かたがわり

古月むじな

***

 よく大病を患ったり大怪我を負った人に対して、「代われるものなら代わってあげたい」という慰めの言い回しがある。

 そのような言い回しを使う人は大抵その人の身内だったり共感深い人などで、使用者の愛情を示す言葉であると思う。しかし一方で、私のようなひねくれ者は「実際代わることができないから言える軽率な発言だ」と感じてしまうところもある。

 では、もし実際に“痛みを代わる”ことができるとしたら、はたしてどうなるのだろうか。



 その女性に出会ったのは、怪我の治療のために通っていた病院の待合室だった。

 あのときは私も不注意で、考え事をしてよそ見をしながら待合室に入ったものだから、ちょうど先に入っていた患者にぶつかってしまったのだ。おかげで私は尻餅をついたし、女性は前のめりに倒れるような形で転んでしまった。

「ああっ、すみません。大丈夫ですか」

 私はすぐさま立ち上がって平謝りしながら、女性を助け起こした。何しろそこは整形外科で、女性の風貌は明らかに私よりも重傷だった。松葉杖を支えになんとか起き上がった彼女に、私はしばらく謝ることしかできなかった。

「いえ、大丈夫です。すみません、私もぼうっとしちゃってて」

 彼女は笑って私に謝り返してきた。しかし私はそれを社交辞令としか受け取ることができなかった。普通に歩ける私だって転んだ衝撃で傷が痛むのである。ギプスや包帯を巻いている彼女は相当痛かったに違いない、と。不自然な姿勢で倒れたのだ、新たに骨を折った可能性すらある。

「どこか痛みませんか。今、看護師さんを呼んできます」

「あ、いや、本当に大丈夫なんです。どこも痛くありませんし」

「しかし……」

 食い下がる私に、彼女はじれったそうに言った。

「心配いりませんよ。『私は』、痛くありませんから」

 このように括弧で括る必要があるような、妙なイントネーションで言うのである。

「なんて言ったらいいのかな。私、その……痛みを感じない、っていうか」

 そういって松葉杖を持ち直し、私のほうを向いた彼女の肘には、今しがた出来たばかりと思しき血の滲む擦り傷があった。




「こんな言い方したら不謹慎かもですけど、私って結構ほうで」

 昔から、怪我や病気が絶えない人生だったのだという。

 幼少期から今に至るまで、単なる不注意による怪我から、運が悪かったとしか言えない事故による怪我、不幸としか表現できない大病にかかるなど、毎日のように新しい傷と痛みを受けていたのだ、と。

「そんなだから、うちの親もちょっと大げさなくらい私を心配して。毎日のように『可哀想に、代われるなら代わってあげたい』なんて言ってくれたんです」

 大切な娘が毎日毎夜苦しんでいれば、普通の親なら気が狂うような思いになるだろう。女性の身の上に同情していた私だったが、しかし彼女の次の言葉に唖然とした。

「だから、私が受けた痛みは全部うちの親がようにしてくれたんです」

「……なんですって?」

「拝み屋だか霊能者だか、そういうのあるじゃないですか。うちの家、もともとそういう血筋らしくて。ナントカいうを使って、私の痛みを親に飛ばすようにしたみたいなんです」

 ほら、藁とか紙の人形を使って――あっけらかんと話す彼女に、私は二の句を告げられなかった。にわかには信じがたい話である。子供が話していれば、アニメや漫画の影響で妄想の遊びをしているのだろうと一蹴しているところだ。

 しかし事実――女性は自分の肘からどくどくと流れる血を、私が指摘するまでまるで気が付いていないようだった。

「あ、やだ、いけない。あとで絆創膏もらわないと……」

「……じゃ、じゃあ、本当に痛くないんですね? その腕も……その足も」

「はい。だから気にしないでくださいね。あなたこそ大丈夫ですか? ?」

 と、あまつさえ私を心配してくれる彼女に対し、私は生返事しかできなかった。ちょうど看護師が彼女を診察室に呼びに来て、ほっとしてしまうくらい仰天していたのだ。

「はーい! じゃあ、お先に。お大事にしてくださいね」

 松葉杖を器用に使って歩いていく彼女の後ろ姿を、私はなんとも言えない思いでしばらく見ていた。

 痛みを感じない、といえば聞こえはいいが、はたしてそれは健全な状態なのだろうか。呪いとか霊能とか、そんな非科学的なことを置いておくにしても、なんだかそら恐ろしい状況であるように思えた。

 例えば末梢神経が麻痺して痛みを感じにくくなってしまった人は、足の指先を傷つけてもなかなか気づくことができず、傷が化膿したり壊死が進行してしまう、というケースを聞いたことがある。認知症の高齢者が骨折の痛みに気づかずに歩き回り、骨が酷い変形を起こした、というようなこともあるらしい。痛みを感じず、怪我に気づけないというのは、それだけで大きなリスクとなりうるのである。

 何より――彼女のように怪我を負いやすい人の痛みを肩代わりした人は、いったいどんなふうに生きているのだろう、とひどく気にかかった。いくら承知の上とはいえど、いきなり原因不明の痛みに襲われるなど恐ろしくはないだろうか。いきなり腕や足に痛みを覚え、どんな処置をすれど痛みが引かないなど、拷問を受けているようなものだろう。

 痛みに鈍く、より不注意になったであろう彼女と、その彼女が受けた痛みを肩代わりしている両親。所詮他人事、よその家庭の事情ではあるが、当時の私はひどく気になって落ち着かなかった。

 はたして、彼女の両親は今どうなっているのだろうか――片足を失くし、残った足と松葉杖を使って器用に歩く彼女を見ていると、なんだか居心地が悪くなった。

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かたがわり 古月むじな @riku_ten

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