愛の囁き
あの後、すぐに俺は夜と別れた。
正直家に帰った今となっても、夜との新しい関係が始まることに実感はない。でも別れ際に見せてくれた寂しそうな表情は……うん、とても愛おしく思えてこれが所謂恋みたいなもんなのかなとも思えた。
「母さん」
「どうしたの?」
「夜と……付き合うことになったわ」
「そう、それじゃあまた連れてきてね? たくさんお話したいし♪」
……やっぱり母さんは母さんだな。
夜の方もおじさんとおばさんに話すって言ってたし、いずれまたあっちに行って俺も話をしないといけない。
「……ふぅ」
まさか人生初めての彼女が元々男だった夜とはな……少し複雑に思いながらも後悔はしていない。俺はもう彼を……否、彼女と一緒に居たいと思ったのだからその気持ちに従うまでだ。
「母さん、風呂入るよ?」
「えぇ。どうぞ行ってらっしゃい」
明日に向けて一抹の不安はもちろんあるものの、それ以上に夜との日々が新しいものに生まれ変わる期待感に俺はワクワクしていた。
そんな風に勇樹が新しい日常に胸を躍らせている中、夜は彼以上に今を素晴らしいものだと実感していた。ずっと一緒だった親友、傍に居てくれると真剣に語ってくれた勇樹のことを夜は本当に愛してしまっていた。
「……はぁ……勇樹……好きぃ……好きなんだよぉ♪」
男の時では考えられないほどに甘い声が漏れて出る。
勇樹と別れた後、すぐに夜は家に帰った。そして両親に勇樹と付き合うことになったことを伝えると、一瞬目を丸くしていたが既に夜が女であることを複雑に思いながらも受け入れた彼らは安心したように息を吐いていた。
男から女に、その変化は本人にしか分からない。だからこそ苦しみを真に理解することは出来ない、それがたとえ夜を生んだ両親だとしてもだ。しかしそんな夜の心の支えとなる存在、しかも一番心に寄り添える恋人という存在の誕生は本当に嬉しいことだった。
「……勇樹、今何してんのかなぁ」
帰ってからずっと、お風呂に入ってから夕飯の時もずっとそうだ。夜は勇樹のことしか頭になかった。今何をしているのか、どんな風に過ごしているのか、夜のことを少しでも考えてくれているのか……それなら嬉しいなと頬が緩む。
「……もしかしたら、このTS病もオレと勇樹を繋ぐ神様の贈り物なのかな?」
もはや自身に起きた病すらプラスのモノへと変換されていた。
あの時感じた絶望はない、あの時感じた苦しみは一切ない。今夜の中にあるのは愛する男と繋いでくれた幸福な運命への感謝だった。
「……くそっ♪ こんな風になって……勇樹のことを考えるといやらしくなりすぎだろオレの体♪」
ダメなことのはずなのにドキドキが収まらない。
夜は実感していた――気持ちだけでなく、体すらも勇樹を求めていることに。もっと深い繋がりが欲しい、でも流石に勇樹に悪いと最後の理性が踏み止まらせる。しかしこの昂った気持ちを発散させる方法を夜は知っている。
「……いつか勇樹にあげたい……オレの全部……絶対にもらってもらうからな?」
部屋の鍵を閉め、毛布を被って外に声が漏れないように心掛けながら今日も夜は体を慰める。ただ一心に愛する男のことを思い浮かべながら、彼女は今日もまた彼への愛を囁いて眠りに就くのだ。
よく、精神は体に引っ張られるという言葉がある。
今の夜は正にそれだった。体が女になったことで、男の時に抱いていた勇樹への友情は全く別のモノ、つまり愛情へと変化したのだ。ただでさえ大きかった友情はとてつもなく大きく、とてつもなく重い愛へと変化した。
だが、それもおかしな話ではない。
ただでさえ心が弱り切っていた時、勇樹の言葉は夜を救った。暗闇の中に一筋の光明どころではない、彼の言葉は夜を閉じ込めようとした絶望を振り払ったのだ。
『男も女も変わらねえよ』
『俺がずっと傍に居てやる』
『俺はお前の親友だからな♪』
その時から気になっていたが、それでもやはり元々自分が男だったから、勇樹の親友だから、そんな気持ちが夜を押し留めていた。しかし、勇樹が女である夜を受け入れたことでその防波堤はたやすく決壊したようなものだ。
もはや夜を止めるものは何もない、防波堤を過ぎた波が残酷に全てを飲み込むようにもう彼女の愛は止まらない。
「勇樹ぃ……勇樹ぃ♪」
恐ろしくも柔らかいそれを揉む手は止まらない、まだ本当の意味で男を知らない秘境を広げる指は止まらない、そんな夜が想うのは勇樹という男ただ一人だ。
「……えへへ……あははは♪」
夜の内側に多くの感情が螺旋を描くように交差する。
勇樹の親友として彼をずっと助けていきたい、彼の彼女として身も心も支えていきたい、彼の女としてどこまでも愛されたい……彼に選ばれた女として、彼を絶対に裏切らない深い愛を囁きたい。
彼と共に、深淵に深く沈むほどの愛に溺れていきたい……それが夜の願いだった。
この日、確かに全てが変わった。
一人の男は気持ちを自覚し、一人の元男は真に女として生まれ変わった。
訪れる新しい日常にお互いドキドキしつつ、彼と彼女は抜け出せない愛の迷路への片道切符を手にするのだった。
「おはよう勇樹♪」
「……夜?」
朝の目覚めはまず、お互いに彼氏と彼女の顔を見ることから始まる。
まだ目を覚ましたばかりで頭が上手く働いていない勇樹の様子、目を擦る様子を愛おしく思いながら夜は呟いた。
「全部オレだけのモノだ……オレも、お前だけのモノだからな♪」
目覚めの言葉は、そんな愛の囁きだった。
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