第7話 呪い

 ショーンとキースは、互いにもたれかかるようにして立っていた。しばしの静寂。それを破ったのはやはりキースだった。


「……何故、急所を外したのですか? 今の一撃で、あなたは私を殺せたはずだ」


 耳元でささやかれたキースの問いに、ショーンはぽつりと答えた。


「お前を殺しても、仕方がないだろう……」


 ショーンはすぅっと息を吸うと、


「抜くぞ」


 そう予告して、息を一気に吐きながら、キースの腹から剣を引き抜いた。

 キースの顔が苦痛に歪む。杖を握りしめたまま二歩ほど後退したかと思うと、キースはがっくりと地面に両膝を突いた。杖を支えにしてそのまま座り込む。


「少し待っていろ。すぐ、手当てしてやる」


 そう言いながら、ショーンは蒼月を一振りした。剣に付いた血を払い、剣に合わせて変化した腰のさやに蒼月をおさめる。

 さすがに無理をし過ぎたらしい。ショーンの受けた傷は深く、失血はすでに深刻な量だ。体力の消耗もいちじるしい。どこかを動かすたび身体じゅうに激痛が走り、足の踏ん張りがきかない。

 ショーンはその痛みに耐えながらキースに背を向けた。彼はよろめき倒れそうになりながらも、木々の間を慎重に洞穴ほらあなに向かって歩きはじめる。


「何故? あなたのほうが深手を負っているというのに……私はあなたの大切なものをたくさん奪った。それでもあなたは私が憎くはないのですか?」


 ショーンはキースに背を向けたまま立ち止まった。彼の腕ほどの太さがある近くの木の幹を左手で掴み、今にも倒れそうな身体をどうにか支える。


「……憎んでいないと言ったら嘘になる。復讐ふくしゅうを考えたことも、ないとは言わない。事実、今も――今すぐここで、この手でお前を殺してやりたいという衝動を抑えるのに必死なくらいだ。けれど……お前を殺したところで、失ったものたちは戻らない。そうだろう?」


 ショーンは一息置いて、頭を軽く左右に振った。


「正直、自分でもどうかしていると思う。この判断は狂っていると。しかし……お前を殺して復讐をげたところで、この手に残るのは虚しさだけだ。それよりも、俺はお前を生かしてこの手で鎖を断ち切りたい。それが今の、俺の望みだ」

「鎖?」


 ショーンは振り向いて続ける。


「……お前を失えば悲しむ者もいるだろう。憎しみは新たな憎しみや悲しみを生むだけだ。その連鎖は、いつか誰かが絶たなければ終わらない」


 ショーンはうつむきがちに一息置いて、右の拳を固く握った。


「ならば、お前と俺との連鎖は、俺がここで断ち切ればいい。俺は、誰の悲しむ姿も見たくない。俺の中に渦巻くこの憎しみに――俺自身に負けたくない。だから、お前を助ける」

「ふ………甘い。どうしようもなく甘いですね。若さゆえの甘さでしょうか」


 キースは杖で身体を支えながら立ち上がり、微笑んだ。


「確かに、体力面で劣る私を動けなくするだけなら、この傷で充分です。けれど、この程度で私が諦めるとお思いですか? 情にほだされるとでも? 私があなたを殺して鎖を断ち切るという手もある。魔力も生命力もまだ残っている。私が生きている限り、あなたは狙われ続けますよ。こんなふうに、ね!」


 キースの指先から再び鋭い光がほとばしる。ショーンは避ける間もなく、その光を背中でまともに食らった。

 雷に撃たれたような熱と衝撃が全身を駆け抜ける。一瞬遠のく意識。吹っ飛ばされたショーンは正面の細い木に肩から激突した。咄嗟とっさにその木にすがり、なんとか倒れずには済んだ。しかし、彼の両膝はガクリと折れて地面を突く。辛うじてキースを振り返ることはできたが、全身がしびれて思うように動けない。

