こちら、異世界サポートセンターのスズキが承ります

岡崎マサムネ

こちら、異世界サポートセンターのスズキが承ります

「お電話ありがとうございます。こちら、サポートセンターのスズキが承ります」

「ちょっと! 勇者ってやつが家に入ってきて勝手に壺を壊してったんだけど!」


 インカムから聞こえてきたのは、耳をつんざくような女性の怒号だった。

 かかってきた番号を確認する。

 市外局番からみて、東地区の固定電話の番号だ。


「それは大変失礼いたしました。お怪我等はございませんでしたか?」

「お怪我って、そういう問題じゃないわよ!」

「ご迷惑をおかけしておりまして、誠に申し訳ございません。壊れてしまった物品につきまして、補償の手続きをさせていただきたいのですが……」

「はぁ? 他人の家にずかずか入り込んで、物を壊して……補償すればいいってもんじゃないでしょ!?」


 電話の向こうで叫ぶ声が聞こえる。だいぶヒートアップしているらしい。

 端末でマニュアルのファイルを開き、ディスプレイを眺める。


「昔はそれで通用したんでしょうけど。いまどきそんな話許されると思ってるわけ?こっちは出るとこ出たっていいのよ!」

「大変申し訳ございません。お怒りももっともなことと思います」


 その後もマニュアルに沿って対応する。

 こうなってしまうと、ただ相手の気持ちが落ち着くのを待つことしかできない。

 それで満足してくれる場合も多いが、今回はそうはいかなかった。


「アンタじゃ話にならないわ、上司出しなさいよ、上司!」


 その言葉に、内心ため息をつく。

 こういう時には逆らわずに上役を出すことで満足してくれることも多いので、マニュアルでは上司に繋ぐこととされているが……その場合、クレームが解決した後には上司の小言が待っているのだ。


 上司に電話を転送して、ふぅとため息をつく暇もなく、また電話が鳴る。

 反射的に受話器を取った。



 仕事は嫌いではない。

 サポートセンターと言いながらも実態はほとんどクレーム処理だし、シフト制で休みも取りづらいし、給料も安い。


 それでも、戦争遺児だった私が娼館に売られることも、臓器を抜かれることもなくこうして仕事にありつけていることだけで、十分ありがたかった。

 それもこれも、前回の魔王軍との戦争で勇者軍が勝利したからこそである。


 この国には、遠い異国から流れ着く「勇者」という存在がいる。十数年前、この国が強大な魔王軍の侵攻を防ぐことができたのは、信じられないような特殊能力を持つその勇者様たちのおかげだった。


 勇者がもたらす恩恵はそれだけでなく、勇者のおかげで発展した文明も多岐にわたる。

 このサポートセンターで使用している「電話」と呼ばれる通信機器も、このサポートセンターという仕組みそのものも、過去の勇者が持ち込んだ物だ。

 平和が訪れた現在は魔王軍の残党や魔物の討伐、友好的で知性のある魔族との交渉等が勇者の主な仕事になっているが、どれも勇者なしでは成り立たない。


 勇者の多くはこの土地に住み着き、そのまま家族を持つ者もいる。

 特殊能力は遺伝することもあり、この国生まれの勇者もちらほらと見かけるが……未だに、不定期に異国から流れ着く勇者たちに支えられている。


 だからこそこの国は勇者を歓迎し、できる限りその活躍をサポートすることで恩恵を受けてきたのだ。


 私が現在携わっているのも、まさにその勇者に関わる仕事だった。


 特殊能力を持った勇者が一般人と関わると、どうしてもトラブルが生じる。

 魔王軍の残党との戦いで家屋が壊れた、近所に魔族がいるので勇者を派遣して欲しい、勇者の特殊能力に巻き込まれて怪我をした、まだこの国に来たばかりで勝手の分からない勇者に迷惑をかけられた、などなど、例を挙げればキリがない。


 そういった一般市民の問い合わせの受け皿となるのが、このサポートセンターであり、そこで働く私たちコールスタッフだ。


 問題を起こす勇者に「このやろう」と思うこともあるし、クレーマーに呪詛を吐きたくなることもあるが……嫌なことばかりでもない。

 叱責されることもあるが、「ありがとう」と言ってもらえることもある。


 普段浴びるのが罵詈雑言ばかりなので、たまにそういった言葉をかけられると、この仕事をやっていてよかったと思うのだ。

 その一言だけで、疲れも怒りも吹き飛んでしまう。


 ひとつひとつが大切な言葉で、大事な思い出だ。

 仕事に就いて初めて「ありがとう」と言ってもらえた日には、嬉しくって泣いてしまったくらいだ。


 ありがとうと言ってくれた人たちが、元気にすごしていますように。

 そして悪質なクレーマーとセクハラ電話をかけてくる奴は箪笥の角に小指をぶつけますように。


 そう願う日々を積み重ねて、もう10年になる。

 平穏で、恵まれた人生を送っていた。

 

