ある日、大きなウーパールーパーを拾った
武州人也
私とウーパールーパー
重たいかばんを持って、今日もとぼとぼ家路に就く。傾いた日が、燃えるような色をした光を地に投じている。昼間は汗ばむぐらいだったのが、今は冷え冷えとした夕風が吹いてくるところに、季節の巡りを感じられた。
今日も、憂鬱な一日だった。何がきっかけだったのか分からないけれど、私はクラスの中でのけ者にされていた。派手好きな生徒の多い中で、私は地味な根暗としか思われなかったんだと思う。普段はいないものとして扱われ、時折悪態をつかれたり、邪魔だと言われて突き飛ばされたりする。あんな学校にはもう行きたくなかったけれど、勉強についていけなくなったら、それこそ負けだ……そう思って、居心地の悪さを押し殺して通学を続けている。
もっと勉強を頑張って、レベルの高い高校を受験すればよかった。私の学力でも行けて、距離もさほど遠くないから……そんな理由で学校選びをするんじゃなかった。いや、仮に違う高校に行ったとしても同じだったかも知れない。同年代の者たちと仲良くやっていくには、私の社交性はあまりにも欠如していた。
視線を下に落とした私は、目の前を静かに流れる小川の中に奇妙なものを見た。何か大きくて白いものが、もぞもぞと動いている。気になった私は、しゃがみ込んで川底を覗いてみた。
そこにいたのは、どう見てもウーパールーパーとしか思えない生き物だった。白い体に、耳のような赤い
ウーパールーパーは別名をメキシコサラマンダーといって、サンショウウオの仲間に含まれる。もしかしたら今目の前にいる生き物はウーパールーパーではなく、別のサンショウウオ……たとえば大型になるオオサンショウウオのアルビノか何かかも知れない。
私が近寄っても、ウーパールーパーは逃げなかった。この大きな両生類は首を持ち上げて、じっとこちらを覗いている。まんまるな目は犬や猫とも少し違う雰囲気をもっていて、それがまた何とも可愛らしい。
見つめ合っていると、この子を家に持ち帰りたい……という衝動に駆られた、気づけば、私はこの子の体を抱きかかえて家に帰っていた。体表はカエルや魚と同じようにぬめっとしていて、私の制服の袖はすっかりぬめぬめが染みて生臭くなっていた。でも、私はそれを不快には思わなかった。
「今日からキミはヒカリだよ、よろしくね」
私はこの子に、ヒカリという名をつけた。
ヒカリを一旦風呂場に置いた私は、昔金魚を飼っていた六十センチ水槽を物置から引っ張り出してきた。そこに水を張ってヒカリを入れてみたけれど、この子にとって六十センチ水槽はあまりにも手狭だった。
仕方がないから、私は風呂場にこの子を連れて行って、浴槽に水を張って飼うことにした。もう湯船に浸かれなくなるが、元々シャワーで済ませることが多かったからあまり関係ない。どうせお母さんはしばらく帰ってこないし、誰に咎められることもないだろう。
それから、私とヒカリ、一人と一匹の生活が始まった。
両生類には、餌をくれる人の顔を覚えるくらいの記憶能力はあるらしい。ヒカリも私の顔を覚えてくれたのか、私が人工飼料の袋を片手に風呂場の戸を開けると、水面からちょこんと顔を出して、そのつぶらな黒い目で見つめてくるようようになった。そんなヒカリの仕草が、何とも可愛らしい。私はすぐに、この生き物に心を奪われてしまった。もう、この子抜きの生活など考えられない……というほど、心を入れ込んでしまっている。
とはいえ、困ったこともある。それは、お金のことだ。
お母さんは別れたお父さんから振り込まれる養育費だけでなく、お金持ちの男の人からお金をたくさんもらっているみたいだから、私もそれなりの額のお金を手渡されていた。大きいといっても両生類、犬などとは違うから、大してお金はかからないはず……そう思った私の見通しは、甘かった。
ヒカリは物凄い大食らいで、業務用サイズの餌を買ってもすぐに切れてしまう有様だった。餌だけでなく高価な外部フィルターや水中ヒーターも必要だったし、換水の度に大量のカルキ抜きも消費した。コストパフォーマンスを考えて消耗品は全て業務用で購入していたけれど、やっぱりすぐなくなって、新しいものを買い直さないといけない。
お小遣いでは足りなくなる……そう思った私は、何とか継続的に金銭を得る手段を模索した。バイトをしようにも、学校生活さえ上手くいかない私が続けられるはずもない。かといってパパ活みたいな方法を使うのは、あのお母さんと同類になってしまうようで嫌だった。
考えた挙句、お母さんが使っていない高価そうなネックレスをこっそり売って、そのお金でバイノーラルマイクやカメラを購入した。その上で髪をアニメキャラのようにピンクに染め、動画サイトで顔出しのASMR配信を始めた。
顔だけはいい母親の遺伝子を受け継いだのか、めかしこめばそれなりに美少女顔になった。視聴者数もぽつりぽつりと増えていき、それなりの額の投げ銭を獲得できるようにもなった。稼いだお金は、全てヒカリに捧げた。
困ったことに、たまに画面の向こうの大人たちから、何かと妙なお誘いを受けるようになった。食事に誘ってくるならまだマシな方で、もっと直接的な、いやらしい誘いをしてくる者もいた。私は全て無視した。
気づけばもう、何カ月も学校に行っていなかった。私とヒカリ、一人と一匹だけの城を出る必要性を、まったく感じなかったのだから仕方ない。学校に行かないと、勉強についていけなくなる……そんなことを気にして、無理矢理登校していた過去の自分がばからしく思えた。
一冬越して、春になった。進級できたかできなかったか、高校のことはもうどうでもよかった。
ヒカリは前にも増して大きくなっていて、風呂場で飼うにも手狭になってきた。そろそろ、何か別の手を考えなければ……そう思ったけれど、いい案は浮かんでこない。
そんな悩みを抱えながら過ごしていたある春の昼下がり――ヒカリは脱走した。風呂場から玄関にかけての床が水に汚れていて、浴槽にはただ糞で汚れた水だけが残っていた。
「どうして――」
昼ご飯を買いに家を出た時、不用心にも鍵をかけ忘れていた。もしかして、自分で風呂場から這い出て、そのまま外に出ちゃった……?
考えたくもなかった。考えたくなかったけれど……現にヒカリは忽然と姿を消していて、浴槽にはいないのだから、現実として認めざるをえない……
頭が真っ白になった私は、血眼になって家の周りを探し回った。乾燥にはあまり強くないはずだから、きっと水のある場所か、それとも日の陰る場所に隠れていると目星をつけた。
探した。探した。探して探して探して探して……でもだめだった。足が棒になるまで探したけれど、私に残ったのは徒労感だけだった。その日、私は何カ月かぶりに眠れぬ夜を過ごした。
次の日も、次の日も、そのまた次の日も、私は外を探し回った。こんなに外の空気を吸い込んだのは、ずいぶんと久しぶりのことかも知れない。初夏の日差しは私にとって眩しく、そして暑かった。汗がじわりとTシャツを濡らしていくのは不快だったが、探さないわけにはいかない。もたもたしていると遠くに行ってしまって、もう二度とヒカリに会えなくなってしまう……そんなことは、絶対にイヤだった。
けれどもやっぱり、私の努力は徒労に終わった。どこに行ってしまったのか、皆目見当もつかない。私は毎日、一人ぼっちの家の中で泣いていた。
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