第3話

 マリアンナは隠れて必死に貯めたお金を握りしめて糸と布、魔石を買った。

 私営図書館の閉架書庫からこっそり持ち出した本を頼りにまじないを施し、魔石を守袋に入れた。それから、羞恥に震えながら、ハサミを当て、切り取ったそれを入れ、守袋を封じた。


 当日はサンドウィッチを沢山作った。兵士たちの士気を高めるために配るのだと妹が言っていた。大量に作りはしたが全員を賄える量ではない。ジルベールにも食べてもらいたい。マリアンナはこっそりと何とか1人分を確保した。

 それを丁寧に包んで図書館で待った。


 ジルベールは黒い軍服を着てきた。

 少し離れた位置で立ち止まったジルベールをマリアンナは隠し持っていた眼鏡をかけて、隅から隅まで見る。

 「そんなにめいっぱい見られると恥ずかしいな」

 「1年も会えなくなるかもしれないからめいっぱい見ておかないと。旦那さんの顔を忘れるなんておかしいでしょ?」

 マリアンナがそう返した瞬間、駆け寄ってきたジルベールに抱きすくめられた。

 「うん、うん、待っててね、僕の奥さん!!」


 しばらくそのまま抱きしめ合い、落ち着いてからベンチに腰掛けた。

 「これはね、お昼に食べて欲しいの」

 差し出したサンドウィッチにジルベールは目を輝かせた。

 「嬉しいな、君の手料理をやっと食べられるんだね」

 「帰ってきたら毎日いっぱい食べさせてあげます」

 一つ一つ、帰ってきたらの約束を重ねていく。

 そして守袋を渡した。

 「これは?」

 「あ、あの、妻の守袋、です……」

 そう答えた瞬間、ジルベールの視線がマリアンナの下半身に向かった。

 「え、えっち!!」

 「いや、だって!今のはしょうがないよ!!」

 妻の守袋とは、三日履き続けた下着に切り取った下の毛を包んだ御守りで、夫の無事を祈ると共に浮気心を封じるためのものである。夫が夜にそれを使い自分を慰めるための存在価値のほうが御守りとしてより高いのは言うまでもない。

 「あ、あの、中に……」

 マリアンナが恥ずかしげに言い淀む。

 「な、中に……」

 (マリーがより恥ずかしがるような何かが入っているのか?)

 ジルベールがゴクリと喉を鳴らした。

 「魔石の御守りも入っているので、絶対に開けちゃダメですよ」

 妻の守袋は匂いが薄れてくると袋を開けてしまう夫も多い。しかし、通常の御守りは封を開けると効力が無くなると言われているので、最近の"小賢しい"妻たちは無病息災の魔石とともに封じるようになった。

 「あぁ、そうですか……わかりました」

 「なんか今、ガッカリしませんでした?」

 「いやいや、そんなことないよ!」

 「何が入ってると思ったんですか?」

 「もうそこ突っ込まないで!!」

 ジルベールが羞恥を隠すように両手で顔を覆った。

 手に持っていた妻の守袋からふわりと嗅ぎ慣れない匂いがした。血が滾りそうになり慌てて顔から離す。

 (この匂いが消えないように箱に入れて置くべきか……)

 ジルベールがそう思案していると、見透かしたようにマリアンナが「ちゃんと胸ポケットに入れていてくださいね」と釘を指した。

 「は、はい」

 どうやら将来ジルベールはマリアンナの尻に敷かれそうだ。


 「それじゃ、これは僕から」

 ジルベールが二枚の紙と一つの鍵をマリアンナに渡した。

 一枚目の紙にはお店の名前がいくつか書かれている。

 「これは、花嫁衣裳の材料のお店。生地とか糸とかは僕の家で指定されてるやつを使ってもらわないといけないから、受け取ってね。それ以外につけたい装飾があればなんでもお店の人に相談して。デザインも、ごめんね、決まった型があるからあんまり自由には出来ないけど、やっていい部分は好きにしていいって母も言ってたから。デザイン画とか型紙もお店に置いてもらったからね」

 花嫁衣装は花嫁が自ら作ると幸せになれると言われている。手伝っていいのは既婚女性だけで、素材の時点から未婚の女は絶対に触れてはいけないと言われていた。

 「それで、こっちがレースの図案ね、多分僕の母と二人で作ることになるだろうから、ちょっと大変だと思う……ごめんね」

 花嫁の頭上を飾るベールは婚礼の日の花婿以外、花嫁と母親と花婿の母親、祖母たちしか触れてはいけないことになっている。五人掛りで作るのと二人だけで作るのではかなり制作期間に差が出る。ベールは代々家に入った女たちが決して夫と別れることなく生を全うした場合しか受け継がれない。

 「でも、うちのベールは受け継がれてきたから、そこまで多く作らなくて済むと思う。既に結構なロングベールだから、君が作るのは面の部分かな。母が作った面の部分の接続部分?を一度解いて後ろに付け足すんだって言ってた。えっと、こっちが面にするための図案で、こっちが母が昔編んだのを後ろに付け足した時に、そのサイドが変にならないように付け足すための図案だったかな?本当なら付け足す分は母親と祖母達で編むらしいんだけど今回は母一人だから、手が早いなら手伝ってくれるかしら?っていってたな……あ!けど、一からよりかは、分量少ないはずだから!!」

