ルチカとフィロの不思議薬売り手帖

@sono0327

第1話 薬売り姉弟ルチカとフィロ

 私の弟は血のように赤い花に半分だけ、喰われている。半分、だから死んでいない。共存し、飼いならしている。だけど、その花、『水晶血丹』はふとした瞬間に、私の前ににゅっと顔をのぞかせる。まるで、忘れるな、お前の弟は私のものだ、と言わんばかりに。我々の関係は友好的だ、表面上は。

 いつかお前のような雑草はひっこ抜いてやるからな。そんな敵意は甘い砂糖で塗り固めたまま、二年の月日が過ぎた。


 弟は今日も呑気そうな声で私を呼ぶ。「ル―」と。かつて、弟は私のことを「姉さん」と呼んでいた。そのことを彼は今、すっかり忘れている。


「ルー、笛吹いて」

 弟のフィロの要求に応えて、私はルギという草の笛を取り出し、ピーっと音を響かせた。

 私の名前は、ルチカ・ミラン。弟のフィロ・ミランは、私のことを『ル―』と呼ぶ。息の強弱や頬の空気の入れ方で音階をつけていく。吹くのは『春の風』という、新たな門出を祝福する気持ちが明るくなる曲だ。

 傍らで、飼い犬のロニが笛の音に呼応するように、遠吠えのような鳴き声を出した。ロニは白いむくむくとした毛の中型犬で、人懐こい性格だ。角犬という犬種で、見た目ではわかりにくいが、額に親指大の小さな角が生えている。その白い角は白い毛とほとんど同化しているため、ロニが角が生えている珍しい犬であるとはほとんど気づかれることはない。

 『春の風』は明るい曲が好きなロニのお気に入りだ。

「ルー、ロニより下手になってない?」

「うるさい」

 私たちは姉弟で薬の行商をしている薬売りだ。次の行商の目的地であるレオル村まであと少し。こういう時は、期待よりもまず不安が勝るものだから、意図的に気持ちを上げる努力が必要だ。


「昨日は木の上でおとといは洞穴で寝たから、今日こそ屋根のあるところで寝たいね」

「俺は今日こそ肉、食いたい。保存食、飽きた」


 遠くで馬の悲鳴が聞こえた。そして、どんどん近づいてくる蹄の音。そして、高いがか細い、おそらく子供の悲鳴が届いた。


 私たちは顔を見合わせて、走り出していた。


 一頭の暴れ馬がこちらに向かってきていた。馬上に何か塊がしがみついているのが確認できた。やっぱり、子供。やばいな。そう思った次の瞬間、地面を蹴り、宙を舞い、馬の顔の前にマントを広げた。

 驚いた馬は、一瞬、動きを止め、そのすきに、私は馬上の少年を抱き上げ、地面に下ろした。


 惚けた様子の馬に駆け寄るフィロの腕から、赤い光がかすかに光り、蔦のようなものが伸びる。

 私はそっと少年の目を手でふさいだ。『それ』を見るのは久しぶりだった。恐ろしい異形のものではあるが、『それ』に私は、これまで何度も窮地を救われてきた。

 蔦が伸びて、私のマントを頭からかぶった馬の全身を縛りあげる。馬は一瞬、全身をびくっとさせたが、この得体の知れない『それ』への恐怖で全身を硬直させたのが分かった。


 私は少年から手を放して、小瓶を取り出し、小瓶の蓋をとって、フィロの手元に向かって投げた。

フィロは瓶の中身をマントの下に振りかけた。マントの下の馬は一瞬びくついたが、やがて、意識を失った。これで大丈夫だ。私は思い切り飛んだ時に落ちた帽子を拾ってかぶりなおした。


「おい大丈夫か」

 馬を追いかけてきたのだろう。目的地の村人であろう男女が駆け寄ってきた。

 村の人たちは、呆気に取られた様子で、つい先ほどまで暴れていた、今は眠りについている馬と私とフィロを見比べていた。私は抱きかかえている少年を地面に下ろし、村の人たちに笑いかけた。

