nannkakakuyo

古宮半月

からす がいないまち

 ここK町は、『からす』がここ数年、一切姿を見せないという。

しかし、町側が特別に対策を行った結果というわけではないらしい。町民が自主的に対策を強化したといったふうでもなく。さらには、からすによる被害がニュースで大きく取り上げられていても、町民はこの町に被害が出るだなんて微塵も考えないそうだ。では、なぜ、こんなにもからすに無関心ともいえる町から、からすが出なくなったか?

 それは、からすの方がこの町に入りたがらないから、だそうだ。

***

 とある古民家を前に、一匹のからすが外から中の気配を探るように家の前を右往左往している。少し離れた電柱にはもう一匹の、おそらく右往左往するからすの仲間であろう、からすが居る。田舎の端にある廃れた路地は、道路に電柱に塀に、すべて灰色な背景であり、黒い二羽がよく目立つ。

 家の前で相変わらずうろうろしていた黒いからす。そいつはとうとう意を決し、玄関の扉まで来ると、器用にその扉を開けて中へするりと入っていった。

 もう一匹は、後に続くこともなく外に居続け、足を見たり、空を見たり、その思考はよく分からない。

 

 中に入ると玄関からまっすぐに伸びた廊下があった。ウナギの寝床というやつだろうか。ここは入り組んだ道路に挟まれた狭い場所に建てられているので、それが原因でこの構造になったのかもしれない。

 からすは耳をすまし、右、左、と辺りを伺う。どうやら人の気配はなさそうだ。

 廊下は電気もついておらず、陽の光も入らないようでかなり薄暗い。からすは目をぱちぱちしながら暗いなか、視線を巡らせる。目の前、右側にわずかに開きかけたドアを発見した。

きィぎし、と床がきしむ音がした。からすが一歩踏み出すと、わずかな体重移動でも腐りかけの床板が音を立てるのだ。

 開きかけのドアの隙間から中を覗いてみると、カビがはえた白いタイルの壁が見えた。

さらにドアを開く。ぎい、こちらも取り付けられてからの年月を思わせるように音を立てる。

 そこには、こじんまりとした浴槽があった。

壁に埋め込まれた小窓から、ちょうどほの明るく夕陽が差し込んでいる。静寂、そして夕陽の深紅と陰影の黒から成るコントラスト。それらがなんとも不気味な雰囲気をそこにつくり出している。

 

 そのとき、からすの嗅覚がかすかな異臭をとらえた。

どうやら異臭は、廊下を進んだ先から流れてきているようだ。


 からすは、好奇心が強いようで、異臭をたどって廊下の奥へ向かっていった。

 変わらず廊下は暗いままで、からすの足が床を踏むたびにきしむ木材の乾いた悲鳴が聞こえるのみだった。

 だったはずが、数メートル進んだところで突然、背後で大きな音がした。ドアが強く閉められた音だった。

からすが飛び上がり振り返ると、先ほど覗いた浴槽がある小部屋のドアが閉まっていた。


 からすは鳥肌が立った。

 しかし、なお好奇心が勝っていた彼は奥へ進んでいく。

 

***

 一方、外で待機していたもう一匹のからす。

 全身が黒で染め上げられている彼の足元からは、同じく真っ黒の兄弟が太陽に背を向けて、地面に長く伸びている。

 彼がこくりこくりと首で舟をこいでいると、

 「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ」と大きな鳴き声が聞こえた。

 瞬間、その声に目を覚まし、すぐさま家に向かって走った。


 閉まっていた玄関の引き戸を少し開けて、すぐにその異様な空気感を肌に感じた。嗅覚では、嫌悪感のある異臭を捉えている。

 やや埃っぽい空間は黒で塗りつぶされつつある。

 前方には長い廊下が続いている。その、奥の方から呻くようなかすかな断末魔が聞こえた。

からすは三呼吸ほど間があってから、一歩踏み出した。歩みを進めるたびに、ぎいぃ、と床板が軋む音が断末魔と共鳴している。近づくほど断末魔は大きくなる、はずがむしろ今にも消えてしまいそうなほどの微音となっている。そして、異臭はどんどん強烈になる。