 〇 〇 〇


「お電話ありがとうございます。こちら、サポートセンターのスズキが承ります」

「あ、う……」


 電話の向こうで聞こえた声は、随分幼いものだった。5〜6歳くらいの、男の子だろうか。

 子どもからの電話はいたずらのこともあるが、緊急事態の可能性もある。一概には言えない。


 受話音量を上げながら、次の言葉を聞き逃さないように注意した。


「たすけて」


 今にも泣き出しそうな声だ。

 いたずらではない。


 そう直感して、電話番号を確認する。

 北地区の外れの方にある農村の番号だ。

 手元でキーボードを叩くと、魔族が発見されて戦闘が発生したという情報がトップに出てくる。時間は2時間前だ。


「おとうさんと、おかあさんが、……いなくなっちゃったの」


 ノイズに混じって、子どもが鼻を啜る音が聞こえた。

 記録によると、早急に協会から勇者が派遣されて魔族は無事に退治されたので、民間人に死傷者は出ていないとのことだったが……多少の混乱はあっただろう。

 避難の際にはぐれたのかもしれない。


「それは、大変でしたね。近くにだれか、大人の人はいますか?」

「い、いない……」

「そうですか……」


 呟きながら、端末を操作する。

 位置情報を調べると、魔族の討伐に当たった勇者が2組、まだ近くに残っているようだ。

 どのくらい激しい戦闘だったか分からないが、瓦礫などで道が塞がっていたら、小さな子どもだけでの移動は危険だ。


 派遣されている勇者のうち一組がよく見る名前——度々問題行動を起こすという意味で——なのが気になるが、この距離ならついでに近くの交番まで連れて行ってもらえるかもしれない。