 キースはふらつきながら杖を地面に突き立てる。そして杖のてっぺんに輝く紅い宝玉を包むように両手で印を結んだ。昔母から聞いた呪いの話――その話の印とよく似た印を。


「やめろ! 死ぬ気か?!」


 ショーンはキースに向かって声を荒げた。木に縋ってどうにか立ち上がり、身体ごとキースに向き直る。

 キースは額に脂汗を浮かべながらも微笑んで答えた。


「ええ。私は影。わが主にとって、私は駒のひとつに過ぎない。あなたを連れ帰れない以上、主のもとに戻っても、手負いの私は消される運命なのですよ。しかし、ただ消されるのもつまらない。それならば、私はあなたの大切なものを道連れに、自らの意志でこの世から消えましょう。そのほうが、よほどいい」


 そのとき――。


「おにいちゃん、どこぉ? どうしたのぉ?」


 声に驚いて振り向くと、木々の向こう、洞穴の入り口から眠そうな目をこすりながらメラニーが顔を出していた。寝ぼけて状況が飲み込めていないのか、少女は警戒する様子もなく洞穴の外に出てきた。ショーンは慌てて叫ぶ。


「――来るな! 逃げろ!」

「え?」


 メラニーはきょとんとして立ち止まった。


「逃げるんだ! 早く!」


 言うが早いか、ショーンはメラニーに向かって駆け出していた。ほんのわずかだが、メラニーのほうがキースよりも彼の近くにいる。


 深い闇の気配が辺りに渦巻き、キースのもとに集まっていくのを感じる。圧倒的な力の気配を背後に感じて総毛立つ。

 振り向くとキースのてのひらの間には、禍々まがまがしい光の球が生まれてふくらんできていた。


(間違いない。これはあの呪いだ。俺が生まれる前に父の生命を奪ったと聞いた、あの――)


 キースを倒しても、あの光は消せない。もう誰も、たとえ術者のキースであっても、あの光を止めることはできない。生まれた光は術者の狙った者のもとへ飛んでいき、目的を果たすだけ――ショーンは本能でそれを感じ取っていた。


「メラニー! 逃げろ!」


 メラニーは逃げようとするが、地面に貼りついたように足が動かない。



「ダメ……足が……動かない!」


 月明かりに照らされた少女の顔は、すっかりおびえていた。


(このままメラニーのもとに向かっていたら、おそらく間に合わない)


 スローモーションの景色。身体の芯が熱い。考えるより先に身体が動いている。こう考えたときにはすでに、ショーンは茂みの中を必死でメラニーとキースの間に向かって走っていた。


 しかし、彼の身体は血を失い過ぎていた。足がふらついてまともに走れない。下草や木の根や小さな岩に足をとられ、彼は時折大きく体勢を崩した。それでも両手で地面をき木々を掴み身を前のめりに起こし、ショーンはただひたすら予測される光の軌道上を目指して走った。


 もう痛みも疲れも感じない。それなのに身体は思うように動いてくれない。気ばかりが焦る。

 すべてがゆっくりと動いているように感じて、もどかしい。


「さすが、わかっていらっしゃる。あなたと戦えて本当に楽しかったですよ、ショーンさん」


 必死に走るショーンの後ろ姿を見ながら、キースは不敵な笑みを浮かべた。そして、両掌の間で自分の頭ほどの大きさに育った禍々しい色の光の球を解き放った。


 満足気な顔で仰向けに倒れるキース。

 恐怖でその場に立ちすくむメラニー。


(――俺のこの身がどうなろうと構わない。絶対にあの子を守る!)


 光の気配が近づく。チラリと振り返ると、彼の腰ほどの高さですぐ後ろに迫る禍々しい光が。その軌道上までは右にあと身ひとつ分。

 もう考えている暇などない――一か八か!


 直後、ショーンは地面につきかけた右足を無理やり持ち上げて重心をわざと崩し、倒れるように右に傾いた。その足を右に一歩大きく踏み出して力の限り踏ん張り、思いきり身体を開く。

 次の瞬間、強い衝撃音とともに光がはじけた。一瞬にしてショーンとメラニーの姿は、キースの杖の宝玉の色を移したような紅黒い光に飲み込まれた。

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