「今、馬にかがせたのは、眠り薬です。しばらくしたら、目を覚まします」

 村の人たちは、大人の男でも手に余る暴れ馬を瞬く間に眠らせた私とフィロをまるで、未知の動物でも見るような目で見つめている。

「あんたたち、一体何者だい?」

 小柄なおばあさんが、問いかけた。


 大立ち回りをしてしまったので、慌てて乱れた着衣を整える。

 私の恰好は芥子色のマント、その下には動きやすいうすい革製の茶色の上着とズボンを合わせて、こげ茶色の編み上げの長靴。それにマントと同じ芥子色をした帽子。

 フィロはでこぼこの形の悪いじゃがいも帽子だと悪口をいうが、私のお気に入りだ。

 この帽子は生地が丈夫で、ケガの予防になるし、私の金色のみつあみを押し込むのに便利だと母がつくってくれたものなのだ。


 弟のフィロは、私と同じくらいの背丈で、髪の色は真っ黒で、羽織っているマントも長靴も黒い。 同系色の革製の上着にズボン。私とは違い、帽子の代わりにターバンのような布を頭に巻いている。髪の色は違うが、私たちは顔立ちがそっくりだと言われる。特に紺に近い青い瞳が酷似しているのだそうだ。


 それに、もこもこした白い犬のロニがフィロの番犬といった風情で鎮座している。ちなみにロニは先ほどの馬の騒動は我関せず、といった具合に静観していた。まあ、ロニがいても役に立つようなことは何もなかったのだから、全く構わないが涼しい顔をしているのは、何となくむかついた。


 見知らぬ大人たちにおびえているフィロの首根っこをつかみ、一緒に頭を下げた。

「私の名はルチカ・ミラン。こっちは弟のフィロ・ミランです。私たち、薬の行商をしております」

「あんたたち、だけかい?」

 村の人たちは、互いに目配せをしている。こんな得体の知れない若造を村に入れていいんだろうか。どの顔もそう言っている。


 何から説明しようか。私が口を開こうとした時、

 暴れ馬に乗っていた少年が、恐る恐るといった様子ではあるが、私とフィロに向かって笑いかけてくれた。

「ありがとう、助けてくれて」

「どういたしまして」私はほっとして、笑顔を返した。

「僕の名前はロステム。よろしく」

「よろしく。私はルチカ。こっちは弟のフィロです」

 ロステムにつられて、周りの村人たちの空気がほどけるのが分かった。

「とりあえず、話を聞かせておくれ」

「ありがとうございます」

 とりあえず、村には入れてくれるみたいだ。もさっとしているフィロにこっそり、『やったぜ』とサインを送った。フィロはちっとも嬉しそうじゃなく、もさっとしたままだったが。反対にロニは嬉しそうに、ぶんぶんしっぽを振っている。すでに、何人かの子供たちに囲まれて、ご満悦だ。

 さきほどのおばあさんがにこやかに声をかけてくれた。

「それにしても、若い男の子二人なんて珍しいねえ。行商の人は大抵、師匠のおじさんと弟子の若い子の組み合わせだから」

「違うよ、ルチカさんは女の子だよ、みつあみしてたもん」

「え?」

 おばあさんは村の人たちは驚いたように顔を見合わせた。

「ごめんなさいね、てっきり」

「いいえ、お気になさらず」

 少年と間違われることは、むしろ私にとってはしてやったりだ。ただでさえ、子供二人の行商人というのは、賊に狙われやすい。行商人は、高価な品物やまとまった金を所持していることが多いからだ。

 その上、女だと分かれば、最悪、身ぐるみはがされた挙げ句、売春宿に売り飛ばされる恐れがある。弱い見た目の者は格好の搾取の的だ。そのことを知らない者は、行商人など務まらない。

「改めて、ようこそレオル村へ」

 ロステムが差し伸べてくれた手を私は力強く握った。さあ、勝負はここからだ。


 この村には毒の花がある。その花はこれから、毒をまき散らし、村を汚す。フィロに寄生し、血を吸い取っている憎々しい『水晶血丹』だ。だから私たちはこの村に来た。たった一人の弟にかけられた呪いを解くために。

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