第9話 私の選択
王宮で一番という大広間は流石に凄かった。私が御披露目をやってもらった大広間も凄かったのだが、同じ三階層でも広さ、豪華さが全然違うのだ。私はは~っと感心しながら広間の内装に見入った。そこここに掛けてあるタペストリーやレース、置いてある装飾品などがちょっと我が国とは違う形式だった。フロルン王国の様式だわ。ヘルミーネ様に敬意を表してという事なのでしょうね。
私は王宮での夜会はブレンディアス様にエスコートされて国王様と王妃様のすぐ横に設えられている席に着くのが常なのだが、今日はブレンディアス様のエスコートが無いのでそこには行かれない。私は仲の良い婦人と談笑しながら一階で立ったまま待った。ご婦人方は気遣った目で私を見ている。私は気にしていませんよ、という顔をしなければならなかった。出来ていたかどうかは分からない。
やがて、侍従が王太子様の入場を告げる。
「王太子殿下、フロルン王国王女ヘルミーネ様、御入来!」
入り口からブレンディアス様にエスコートされて、ヘルミーネ様がご入場なさった。うぐ・・・。なんというか、眩しいぐらいに美男美女だった。輝く金髪のブレンディアス様と亜麻色髪のヘルミーネ様は色合い的にも収まりが良く、身長も背が高めのブレンディアス様と女性としては背が高いヘルミーネ様は釣り合いが良い。私ではブレンディアス様と並ぶと小さ過ぎて大人と子供みたいなのだ。黒いコートのブレンディアス様と、ベージュに金のドレスのヘルミーネ様は色合いもしっくりしている。皮肉な事に、ブレンディアス様の地味なこげ茶のネクタイはヘルミーネ様の輝かしい色合いを引き立てる効果があるようだった。
これはもう、お似合いだというしかない。私の周囲の方々も感嘆の溜息を吐いている。私とヘルミーネ様、どちらがブレンディアス様のお妃として相応しいかなど見れば分かる。私はそう思いながらも、思わず手を強く握りしめていた。ブレンディアス様の腕に絡まるヘルミーネ様の手、ブレンディアス様に一番近いその場所は、私の場所だった。愛人になってから、お披露目されて一緒に社交界に出るようになってから、一度も誰にも譲った事が無い場所だった。そこに私以外の女性がいる。私の胸はジクジクと痛んだ。そうなのだ。忘れていたが、私は嫉妬深いのだ。ブレンディアス様に私以外の人が触れるのは嫌だと思う程度には。
お二人は大広間一階を横切り、一番奥に設えられている王族の席に向かった。私はさりげなくそこから遠ざかった。お二人が並んで座り、いつも私とするように仲良く談笑したり、貴族たちの挨拶を受けるところを見たくなかったのだ。
すると、ざわっと貴族たちが驚く気配がした。思わずそちらを見ると、ブレンディアス様がこちらの方へ真っ直ぐ向かってくるところだった。私は驚いた。同時に来てくれた事が嬉しくて顔が綻んでしまう。
「何をしているんだ。カムライール。君の席はこっちだろう」
ブレンディアス様は微笑んで、私の手を取ると、広間の奥の方へエスコートして下さった。見ると、王族の席が今日は一つ多い。何時もは国王様、王妃様、王太子様、そして愛人の私の4つの所が今日は5つある。そして王妃様の席の向かって右隣にある席にヘルミーネ様が座っている。つまり、国王様の席の向かって左にある二つの席はブレンディアス様と私の席なのだ。
え?ブレンディアス様とヘルミーネ様が並んで座るべきでは?と思ったのだが、ブレンディアス様は構わず私を座らせると、自分は隣に座って、いつものように私の手を握った。貴族諸卿が驚きのざわめきを起こしている。ブレンディアス様のこの態度はつまり「ヘルミーネ様は来賓なので尊重するが、自分の妻はあくまでカムライールである」という事なのだ。ヘルミーネ様はまだ妻では無いので勘違いしないように、という明確なアピールだし、もっと言うと、ヘルミーネ様を差し置いて私を隣に置き手を握る事で「縁談がどうあれ私の最愛の人はカムライールである」と主張しているのだ。これは王国貴族へのアピールであると共にヘルミーネ様へのアピールでもあるのだろう。