 無理そうなら交番に連絡すればいい。


 そう判断して、インカムに話しかける。


「近くに勇者の人がいますから、迎えに行ってもらいますね。今いるところで、待っていてください」

「ゆうしゃは、だめ」


 子どもの言葉に、目を見開く。

 その声音には、怯えた色が滲んでいた。

 また、音声が乱れる。


「ころされちゃう」


 その言葉に、息を飲んだ。

 先ほど確認した情報のウインドウを、最前面に表示させる。


 討伐された魔族は、男女1名ずつ。

 末尾には、現在は事態は沈静化されたが、子どもの魔族の目撃情報があり、引き続き捜索・警戒に当たっている、と書かれている。

 予測をするのは、簡単だった。


 まさか。

 まさか、この受話器の向こうで話しているのは。


 どうする、どうする。


 子どもとはいえ、相手は魔族だ。魔族は人間の何倍ものスピードで成長するという。今は無害でも、数年後には人に害を為すようになる。

 警察と勇者協会に通報して、勇者を向かわせて、討伐してもらうべきだ。


 そう頭では分かっている。

 それでも、身体が動かない。


 ——たすけて、おねえちゃん。


 頭の中で、声がする。


 あの日——初めて私に「ありがとう」と言ってくれた子の声だ。

 あの子もきっと、同じくらいの子どもだった。


 魔王軍の残党に襲われて、お父さんとお母さんが危ないと電話をくれたのだ。

 たまたまリダイアルでかかったのがサポートセンターの番号だっただけで、きっとあの子は何も分かっていなかった。


 でも、あの子も言ったのだ。

 たすけて、と。


 しどろもどろながらも何とか勇者協会に連絡をして、その子は無事に保護され、怪我をしていた両親も大事には至らなかったと聞いている。

 クレーム対応しか経験してこなかった当時の私は完全に動転してしまっていたので、何を言ったか覚えていない。マニュアルなんて見ている余裕もなかった。


 だけれどその子が、電話を切る直前に言った言葉は……よく覚えている。


「ありがとう、おねえちゃん」


 それが私にとって初めての、ありがとうだったから。


 開きかけた勇者協会へのチャット画面を、閉じる。

 偽善だとは分かっていた。それでも私には……できなかった。


 だが、それで何が変わるわけでもない。

 この電話をいたずらとして処理することは簡単だが……会話はお客様対応の品質向上のために録音されている。

 私が黙っていたところで、もし誰かが異変に気づけばすぐに記録を確認するだろう。


 そうすれば、結局勇者が派遣されて、この子は殺される。

 よしんば誰も気づかなくても、周辺が捜索されているのだから、警察や勇者に見つかってしまうかもしれない。


「そのまま、そちらでお待ちください。すぐに、係のものが参ります」


 通話終了のボタンを押した。

 インカムを外して、机に置く。

 電話を転送設定に変更し、席を立った。


 サポートセンターの1つ下のフロアに、緊急用の転送装置があるのを知っていた。

 固定電話の番号を市外局番から入れると、その電話が置かれている場所まで転移できる。

 何か問題が発生したときに、サポートセンターからも人員を派遣することを想定してのものだが……開設以来、せいぜい重役の移動用にしか活用されていないらしい。


 社員証をドアにかざしてロックを解除し、転送装置がある部屋へと入る。

 先ほど見たばかりの番号をパネルに入力して、転送装置の中へと飛び込んだ。


 〇 〇 〇


 転送された先は、ごく普通の民家の、居間だったと思われる場所だった。魔族との戦闘の跡だろう、半分屋根が崩れて瓦礫に埋まっている。


 転移した場所のすぐ目の前、電話機の横で膝を抱えている男の子を見つけた。

 肌の色が褐色で、瞳が燃えるように赤い。黒い髪の間から、額に生えた角が覗く。


 間違いない、魔族だ。

 だがおかしい。通常の魔族であれば、角は2本のはずなのに。


「だ、だれ?」


 男の子が、か細い声で聞く。

 私はしゃがみこんで、彼と目線を合わせた。


「お電話ありがとうございます。サポートセンターの、スズキです」


 そう言うと、男の子の瞳からぽろりと涙が溢れた。


「お、おねえちゃん、ぼく、ぼく……」

「大丈夫。大丈夫ですよ」


 男の子をそっと抱きしめて、背中をぽんぽんと撫でる。


 どうしようと迷っていた気持ちは、一瞬でどこかに行ってしまった。

 魔族だろうと何だろうと、関係ない。

