第2話 竜の勇者、最初の任務【5/6】または「神敵、ブッタデウスの夢」

 夢を、見ていた。

 そう、これは夢だ。かつての。かつて、私が犯した罪の。


 その貴人は、罪を着せられていた。

 ユダヤの王を僭称せんしょうしたと。

 あるいは、人々のために罪を被ったのだともいう。


 茨の冠を被らされ、頭皮からにじんだ血が彼の頬を伝う。


 重い十字架を背負い、ゴルゴダの丘を登る。ゆっくりと。

 じれったい。


 ある者は拝み、あるものはなじる。

 石を投げる者もいた。


 じれったい!!

 このような者が、我らの王などであるものか!!


「おい! 何を休みながら歩いているのか。もっと早く行かぬか!」

 私はその貴人を罵倒すると、彼の頬を左手の甲で叩いた。

 左手の甲と袖口に、貴人の血が付いた。


 その貴人は、はっきりとした憐憫れんびんの目で私を見据えて、こう言った。

「私は、休みながら歩こう。だがそなたは、休まずに歩き続けるがよい」



 妙な説得力を感じ、それ以上何も言えなくなった私は、口元を隠した。

 左手で。貴人の血が付いた左手で。そのとき、もしかしたら貴人の血を口にしてしまったのかもしれない。


 その貴人は、十字架の上で死んだ。

 天幕がけ、神殿に雷が落ちた。

 人々は、彼こそが救世主だった、と語った。自分たちが殺した、その後で。



 かつて負傷し、疲弊した兵士が、その人の手から直接水を飲まされ、助けられたという。

 その兵士は超常的な力を発揮したらしい。


 そのような数々の奇跡を起こした人物だった。

 彼の血を受けた物は聖遺物となり、弟子たちは聖人に列された。


 そんな人物から、私は、直々じきじきに呪われたのだ。


 どんなに疲れても、休むことがかなわない。

 傷つき倒れても、歳を重ねても、決して休息が訪れぬ。

 死という休息が、私を避けていく。

 神の子に呪われたその日から、私は死ねない体になった。


 彷徨さまよえるユダヤ人。

 私はそのように渾名あだなされた。

 神を叩いた者。

 私はそのように呼ばれた。

 ブッタデウスとは、『神を叩く』というような意味だ。

 戒めを込めて、この名を名乗ることにした。



 “お前たちが動物の皮の腰巻を着てイノシシを追いかけていた頃、我々はもう小切手を偽造していた”

 ユダヤには、そんな言い回しがある。

 ユダヤ人の商才を表したものだ。


 死ぬことがなく、いつまでも経験を積み重ね、人脈を使い続けられる。

 私の商才は花開き、いつの世も、常に豪華に、贅沢に暮らした。


 しかし、終わりがなければ、休息がなければ、何もかもがむなしい。

 贅沢は砂の味がした。


 あの方は……私がなじったあの救世主は、三度降臨するという。

 一度の降臨では人として生まれて、処刑されて死んだ。

 その三日後によみがえって、天に昇った。これが二度目の降臨だ。

 そしてもう一度、神の国が開かれるとき、三度目の降臨をなされるのだという。


 そうすれば、私は許されるかもしれない。

 あのお方に直接謝罪し、「あなたと同じように、私も休ませてください」と、お願いするのだ。



 ……ここで、目が覚める。いつものことだ。

 舌の上には、以前口にした、最高級ワインと同じ味が広がっている。

 即ち、忌々しい砂の味だ。

「あなたの血と、同じ味でしたよ」

 絞り出すように、かろうじて独り言をつぶやく。


 愚かな人々は争いを続け、科学技術を磨き、いつまでも憎み合っていた。

 本当に三度目の降臨などあるのか。

 待つだけなら、いつまでも待てるのだが。

 そう思っていた。


 我が身を襲った誤算は、もといた世界から飛ばされ、こんな場所異世界に来てしまったことだ。

 アインシュタイン理学研究所が行っていた粒子加速器サイクロトロンの暴走に巻き込まれ、粒子レベルで次元を超えてしまったのだ。


 待つだけは、もう飽きた。

 この世界に、「私を許してくれる救世主」を降臨させるのだ。

 いないならば、作ればいい。


 幸いにも、あの貴人の血がついた袖口は、ずっと大切に保管している。

 不思議なことに、今もまだ、その血は乾ききっていない。



「ブッタデウス様。会談の準備が整っております。出発のお時間です」

「シモン・ペテロ様はすでにご準備を整えて、広間でお待ちです」

 派閥の配下が、部屋の前で声をかける。


 敵対派閥の長である大司祭が、新たな『竜の勇者』を召喚したのだという。


「せいぜい、使える勇者様であることを祈っているよ」

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