しかしそんな事を宣言される私の身にもなって欲しい。物凄く居た堪れない。しかもヘルミーネ様がすぐそこにいらっしゃるのだ。一体どういう風に思われるか。
私がそっとヘルミーネ様を伺うと、ヘルミーネ様は美しいお顔で余裕の笑みを浮かべていらっしゃった。後ろに立つ侍女らしき中年女性は怖い顔で睨んでいたけど。ご本人は全く気にしていないという表情だ。いや、違う。あれは気にしていないというよりも相手にしていないという態度だ。
王族が愛人を持ち子孫繁栄に努めるのは当たり前。愛人と仲良くすることぐらいで目鯨立てませんよ、という余裕なのだろう。それが妃の度量だと言わんばかりの態度だった。
ブレンディアス様が他の女性と話しているのを見るだけで嫉妬で半日くらい気分が落ち込んでしまう私はその面でも妃に不適格なのだろう。
いつも通り貴族たちが挨拶にやってきたが見るからに戸惑っていた。これがブレンディアス様とヘルミーネ様が並んで座っていたならもうご婚約は確定であるから、諸卿は婚約を寿ぐ挨拶をすれば良く、実際多分先ほどまでは皆がそういう挨拶を用意していたはずだ。しかし私とブレンディアス様が手を繋いで座っているこの状況でそんな挨拶は出来ない。結局、全員が無難な挨拶をするしかなかった。
ヘルミーネ様も挨拶を受けているが、無難に来訪を喜ぶ挨拶をされているだけだった。彼女はそれに対して優雅に微笑みながら威厳を持って応対している。なんというか、いちいち格が違う。流石は生まれながらの王女様だ。にわか伯爵夫人とは比べ物にならない。私が内心で肩を落としていると、ブレンディアス様が握った手をキュッと握り直した。思わず私が顔を上げると、ブレンディアス様がニコニコと笑っていらっしゃった。
全て分かっていて、ブレンディアス様は笑ってくださっている。それが分かる。それがどんなに心強いことか。私は涙が出ないように奥歯を噛み締め、何とか微笑みを返すことが出来た。
国王様と紫色の豪奢なドレスに身を包んだ王妃様がご入場なさった。拍手の中貴族たちの手を振りつつ進む。そして席に着く前、明確に私の事を見てニッコリと微笑まれた。別に珍しい事ではない。王宮の夜会ではお迎えする私に国王様ご夫妻はいつも親しげに微笑んで下さる。
しかし今日はヘルミーネ様の歓迎会で、ヘルミーネ様はブレンディアス様のお妃候補だ。私はもしかしたら国王様ご夫妻はヘルミーネ様の輿入れをお望みで、私がいつも通りブレンディアス様のお隣に座っているのをご不快に思うのでは無いかと心配していた。しかし国王様ご夫妻は微笑み一つでその不安を解消して下さったのだ。
同時にこれは貴族たちに対して「カムライールの扱いに何ら変わりはない」というアピールにもなる。私をブレンディアス様の隣に座らせたのがブレンディアス様の独走では無く、国王様ご夫妻も公認された行為なのだと知らしめたのだ。
ヘルミーネ様の後ろに立っている侍女の表情が流石に引き攣った。私を贔屓するのがある意味当然のブレンディアス様だけでなく、公明正大で国益を優先するお立場の国王様ご夫妻もが、お見合いに来た他国の王女であるヘルミーネ様よりも私の方を優遇するのを許したのだ。非礼と取られてもおかしくはない。
私は嬉しいと同時にヘルミーネ様が怒るのではないかと気が気では無かったのだが、ヘルミーネ様はもちろん、国王様、王妃さま、ブレンディアス様も素知らぬ顔で談笑を始めている。流石は王族の鉄皮面。私にはとても真似出来そうもない。
国王様への貴族たちのご挨拶が終わると、談笑の時間だが、その前にやるべき事がある。私は立ち上がってヘルミーネ様の前に進み出た。一人で行くつもりが手を握ったままだったブレンディアス様まで立ち上がり、私をエスコートする形で付いてくる。そして私が口を開くより先にヘルミーネ様に言った。
「ヘルミーネ。彼女がカムライール。私の最愛の人だ」
恥ずかしい紹介文句が恥ずかしいのは兎も角、お見合いにきた相手に対して「最愛の人はこの人だ」などと言うのはどうなのか。私は慌てて頭を下げた。