 とうとう最奥まで来ると、嘔吐感を催すほどの異臭に、からすは一瞬くらっとする。かぶりを振ってその異常性を無理に否定しながら、倒れるのは回避した。


 廊下の行き止まりには半開きの扉があった。わずかにこちらに開かれた状態の扉。

その隙間から異臭が流れ出ている。断末魔はもうない。

 からすが隙間から中を覗き込むと、より一層の黒い空間があった。目を凝らそうと前傾姿勢になると、黒い空間に引きずり込まれる感覚に襲われた。それに抗おうと身を引こうとした瞬間に、重力の方向が変わったかのように引き込まれる感覚は一層強まった。

 からすはそのまま黒の中に落ちていった。

 からすの鳴き声が黒の中から響いた。


***

 

 


 日は完全に落ちて、辺りはすっかり暗くなった。

 暗闇に溶け込むように、上下黒のジャージ姿に黒い帽子を被った男が家の前に現れた。

 男は入り口まで来ると、一度周囲を警戒するように視線を巡らせてから、玄関の戸に手をかけた。引き戸はスライドせずに、男の手がつっかえた。

「なんだあいつら、ご丁寧に内鍵かけてから漁ってんのか」

 独り言をこぼしながら、両ポケットから小さな工具とこれまた小さなライトを取り出して、慣れた手つき鍵を開けた。

 工具はしまい、ライトの光を片手に戸を開けると、不快な匂いが鼻を突いた。アンモニア臭と錆びた鉄のにおいが混じったような湿っぽい空気が長い廊下を満たしている。

「うっ、なんだこのニオイ。ホトケさんでも放置されてんのか?」

 男は顔をしかめながらも、土足で上がり込み、廊下をずかずかと進んでいく。

「オーイ、遅ぇから迎えに来たぞ。......ここか?」

 右手に見えたドアを開けて、中をライトで照らした。しかし、そこにあるのはカビだらけの浴槽だった。

 若干の静寂を過ごしてから、男はこの状況を訝しんだ。ドアを閉めて、廊下の奥をライトで照らす。最奥に少し開いたドアが見える。中は良く見えないが、人の気配があるようでもない。

「まさか、嵌められた......?いや、にしてもサツの姿さえ見当たらねえ。あの奥の部屋だけ確認してずらかるのが無難か」

 ぎしぎしと床板を鳴らしながら、奥へ奥へ進んでいく。それにつれて不快な刺激臭も強まっていく。

 とうとう、ドアの前まで来ると、強いにおいに嘔吐感がこみあげてくるが、男は唾と一緒に飲み込んだ。

 ライトで照らしながらドアの隙間を覗き込んだ瞬間、男はその異様な空間に目を見張った。


 ドアの向こうにあったのは部屋というには狭く、奥行きは2m程しかない物置のような空間であった。しかし、床は目測できないほど深く、底の見えない四角い領域に足元40cmの高さまで死体が積み上げられている物置部屋はそうないだろう。上に重ねられている2つの死体には見覚えがあった。というより、ついさっきまで探していた人物だったモノだ。死体の何箇所からか長く伸びた太い針が突き出ている。おそらく床底から上向きに何本も生えているのだろう。


「これは、関わっちゃいけねえ類のやつだなぁ」


 男はそろりと片足を引こうとすると、突然、床板が奥側に傾き姿勢を崩しそうになったが、なんとかドア枠の縁を掴み死体の山の嵩増しになることは免れた。

 男は深呼吸してから振り返り、一息に玄関まで走り抜けた。

 玄関の戸はなぜか閉まっており鍵までかかっていたが、丁寧に工具で開け、外に出ると思い出したかのように荒い呼吸を再開し、振り返ることもなくそのまま家を離れた。

 

 ***


その男から仲間に、さらに別の仲間に情報はめぐっていき、この家、このK町に『空巣』が寄り付くことはなくなった。

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