 顔が固まって行ったのが分かったのか、取り繕うようにジルベールが言った。

 「それで、これが衣装をつくるためのお家の鍵。ほら、君の家で作るのは、きっと大変でしょう?」

 そっとマリアンナの手に鍵を握らせる。

 「母も、祖母も使った我が家の隠れ家。まぁ、隠れ家と言っても、場所は知れ渡っているんだけどね。入っていいのは直系の妻のみの特別な場所だよ。子供だって入れないんだから」

 それはとても特別な鍵だった。

 「今この鍵を持っているのは、君と、僕の母だけ。残念ながらお祖母様は亡くなってしまっているからね」

 「ジルの、お母様……」

 「そう。母は毎日昼過ぎに花嫁衣裳とレースを編みに来るって」

 「お母様が、きて……くださる……」

 「言ったでしょう?父も、母も、君を認めているって」

 ジルベールがマリアンナの左頬を優しく包み、右耳にそっと唇を寄せた。

 「一緒に、幸せになろうね」

 言わずとも全てをわかってくれている、マリアンナはジルベールと出会えたことを、神に感謝した。



 「ねぇ、ギルバート、ほら、これ、私が作ったの、食べてみて?」

 漆黒の髪に真紅の目をした黒衣の男に、リアンがバスケットを差し出す。

 中に詰められたサンドウィッチを一瞥して、男は口角を薄く持ち上げた。

 「気持ちはいただくよ、シンリーン嬢。残念だけど昼食は既に頂いていてね。それはさっき配っていたのと一緒に今回の旅路に着いてきてくれる兵士たちに上げてくれるかな」

 「でもこれはあなたのために作ったのよ?お願い」

 ギルバートと呼ばれた男は目を細めた。妖精たちが首を横に振っている。それでなくても、出立前に愛する彼女に無理を言ってアーンをしてもらっていたのだ。誰が作ったものかは知っている。

 彼女の手作りである。もちろん食べたい。しかしリアンが、リアンが作ったものと公言している以上それを食べることは出来なかった。

 「済まないね。これ以上口に入れては馬車の揺れで胃を揺さぶられ無様を晒しかねない。私ではなく、アルが食べては?」

 そっと隣りに座っていた魔術師に差し向けると、アルバートも首を横に振った。

 『馬鹿を言わないでください!妖精が首を横に振った食べ物を食べるわけが無いでしょう!』

 テレパシーで直接脳に話しかけられ、ギルバートは眉根を寄せた。

 『僕だって食べたくない。とりあえず君が受け取って後で事情を知らない者に知らせずに食べてもらおう。そうすれば妖精の悲しみに触れることもないだろう?』

 『……そうするしかないですかね……はぁ』

 アルバートは器用にテレパシーのみでため息をつくと、無言でリアンからバスケットを受け取り、脇に置いた。

 「あっ、ギルバートに食べて欲しいのに……」

 「アンナマリア様、王太子殿下を呼び捨てにしてはなりません」

 馬車に同乗し、成り行きを見守っていたリアンの教育係が口を挟んだ。

 「なによ、別にいいじゃない。ね、ギルバート?」

 甘えた声だ。ギルバートはうんざりしてそっとため息をついた。

 (初めは見間違えるほどと思ったが、知れば知るほど違う顔だ。同じ造形のはずなのに可愛いとすら思えない)

 「シンリーン嬢、私たちが礼儀を疎かにしては部下たちに示しがつかないと何度もお話したはずです」

 「でも……」

 ギルバートにはリアンが言葉にしない言葉が、予想できた。

 『どうせ私たち結婚するじゃない』

 聞こえずとも顔に書いてある。

 本来、予言は知らぬはずのリアンが、予言を知っている事実に眉を顰める。

 「とにかく、今後貴族として、上に立つものとして、礼儀を重んじてください」

 そうね、王妃になるんだもの!と顔が言っているのをギルバートは見てとった。

 この旅路が苦行に満ちたものになりそうだとため息をついた。


 軍行を停め休憩中、ギルバートは懐から守袋を取り出した。

 「アルベー……ト、これにかかっている保護が何かわかるか?」

 「ボク、そんな名前じゃ無いけどね」

 「すまない、うっかりしたんだ」

 「いいよ、別に。で、その御守り?んー、見た感じ無病息災だけかな?それ、例の彼女から?」

 アルバートが聞いた途端、ギルバートの顔が緩んだ。

 「あぁ、そうなんだ」

 あまり人目に触れさせたくないのだろう、効果が分かるとすぐに懐にしまい込んだ。

 ギルバートが御守りの効果を聞いたのには訳がある。

 そして、アルバートもその訳を察していた。アルバートは、ギルバートの胃の腑を見つめ、そっと目を閉じた。

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