 この子はただ……お父さんとお母さんを亡くした、子どもだ。

 私と同じだ。


「あれ。まだ残ってたのかぁ」


 じゃり、と、瓦礫を踏む音がした。

 顔を上げると、そこにいたのは「勇者」だった。

 2組いるうちの、ハズレの方——問題行動の多い方の、勇者だ。


「おねーさん、誰? その子のおねーちゃん?」

「ち、違います、けど」


 そっと背中に男の子を隠して、立ち上がる。

 勇者様が一般人に……人間に向けるとは思えないような視線が、私に突き刺さった。


「なんだ、違うのか。人間と魔族の子供だから、そういうパターンもあるのかと思った」

「え、?」

「あれ? 気づいてないの? そいつハーフなんだ。魔族と、人間の」


 後ろの男の子を振り返る。見た目は魔族にしか見えないが……角が一本しかないのは、そういう理由なのだろうか。


 だと、すれば。

 いなくなってしまったお父さんと、お母さん。そのどちらかは。


「と、討伐されたのは、魔族2人だと」

「魔族みたいなもんでしょ。魔族の子を産んでるんだからさ」


 勇者がけたけたと笑う。

 あまりに乾いた笑いだが……こちらを見るその目には、何の感情もこもっていなかった。

 ぞっと背筋が寒くなる。


 理解してしまった。

 ああ、この男は。

 どちらかは人間だと分かった上で、2人とも殺したのだ。


 そして……魔族を2人討伐したと、報告した。

 悪びれもせず、のうのうと。


「てゆーか、何のスキルもない人間なんて、どーでもよくない? こっちは勇者サマなんだから」


 勇者は——いや、これが勇者なものか。こんな奴が、勇者様と呼ばれるに相応しいものか。

 男は、背中に背負っていた大剣を抜いた。

 こちらに向かって、上段に構える。


「おねーさんも、一緒に死にたくなかったら、退いた方がいいよぉ?」


 にたりと、男が笑う。

 声を出そうにも、唇が乾いてしまって、うまく動かない。

 足が震えていた。手も震えていた。


 それでも、私は。

 立ちふさがるように両手を広げて、そこから動かなかった。


 動けなかったと言う方が正しいかもしれない。

 怖かった。

 でもそれ以上に、怒っていた。


 のたれ死んでいてもおかしくなかった私がここまで生きてこられたのは、勇者様のおかげだ。

 この国で弱きを助けて、強きを挫き、私たちに文明を与え、平和を与えてくれた、数多の勇者様のおかげだ。

 こんな人間の非道の行いで、勇者という存在を汚されることが、許せない。


 だいたい、お前のせいでかかってきたクレーム電話に対応して平謝りしてやったのは私たちだ。

 お前なんて、勇者じゃない。

 箪笥の角に足の小指をぶつけてしまえ。


 言いたいことはたくさんあるが、喉の奥に張り付いてしまって、何も出てこない。


 何も言えないことが悔しい。

 怯えていると思われるのが悔しい。

 侮られるのが悔しい。


 ゴミを見るような視線が、私に突き刺さる。


「それ、何のつもり?」

「……ら」

「はぁ?」


 声が掠れる。

 こんな状態で私が言える言葉は、一つしかなかった。


 寝ぼけていても、腹痛で唸っていても、諳んじることのできる言葉。

 きっと人生でいちばん多くの回数、繰り返し口にした言葉だ。


「こちら、サポートセンターの、スズキが承ります!」

「何言って」

「スズキ?」


 頭上から、声が降ってきた。

 目の前の、呆れ顔でこちらを見下す男の声ではない。


 振り返ると、壊れかけた屋根の上に立っている人影が見えた。


 太陽を背にしているせいで、一瞬目が眩む。

 瞬きのほんの数秒の間に、人影のうちの一人が私の目の前に移動していた。


 赤い髪の男だ。片手剣を腰に佩いている。いきなり至近距離に立たれたせいもあって、見上げる首がつらいほどに背が高い。

 後退りしたいところだが、後ろに隠れている男の子のせいでそうもいかなかった。


「サポートセンターって、あの、電話の?」

「え、あ、はい」

「スズキ?」

「はい、そうです、けど」


 ぐいぐいと詰め寄られる。

 鼻先が触れそうなほどの距離で、彼が私の手を握った。


「も、もう一回言ってくれませんか」

「はい??」

「ちょっと、いきなり来て何な」

「うるさい」


 どがんと音がした。

 音の方に視線を向けると、文句を言おうとした男が吹っ飛ばされて、瓦礫の山にその身を横たえている。


 え?

 何? 何が??