「ローデレーヨ伯爵夫人カムライールでございます。お初にお目に掛かります。ヘルミーネ様」
するとヘルミーネ様も優雅に立ち上がり、見事な礼をなさった。華麗な微笑みを浮かべながら彼女も名乗った。
「フロルン王国第一王女ヘルミーネです。お噂は聞いていてよ、カムライール様」
どんな噂かは怖くて聞けないわね。ヘルミーネ様は目を細めて私の事を上から下まで観察したようだった。そしてフフフっと笑った。
「お可愛らしいお嬢さんではありませんか、ブレンディアス。あなたがこの様な可憐な女性がお好みとは知りませんでした」
「別に外観で選んだ訳ではないよヘルミーネ。それにお嬢さんは失礼だ。彼女は私の子を産んでくれたのだから」
「そうでしたわね。その様な小さなお身体で大変でしたでしょうに」
私は何とか笑顔を貼り付けて固まっているのが精一杯だった。口を挟むなど出来る訳がない。ヘルミーネ様私に話し掛けているようで実際にはブレンディアス様とお話になっている。つまりは私は相手にされていないっぽい。安心してる場合じゃないんだろうけど。
「あなたは子供の頃からお母様に甘えてらっしゃったから、お姉さまタイプの女性がお好みだと思ったのに」
「こう見えてもカムライールは頼りになる大人の女性だ。物事を良く知っているし、いつも助けてもらっている。度量も大きいぞ」
ブレンディアス様が意外な褒め方で私を褒めた。誰もがいつも小さい私を子供のように扱う中でブレンディアス様はそんな風に思って下さっていたのか。
「そうですの。ねえ、カムライール様?ブレンディアスはあなたに意地悪はしないのですか?昔は会う度に意地悪されて困ったのですよ」
「心外な事を言うな。妙ないたずらを仕掛けてきたのはそっちだろう。ドレスのスカートの中に犬を隠しておいて突然飛び出させて脅かされた時にはずいぶんと驚いたぞ」
ブレンディアス様が苦笑しながらも懐かしそうに言った。・・・。さっきから気になってたんだけど・・・。
「お二人はずいぶん昔から何度もお会いになっているのですね?」
私の言葉にヘルミーネ様が嬉しそうに言った。
「そうなのですよ。カムライール様。王族同士の交流のための相互訪問でこの王都にも良く来たのですよ。この大広間も懐かしいわ」
なるほど。交流会という名のお見合いですね分かります。幼少のみぎりより交流させて相性を確かめていたのだろう。かなり本気の縁談だった事が伺える。
それからもヘルミーネ様は事ある毎に自分とブレンディアス様の幼少時の交流、付き合いの長さを強調した。途中から気が付いた。これは「自分とブレンディアス様の縁談はそこの愛人が出てくる以前からあったものであり、今でもその愛人とは関係無い次元に存在する」というアピールだ。
私がいるから輿入れさせることは出来ないという意向のブレンディアス様に対し、自分との縁談は私が愛人になる前から既に存在していたモノではないか、と主張しているのだ。自分という縁談の相手が居ながら愛人を作ったのはブレンディアス様であり、ヘルミーネ様は以前からの縁談を続けてそのまま予定通りに輿入れして来ようとしているだけ。そもそも結婚と愛人を作る事は別問題であり、私が居たとしてもヘルミーネ様の輿入れ何の障害も無いではないか。
という主張を世話話の中に潜ませてブレンディアス様に突きつけて来るわけだ。流石の会話術交渉術である。それに対してブレンディアス様は、昔の事は昔の事、縁談は一度完全に破談になった筈で継続しているとは認識していないし、婚約したわけではない。今は私の事だけを愛しているから他の女性を娶る気は無い。とこれも微笑みながら世話話の中に混ぜて主張した。
ただ、ブレンディアス様は流石にヘルミーネ様が嫌い、気に入らないから、妻に迎えたくないから結婚しないとは言わなかった。それは余りにも非礼過ぎる。それと、私をお妃に迎えるから妃の座はもう空いていない、とも言わなかった。それをこの場で言ってしまうと聞き耳を立てている貴族達の間に広まってしまい大問題になってしまう。そのため、ブレンディアス様の主張は少し歯切れの悪いものとなった。
