第14話 奥の手

 立つ鳥あとをにごしてヤリチン先輩が去ってから約10分後、僕はノート屋の店内でおっさんと対峙していた。


「本当に、いいんだね?」

 そう確認するおっさんの目にじっとりとめつけられ、怖気おぞけに震えた肌の粟立あわだちにどうしようもない不快感を覚える。

 自らを奮い立たせ、目線をおっさんの双眸そうぼうにまっすぐ合わせる。そしてゆっくりと、なるべく重々しく聞こえるように言う。

「ええ、覚悟のうえです」

 期待どおりの返答に満足したノート屋は、しわだらけの厚い手でわざとらしくぽーんと膝を打って立ち上がった。


「その意気やよし! それじゃあ――」




 その10分前、僕は雑居ビルの階段に立っていた。

 店内から出てきたヤリチン先輩を物陰でやり過ごして永野氏を待つ。

『とまあ、そんなわけだから。諦めて、永野君」

 スマホからはノート屋の最後通牒が聞こえた。

『青春はやり直せない。それなら失ったものを惜しむより、これからヤリまくればいいじゃない!』

『……そうっすね』


 歪んだ鉄扉てっぴが開く音がもの悲しく響き、続いて重い足取りで永野氏が近づいてきた。

 肩を落とす、とはこういう状態の人間を見て生まれた言葉なのだなと得心する。普段よりふたまわり小さく見える永野氏にかける言葉が見つからず、とりあえず「いったんビルから離れて作戦会議をしよう」と茶をにごす。今はこれが精一杯であった。

 

 ノート屋のある通りを大学の方向に歩いて西池袋公園に行く。

 ここは大学至近に位置しており、学生が花見やサークル活動などに何かと利用する。今日はダンスサークルが街灯のあかりの下で練習中で、音量を最大にしたスマホから流れる古いアイドルソングに合わせて軽快に体を揺すっていた。

 みずみずしい身体が街灯に照らし出される中で若さを燃やすように躍動するその横で、僕と永野氏はあまりにも対照的な存在だった。


 自販機で適当に缶ジュースを2本買ってきて、1本をベンチに腰かけた永野氏に手渡す。

おごるよ。伯爵のコーヒー代と比べるとだいぶ安いけどね」

「サンクス」

 非童貞になってしまった男の顔からは、彼が得るはずだった自信など微塵も読み取れなかった。


「断られるだけじゃなくあんなクズに罵倒までされて……、行かなきゃよかったなあ」

 もう後悔の方向で総括し始めた永野氏に対して僕は「いや、そうでもないさ」と否定する。

 非童貞は諦めが早くて困る。

「方法は理解できなくても埒外らちがいの存在はたしかにあったし、君の童貞は間違いなく行為抜きに取り出されていた。そして何より君の童貞はまだ消滅していない」


「でも、それも時間の問題だよ。かわいい僕の童貞の喪失はヤリチン先輩の言うことが正しいなら明日らしいじゃないか」

 さっきヤリチン先輩が吐いた捨て台詞によれば、先輩は巫女の子とねんごろのようなのだ。まさか無理やりということもないだろう。


「諦めちゃ駄目だ。それまでに何とかするんだよ。巫女の子がヤリチン先輩に童貞を付与できるということは、君に戻すこともできるってことじゃないか!」


「しかしそれには巫女に戻してもらう必要があるんだよ。ノート屋にはきっぱり断られているんだ。巫女もノート屋の手先だろうし。それにさっきの話が本当なら、巫女はヤリチン先輩とできてるってことだろう? 想い人の意図に反する行動をとらせるのは無理だ」


「それはそうだけど……。ノート屋は駄目でもまだ巫女の子に断られた訳じゃない。それにヤリチン先輩は巫女の子に対していつものよそ行きのキレイなヤリチン先輩であざむいてるはずだ。そこもあばいてやればあるいは」


「しかしな、一番の大きな問題があるぞ」暗がりの中、こちらに向けてきた彼の顔は幽鬼のように見えた。「巫女がどこにいるのか分からないから会うことができない」


 そうなのだ。


 ノート屋は店を構えているから行けば確実におっさんに会うことができる。ヤリチン先輩の場合ノート屋ほどの確実性はないが、同じ大学の学生なのでキャンパスで張っていれば会うことができるだろう。


 しかし巫女はどこの誰なのか分からない。


 分からない以上この大東京で偶然たずね人に遭遇できる可能性はまったくもってゼロに近い。

 普段着が緋袴ひばかまであればあるいは探し出せるかもしれないが、そんな普段着がユニフォームのパワプロ君みたいな人間はいないだろう。


 ふたりして押し黙ってしまった。ダンスサークルが踊るアイドルソングが沈黙をより鮮明に縁取ふちどっていく。


『会いたかった 会いたかった 会いたかった イエス! 君に〜』

 会いたいねえ、巫女に。


 巫女の子に会うためには永野氏と同じく童貞廃品回収でもしてもらうしか――いや、そうだ!

 簡単な話じゃないか!


「会えるじゃないか!」


「え?」


「ノート屋は君と僕が友達だと知らないんだから。僕が今からノート屋に行ってさ――」




 そこから10分後、冒頭のノート屋店内の場面に話は戻る。


「その意気やよし! それじゃあ――ここに行って男になってきな!」


 おっさんがレジの下から取り出した紙に書かれている内容を僕はすでに知っていた。そして、喜色満面きしょくまんめんのおっさんが次に説明した内容も既知のものだった。


「あ、いや安心してくれていい。本当に性行は無しで童貞だけ喪失できるんだ。今はまだ信じられないだろうけどね」


 おっさんから差し出された紙には聞いたとおりに簡略化されすぎた地図らしき図が書かれており、聞いたとおりに目的地らしき丸に囲まれた四角形にこう書かれていた。



『大人の補習授業 ホテル・勉強部屋 400号室』

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