皆、落ち着かぬようだな。何を恐れておるのか?」
「疑心暗鬼というやつでしょうか。とにかく、何か悪いことが起るのではないかと恐れているだけです。愛宕山のえぐれた所をながめて鬼の顔に見えるなどと申している者もおります」緒嗣は畏れることなく、しっかりと帝の顔を正面から見て答えた。
「平城京の時代を懐かしむ者もおって、それらの者は遷都が間違いだったと思いたいのではないかな」
「そうした公卿もいるかと思います」
「火球が飛来したという記録はわが国にもあるし、大陸にもある。何も凶事など起ってはいない。闇雲に恐れるなどばかげだことだ」
「
「愛宕山がどのような状態になっているのか、実際に見分したものはおるのか?」
緒嗣は頭を振った。「皆、恐れるばかりで、見に行こうとするものなどいないでしょう」
「お前自身が愛宕山に行ってくれぬか?」
「私がですか」
帝はうなずかれた。「そうだ。他の者は信用できぬ。行くのを恐れて、見てきたと言って嘘をつく可能性もあるからな。お前が行って、そこで見たことを率直に私に教えてほしいのだ」
「仰せの通りに」緒嗣は深々と頭を下げた。
翌日、緒嗣は二人の従者を伴って馬に乗り、愛宕山へ向かった。従者の一人は
都を西北から見守る愛宕山は平安京成立以前から修験道の霊場として知られており、山頂には火の神、加具土命(カグツチノカミ)を祀る神社が建てられている。防火をつかさどる神として広く庶民の信仰の対象となってきたのだ。
火事を防ぐ神様の山に火球が落ちて燃えるとは皮肉なことだ、槇瓜は馬の背に揺られながら焼け跡を見て思った。
愛宕山の麓、
「見えてきましたぞ」猿のような身軽さで先を行く槇瓜が叫んだ。
緒嗣は肩で息をしながら彼の指さす方向を見た。
そこには樹がなかった。
近づいていくとわかったが、若干なだらかな斜面のかなり広い面積にわたって樹は全てなぎ倒されていた。枝葉が焼け焦げている樹も多い。
三人は手分けして焼け跡を検分して回った。目立つのは一面に散らばっている黒い鉄のかけらである。ほとんどは小石ほどの大きさだが、中には人の体より大きいものもある。何かが割れて砕け散ったようだ。おそらく、これが落ちた火球の正体なのだろう。
生き物がいる気配はない。死体も見つからない。愛宕山には常に何人か修験者が籠っているはずだが、落ちてきた火球の餌食になった者はいないだろうか。間近で見た者はいるだろうか。
「緒嗣様」斯渡が下を向いたまま叫んだ。地面に何か見つけたようだ。
緒嗣と槇瓜が近寄ってきて、緒嗣の指さす足元に目をやった。
そこには穴があった。深い縦穴だ。狐か狸、あるいは山犬が掘ったぐらいのサイズで、人間が入っていくには狭すぎる。
三人はひざまずいて穴の中をのぞいた。底は見えない。
斯渡は近くにあった鉄片を落としてみた。瞬く間に鉄片は闇に消える。三人は耳を澄ましたが、何も音は聞こえてこない。
「何でしょうか?」斯渡は二人に尋ねた。
槇瓜は頭を振った。「わしは何度も狩りのお供をして山には詳しいが、こんな穴をこれまで見たことがない」
「自然にできたものとは思えんな」緒嗣が言った。「掘られてからまだあまり時間が経過していないように見える。火球に乗って飛来した何者かが掘ったのではないか」
しかし、それは一体何者なのか。わずか数日の間にこれほど深い穴を掘るとは……。そして何のためにこんなに深い穴を掘る必要があるのか。神か、天狗か、悪鬼か、緒嗣たちの想像の域を超えていて何のイメージも浮かばなかった。
そのほかには目ぼしい発見はなく、緒嗣はいくつかの鉄片を懐に入れて山を降りた。
内裏に上った緒嗣は帝に愛宕山の報告を行った。
緒嗣の持ち帰った鉄片を手に取られた帝は、報告を聴きながら、下を向いて唸られた。
「緒嗣よ、愛宕山で目にしたこと、特にその穴の話は絶対に口外するな。皆の不安をいっそう募らせるだけだ」
「畏まりました」緒嗣は深く頭を下げた。
それから数日間、桓武帝と緒嗣は愛宕山を見るたび、そこから何か出てくるのではないかと不安に駆られたが、何の異変も起らなかった。
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