当初、ブレンディアス様は戦争も辞さずにヘルミーネ様を追い返す方針だったらしい。それを私の意見を容れて丁重で穏便な対応にする事にしたのだろう。ところがヘルミーネ様が想定外にグイグイと自分の輿入れを押してくるので、ブレンディアス様は大分戸惑っていた。フロルン王国はそんなに我が国と婚姻関係になりたいのだろうか。
ヘルミーネ様は兎に角ブレンディアス様と交流したいらしく、私とはほとんど話をしなかった。どこまで本気なのだか分からないが自分は幼少の頃よりブレンディアス様を慕っており、今回の縁談は幼い頃からの恋の成就になると言うのだ。
それに加えて、ヘルミーネ様は王女らしくこの婚姻が調った時の政治的効果についても語った。両国が強く結びつけばこの大陸の西半分における大勢力となることが出来、同じような勢力の国家が鎬を削るこの地域においてそれは重要な意味を持つのだとか。私には途中から意味が分からなくなったが、国王様の表情からすると重要な事らしかった。逆に言えば婚姻が調わず、ヘルミーネ様が他の国に嫁に行くような事があると、その国とフロルン王国が強固に結び付いて我が国にとっては良くないらしい。
ヘルミーネ様の弁舌はやはり巧みで、聞いている内に私などはやはりヘルミーネ様をお妃にしないとマズいのでは?という気すらしてくるのだが、ブレンディアス様は特に態度が変わらない。相変わらず麗しく微笑みながら私の手を握っている。時折、私を勇気付けるように私の手を両手で包んで下さる。
「さて、そろそろダンスの時間だ。主賓が踊らないと始まらぬ。ブレンディアス。エスコートせよ」
国王様が言い、ブレンディアス様は一回私の手をぎゅっと握った後、手を離し立ち上がった。
「ではヘルミーネ。一曲お相手願えるかな?」
ブレンディアス様がヘルミーネ様の前に出て手を差し伸べると、ヘルミーネ様は嬉しそうに微笑んで立ち上がり優美に右手をブレンディアス様の手に重ねた。
そしてお二人は優雅な足取りでホールの方へ出て行く。舞踏会は主催者か主賓が最初に踊るのが決まりであり、今回の場合主賓であるヘルミーネ様と主催者の一人であるブレンディアス様が踊るのが当然である、ということは私にも分かっていた。
しかし曲が流れ始め、頑なに私としか踊らず、私にも自分以外とは踊らないでくれとまで言っていたワルツをブレンディアス様がヘルミーネ様と踊り始めると、私は背筋が震え胃が引き攣った。ぴったりと抱き合い息もぴったりに美しく回るお二人は本当にお似合いで、それだけに私の心は悲鳴を上げ始めた。とても見ていられない。私は席を外そうと腰を浮かせ掛けた。
「大丈夫よ」
その瞬間、王妃様が私に声を掛けて下さった。その表情は優しく、それでいて威厳に満ちていた。
「イーデルシアのお母さんを蔑ろにするような事はしません。安心しなさい」
「そうとも。命懸けで王族の血を繋いでくれた恩を我々は忘れておらぬ」
国王様までがそう仰った。
「お、恩などと。私は・・・」
私は胸が熱くなってきた。私を愛して下さるブレンディアス様に少しは恩返しになれば、と一生懸命妊活をして大変な思いをしてイーデルシアを産んだけれど、国王様までがその事を恩と感じて下さっている事に私は感動した。産んで良かった。イーデルシアが産まれてきてくれて良かった。実はヘルミーネ様がお妃になればイーデルシアは養子に出さねばならず、別れが辛くてここ数日は産んだことを後悔していたのだ。
国王様と王妃様に励まして頂いたおかげで私は舞踏会を中座するという失態を犯さずに済んだ。
ブレンディアス様とヘルミーネ様は三曲踊り終えると壁際に下がった、ヘルミーネ様にはすぐに貴公子達が群がり、ヘルミーネ様は一人の手を取って踊り始めたが、ブレンディアス様は真っ直ぐに私の方へやってきて、私の前に跪いた。そして芝居がかった態度で私に手を差し伸べる。
「私の姫君よ。一曲お相手頂けるだろうか」
私は思わず目を潤ませながらブレンディアス様に手を預けた。