 私は目を瞬くことしかできなかった。

 だってこの赤髪の男は、ずっと私の手を握っているのに。


「ってぇな、何すんだよ!」

「俺は今、この人と話をしてるんだ」

「話ぃ?」


 吹っ飛ばされた男が立ち上がる。

 埃を払いながら、こちらに歩み寄ってきた。先ほどまでのにやにやとした表情は、消えている。


「おいおい、優等生の勇者サマが、いいのかよ? 魔族を庇ったやつと悠長にお話なんかして」

「魔族を?」


 赤髪の男がちらりと私の背後に視線を送る。

 背中に隠れた男の子が、ぎゅっと私の服の裾を掴んだ感触がした。


 この赤髪の男も、勇者なのか。ということはつまり、2組派遣された勇者のうちの、ハズレではない方の。

 しばらく男の子の様子を窺っていた赤髪の勇者が、男に向き直る。


「この子どもは半魔だ。討伐の指示は受けていない」

「はぁ? 何言ってんだよ。魔族は全員ブチ殺すのが勇者だろうが」

「敵意のない魔族との友好関係が築けるかを模索するのも勇者の役目だ」

「甘っちょろいこと抜かしてんじゃねぇよ」


 吠えるように言って、男が両手剣を構える。

 咄嗟にしゃがみ込んで、背後の男の子を庇うように抱きしめた。


「邪魔すんなら、お前もその女もまとめてブチ殺すぞ」

「……お前の行動は目に余ると聞いていたが、ここまでとは。勇者2組で討伐に当たるよう協会から指示があったのに、1人で先走って……」


 そこまで言って、勇者が言葉を切った。

 私と同じことに、彼も気づいたらしい。

 呆れたような色をしていた声から、温度が消える。


「お前……この子の親を殺したのか」

「それがどうした?」

「人殺しは犯罪だ」

「尊い犠牲ってやつだろ。人間のくせに、勇者サマの邪魔しやがって」

「弱い者を守るのが勇者だ。俺は父から……尊敬できる勇者から、そう学んだ」


 恐る恐る振り向くと、赤髪の勇者が、足を肩幅に開くところだった。

 まるで私たちを守るように、こちらに背を向けている。


 何の特殊能力もない私でも見て取れるような……敵を威圧するような「何か」が、その身体からにじみ出ていた。


「特殊能力があるくらいで、自分が人より上だと思い上がって。勇者の恥だな」

「あ?」

「お前なんて、」


 勇者じゃない。


 その言葉とともに、赤髪の勇者が剣を抜いた。

 瞬間、その剣から炎が昇り立つ。相手の男も身構えた、が。


 一閃。


 轟音と共に、家の壁が吹き飛んだ。

 壁だけではない。辺り一面が焼け野原だ。


 想像を絶する威力に、唖然とするほかなかった。

 だって、剣を一振り、横向きにこう、振っただけで?


 遠くの方に、ぽっきり折れた両手剣と、その持ち主が転がっているのが辛うじて見えた。

 あんなに恐ろしかった相手を、一撃?

 同じ、勇者のはずでは?


 赤髪の勇者が剣を戻しながら、こちらを振り向く。

 一瞬びくりと身体が震えたが……おどおどと所在なさげに視線を彷徨わせる様子に、ふっと肩から力が抜けていった。

 

 彼は先ほどまでとは別人のような態度でしばらくもじもじとしていたが、やがて意を決したように口を開いた。


「あの」

「は、はい?」

「俺。ええと。あの。あなたは覚えてないと思うんですけど。昔、10年くらい昔に、サポートセンターに、電話したことあって」

「ええと、ご利用、ありがとうございます?」

「いえ! ありがとうは、こっちの、えと、俺の台詞で」


 ぶんぶんと両手を振る勇者。

 赤い髪に、茶色の瞳。顔をよく見ると、思ったよりも若い。16、7歳くらいだろうか。

 整ってはいるがまだ幼さの残る顔立ちで、男というより少年と言った方が正しいかもしれない。


「俺の親、勇者なんですけど。魔族の残党に家にいるところを、襲われて。両親とも怪我してやばいってなったとき、たまたま電話したそのサポートセンター、ってとこのスズキさんて人に、助けてもらったんです」


 彼の言葉に、目を見開く。

 なんだかとても、聞き覚えのある話だったからだ。

 いや、聞き覚えというより……身に覚えがあると言ったほうが正しいかもしれない。


「子どもの電話だし、いたずらだって思われてもおかしくないのに……俺が助けてって言ったら、スズキさんは『お任せください、安心してください』って、何回も何回も、……助けが来るまで、ずっと励ましてくれた」


