弓使い

 私が弓道を始めたのは中学に入学した時だ。莉奈りなが『かっこいい先輩がいるから付いてきて欲しい』と言ったから道場までいった。そしてそこで私は莉奈の言う先輩とは別の人に憧れた。ピンと張りつめた空気、弓のしなる音。的を射る勇ましい姿。みんなが男子の先輩に黄色い声を上げる中、私は3年生の女子の先輩に釘付けになっていた。そして莉奈に誘われるまま弓道部に入部したのだ。私が21歳になるまで、そのひとはずっと私の憧れだった。

 莉奈が弓道部を辞めたのは1年の後半、それから2年になって半年間テニス部に入部したが、それも1年経たずに辞めてしまった。彼女は元々努力家で、人一倍練習する健気な子であるにも関わらず、その容姿上に、好かれることもあれば嫌われることもままにあり、結局部の女子から酷いやっかみを受けたせいだ。

「いいの、そろそろ受験モードに切り替えようと思ってたから。だって七緒と同じ高校行くなら、私勉強もっと頑張らなきゃ!」

私はこういう性格だから教師にもよく思われなかった。だけど弓道の才覚が現れ、高校もほぼスポーツ推薦で決まってしまった。そんな場所に、莉奈は付いてきてくれた。

「私、七緒なしの学生生活なんてありえないと思っているの。だから誰が何ていったって一緒に行くわ。嫌?」

「まさか。すごく嬉しい」

高校生活でも私は弓道、莉奈は声楽部に入って楽しそうにしていた。1年と少しの間だけ。

莉奈の家族は頭のいい兄ばかり構い、いつも莉奈のことは二の次だったのに、時々莉奈を言葉の暴力で詰った。大体その次の日莉奈は以上に明るくて、昼過ぎには早退してしまう。サボれば学校から家に連絡が行ってしまうが、早退するなら連絡はいかないと学んだ末の悪知恵だ。

そして同じ日、私も決まって早退した。

 話は弓道に戻る。私は大学に入る直前、弓道に世界はないがアーチェリーなら世界大会もあるからと勧められた。別に世界なんてどうでもよかったが、莉奈を連れて外の世界に出られるならそれもありかもしれないと悩んだ。それをその憧れの人に相談したとき、彼女はこう言った。

『あんな子のために自分の可能性を捨てちゃ駄目よ。あの子は七緒を上手く使っているだけ。ああいうのは友人とは言わないの』

私の憧れていた先輩は学生の頃私が莉奈を守れる大人になりたいと言った時「きっと成れる」と応援してくれた。だからより憧れていたのに、裏切られた気分だった。

「莉奈の何を知っているのよ。何も知らないくせに、他人の噂に翻弄されているだけのくせに」

「違うわ。あの子は私の彼にも色目を使ったし、七緒のことは便利な子だって言ってたらしいの。私それを聞いて」

「馬鹿じゃないの?同じじゃない。誰かに聞いた言葉を鵜呑みにしたんでしょ?それに、色目ってなによ。自分に自信がないかそう思い込んだだけじゃない。そんなの莉奈のせいじゃない」

「んなっ!みんな言ってるわよ!美人の引き立て役にあんたがいるんだって!」

弓道は日本古来の武道で、精神鍛錬をするためのものだと言われている。私が憧れたあの時の先輩は綺麗だった。心も、身体もすべて。でも今は違う。

黒くて、ドロドロした塊がこのひとを巣くっている。

「暗に、私がブスだって言いたいのよね。いいわよ。人は誰しも中身じゃなくて外見で判断する生き物。美人の横に私がいればそういう反応をするのが普通よね。でも莉奈は違う。私のことを綺麗だって言ってくれる。私はあの子の言葉にずっと救われてきた。あんたたちみたいな中身の薄っぺらい人間の言葉なんかで足を引っ張られるような安い人間じゃないの。あの子のことを悪く言うのだって許さない」

 この世界に来て、唯一の救いはこの弓矢だった。これはアーチェリーじゃない。

私の知る弓道の『弓』だ。精神統一をして、再び精度を挙げよう。すべては莉奈のために。莉奈がこの世界で愛される正常になるなら、私はこの世界で莉奈を守る騎士になる。馬鹿げた人間の醜悪に苛まれることがないように、私が彼女を守る。

小さい頃からの夢を、今叶えられる。

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