ホールに進み出てブレンディアス様に寄り添う。すると、嗅いだことがない香りがブレンディアス様の肩から漂ってきた。これは、フロルン王国の香水だ。つまり、ヘルミーネ様の香りなのだ。
私のブレンディアス様からほかの女性の香りがするという事実に私は総毛立った。息が詰まる。私は思わずブレンディアス様の肩に顔をグリグリと押し付けた。私の奇妙な行動にブレンディアス様が苦笑する。
「どうした?イール」
「・・・何でもありません」
「ヘルミーネの臭いがするか?かなり強い香水を付けていたからな」
私が一生懸命香りの上書きをしようとしていた事はバレていたらしい。私は赤面したが、ブレンディアス様はグッと私の腰を引き寄せて私の頭にご自分の頬を擦り寄せた。
「私だって君の身体から他の男の臭いでもしようものなら発狂しそうになるだろう。しっかり君の香りで上書きしてくれ」
曲が始まり、私たちは踊り始めた。ゆっくりしたワルツで、私は自分の踊りがヘルミーネ様と比較されるのかと思うと暗澹たる気分になった。ダンスの練習は妊娠中以外は欠かさずやってはいるものの、私は手足が短いから優雅さには欠けるし、技量も到底及ばないだろう。
「君は、どうしたい?」
ブレンディアス様が呟くようにして仰った。私が思わずブレンディアス様のお顔を見上げると、ブレンディアス様は微笑みながら、目だけは真剣に、私のことを見下ろしていらっしゃった。
「君の、思う通りにしようと思う。君がヘルミーネを娶れというなら彼女を妃としよう。彼女を追い返せと言うならその通りにしよう。君はいつだって私の事を最優先に考えてくれている。私も、そうしたい」
静かな曲が流れているが、私たちの会話は他には聞こえまい。私はブレンディアス様の言葉を聞き漏らすまいと彼の口元を見つめた。
「ただ、忘れないでくれ。私のとっては君が一番大事で、君だけが愛する人で、君だけが私の妻なのだと。それはたとえヘルミーネを妻に迎えても変わらないのだということを」
私は全身に震えるような喜びが走り抜けるのを感じた。とても耐えることが出来ず、私はダンスの途中なのにブレンディアス様にギュッと抱きついた。ブレンディアス様は苦笑しつつ、私を抱きしめ返して、そのまま私を振り回して踊り続けた。私は為されるがままに振り回されながらどうしようもなく幸せで、そしてはっきりと自分の想いを自覚した。
これは、ダメだ。とてもでは無いけどこの幸せを失ってはもう生きていける気がしない。私の人生にとってブレンディアス様のすべてが必要不可欠で、欠片一つ誰にも渡すことなど出来そうにない。それがたとえ雲の上の存在である他国の王女様であってもだ。
私はブレンディアス様の胸に顔を埋めながら言った。
「私は、ブレンディアス様のお妃になりたいです。一生、あなたを他の誰にも渡したくありません」
私が言った瞬間、ブレンディアス様は痛いくらい私を抱き締めてきた。
「ありがとう!カムライール!」
なんだろう。私はお礼を言われるような事を何かしただろうか?私はそう思いながらもブレンディアス様に抱きついたまま、ただただ振り回されていた。
ダンスが終わると、ブレンディアス様は私を席にエスコートして下さった。そして私の頬にキスをすると、耳元で囁いた。
「君の望む通りにする。私を、信じて欲しい」
そして立ち上がるとホールの方に戻って行かれた。信じる?どういう事なのだろう?私には分からなかったが、国王様と王妃様には分かったようだ。お二人とも満足そうに頷いている。
「ブレンディアスも少しは男の顔が出来るようになったではないか」
「まぁ、もう一児の父ですからね。そろそろ家族の事くらいは守れるようになってくれないと」
しかし、夜会が終わるまでブレンディアス様は戻って来ず、しかも今日は王宮にお泊まりになると言伝があり、私は一人で馬車に乗ってお屋敷に帰った。
お屋敷に帰り部屋に入る。一人の部屋が本気で寂しい。もうイーデルシアは寝てしまっているから会いに行くわけにもいかない。入浴して夜着に着替えてもとても一人でベッドに入る気になれない。私はソファーに腰を下ろし、コルメリアの入れてくれたお茶に口を付けた。