 それは、動転していて覚えていないけれど。

 でも確かに、私も覚えていた。

 私に初めて、ありがとうと言ってくれた男の子のことを。


「だから、それが、あなたで。声も、名前も、ずっとずっと、覚えてた」


 彼は照れ臭そうに頬をかきながら、どこか泣き出しそうな顔で、微笑む。

 ツンと鼻の奥が痛くなってきた。


「俺めっちゃ感謝してて。でも俺ほんと5歳とかだったんで、ちゃんとお礼言ったか自信なくて。いつか会って、直接お礼が言いたいって、思ってて」


 言ってたよ、ちゃんと、言ってくれてたよ。

 そう言いたいのに、違う何かが零れ落ちてしまいそうで、唇を震わせることしかできない。


「ありがとう、スズキさん」


 ああ、もうだめだ。

 彼の言葉に、じわりと視界がにじむ。


「あのとき、助けてくれて、ありがとう」

「わ、私こそ……」


 ぼろりと、涙が頬を伝うのが分かった。

 何年ぶりだろう。

 誰かの前で、泣いてしまうなんて。


「助けてくれて、ありがとうございます、勇者様」


 命の危機を脱したという安堵も相まって、膝から力が抜ける。

 その場にぺたりと崩れ落ちて、私は声を上げて泣き出した。

 それにつられて、後ろにいた男の子も泣き出してしまう。


 赤髪の勇者様は、私たちが落ち着くまで、ずっとおろおろとするばかりだった。


 〇 〇 〇


 赤髪の勇者様が片手に魔石を持ち、男の子の額に指を翳す。

 魔法陣が明るく浮かび上がって、大きく広がる。その光が収束していくとともに、男の子の額の角が小さくなり……最終的には、髪で隠せる程度の大きさになった。


「封魔の術を施しました。これで、魔族としての魔力は封じられたはずです」

「すごい、こんなことが?」

「友好的な魔族と共存していくために、研究されている魔法です。試験的なものですけど、しばらくは保つと思います」


 魔力を使い切った魔石が、勇者様の手からボロボロと崩れ落ちていくのが見えた。

 魔石はとても高価なもののはずだ。

 助けてもらった上に、そんな高価なものまで使わせてしまった。申し訳ない気持ちが沸き上がる。


「このお礼は、必ず」

「い、いえ、そんな! 俺は、あの」

「おねえちゃん」


 服の裾を掴まれて、私は振り向いた。

 男の子が、こちらを見上げて瞳を潤ませている。


「た、たすけにきてくれて、ありがとう」


 その言葉にまた泣き出しそうになって、何とか堪える。

 彼の頭をよしよしと撫でた。


「どういたしまして。でも、助けてくれたのはあっちの、勇者様ですよ」

「ゆうしゃ……」

「あのお兄さんはいい勇者様ですから、大丈夫です」

「そんな、いい勇者だなんて」


 男の子は不安げな瞳で、私と勇者様を交互に見上げている。

 照れ臭そうに頭をかいていた勇者様が、ごほんと咳払いをした。


「その子のことですけど。一旦勇者協会で預からせていただいて……」


 そう言われて、男の子に視線を向ける。

 怯えた表情で私の足にしがみついてきた。


 彼からしてみれば、勇者に親を殺されたのだ。勇者協会などという勇者の集まる場所に行くのは、とても恐ろしいことだろう。

 こんなに小さいのに、両親を亡くして……引き取り先が、恐ろしいところだなんて。


 なんとなく自分の境遇と重ねてしまう。私はごく普通の人間だから、孤児院では友達もたくさんいたし、シスターも牧師さんも優しかった。

 でも、この子は?


 そう思うと、胸が痛む。

 迷う前に、言葉が口をついて出た。


「あの、勇者様」

「は、はい!」

「この子、私が預かることはできないでしょうか?」

「え?」


 勇者様がぱちくりと目を瞬く。そうしていると、普通の少年のようにしか見えなかった。

 しばらく固まっていた彼が、大慌てで両手をぶんぶんと振り回す。


「いや、それは!」

「お願いします! 勇者様が良い方なのは分かってますけど、このままじゃこの子が可哀想で」

「だって、男の子ですし、あの、半分とはいえ魔族なので、成長も早いですし」

「でも、いくら成長が早くても、まだ一人では……」

「そういうことじゃなくてですね!?」


 勇者様は頭を抱えて俯き、あーとかうーとか唸っていた。

 しかし私が譲るつもりがないのを感じ取ったのか、最後には表情を引き締めて、頷いてくれた。


「……分かりました、俺が協会に掛け合ってみます!」

「え、それじゃあ……!」

「その代わり、封魔の術が解けていないか、定期的に俺が見に行きますから! 責任を持って! 俺が!」

「あ、ありがとうございます!」


 勢いよく頭を下げる。

 後ろに隠れていた男の子も、私を真似して頭を下げた。


「や、やめてください! 勇者として! そう、勇者として当然のことなので!」


 また慌てた様子で、ぶんぶんと両手を振る。さっきから謙遜してばかりで、顔が真っ赤だ。もしかしたらよほど照れ屋なのかもしれない。

 それでもお礼を繰り返す私を制して、彼が小さな紙きれを差し出す。


「これ連絡先です! 何かあったらすぐ! 連絡ください! 駆けつけますから!」


 そう言い残すと、彼は大急ぎで走って行ってしまった。

 もしかしたら次の依頼が協会から届いているのかもしれない。


 こういう人こそ、勇者様だ。勇者の鑑だ。

 あっという間に見えなくなっていくその背中に向かって、私は頭を下げ続けた。


 〇 〇 〇


 半魔の子どもの扱いについて勇者協会にかけあったところ、もう一人の勇者がやらかした事件の対応に追われてそれどころではなかったようで、半ば二つ返事で許可が下りてしまった。


 そう、下りてしまったのだ。


 ずしりと肩が重くなり、ため息をつく。

 あの半魔の子どもが成長したら、絶対にスズキさんのことを好きになる。


 何故なら俺がそうだったから。

 その俺が言うんだから間違いない。

 しかもあの子はスズキさんと一緒に暮らすとかいう羨ましいオマケ付きだ。

 いけない。何としてでも阻止しなければ。


 決意に唇を引き結び、顔を上げた。

 あの子がライバルになるより前に! 俺がスズキさんとお近づきになる!


 ぐっと拳を握りしめたところで、はたと気づいた。


「スズキさんの連絡先、聞くの忘れた……!」

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