「まさかヘルミーネ様の所にお泊まりなのではないでしょうね?」
コルメリアの言葉に私はうぐっと喉を詰まらせた。なるべく考えないようにしていたが、その可能性は十分にあるのだ。ブレンディアス様は女を振るために一度だけ抱いて一回関係を成立させ、その後は相手にしない事で誰の目にも明らかに関係を終わらせるというとんでもない手段を使っていた人だ。同じ方法でヘルミーネ様との関係を終わらせようとしているのかもしれない。
しかし、私はもうブレンディアス様が他の女性と関係を持つなどということに耐えられそうもない。まして今後ブレンディアスに今後抱かれる度、あの女性として何一つ勝てるところがないヘルミーネ様と比較されているのかと思ったりすれば、恐ろしくてブレンディアス様のお求めに応じられなくなってしまうかも知れない。
私が内心落ち込んでいると侍女長がコルメリアを叱った。
「馬鹿なことを言うのではありません。コルメリア。殿下がもうその様な事をなさる方では無いと流石のあなたでももう知っているでしょう」
「冗談に決まっているではありませんか。侍女長。あの愛妻家の殿下がそんな事をなさるわけありませんわ」
コルメリアは苦笑している。そうか、コルメリアは冗談で言ったのだ。ブレンディアス様に恨みがあるコルメリアさえももうブレンディアス様の事を疑っていないのだ。妻の私が信じないでどうするのか。私は反省した。ブレンディアス様が言った「信じて欲しい」というのはこの事だったのだろう。
「今頃、ヘルミーネ様と話し合われているのだと思いますよ。さ、カムライール様はもう寝た方がよろしゅうございますよ?」
侍女長は言ってくれたが、私は首を横に振った。
「今日は眠れそうもありません。侍女長とコルメリアは下がってくれて良いですよ」
「では、私はお供しますわ。侍女長、カムライール様の事はお任せ下さい」
「そうですか。では、コルメリア、頼みましたよ。カムライール様。大丈夫ですよ。お休みなさいませ」
結局、コルメリアは私に付き合ってずっと起きて相手をしてくれた。おそらく一人でいたら嫌なことを考えてどんより落ち込んでしまっただろうから、コルメリアが居てくれて本当に助かった。
翌朝、朝食を終えたぐらいの時間にブレンディアス様はお帰りになった。お部屋に入ってきたブレンディアス様は私の顔を見て驚いたようだった。
「まさか、寝ていないのかい?」
「・・・眠る気になれなくて」
ブレンディアス様は苦笑しながら私を抱き寄せ、そのまま私を抱え上げてベッドに放り出した。
「ブレンディアス様!?」
「母親がそんな不健康な顔をしていたらイーデルシアの教育上良くない。寝なさい。そして私も疲れた。私も寝る」
そう言って上着を脱いでシャツもズボンも脱ぎ、下着一枚のはしたない姿になると、ブレンディアス様もベッドに潜り込んできた。そしていつものように私を抱き寄せる。心得た侍女達がカーテンをしっかり閉じてドアを閉めた。部屋は真っ暗になった。
私を背中から抱えているブレンディアス様からはいつもよりも強い汗の匂いがした。お風呂に入っていないからだろう。あのヘルミーネ様の香りはしなかった。おそらくそれを確かめさせたくてお風呂に入らなかったに違いない。
「ブレンディアス様・・・」
「話は後にしよう。イール」
ブレンディアス様はいつもするように私の頭に頬摺りをした。そういえばここ数日、こうしてブレンディアス様と寝ていなかったのだ。私はブレンディアス様の裸の胸に頬を寄せた。
「はい」
話などする必要は無いのだ。ブレンディアス様はこうして帰ってきて下さった。そして変わらず私をこうして抱きしめて慈しんで下さる。それがブレンディアス様が私を選んで下さったことの何よりの証ではないか。
安心したら急速に眠くなってきた。私はブレンディアス様の暖かさを背中一杯に感じながら、何日かぶりの穏やかな眠りの中に落ちていった。
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