第34話 乾坤一擲

「ふっふっふ。妾の真の力を魅せてやろう」


 何か考えがあるのか、そう言ったアクアは、プランを<念話テレパシー>で3人に共有する。


(妾の大魔術で、敵を一掃してくれようぞ!)

(お前、そんなことが出来るんだったら、早く言ってくれよ……)

(いや、なに、本来の妾ならな? フロア一体を氷漬けにするなど? 造作もないのことなのじゃが? ……でもまぁ、今は魔力が足りんのじゃ)

(……なるほど?)

(じゃからな、至って小規模になってしまうからの。敵をひとまとまりするか、一直線上にならべてほしいんじゃ)


 なかなかに無理難題をおっしゃる。

 それに、いつも『本来の妾』って言っているけれど。本来はどんだけ強いんだ?

 どうすべきか逡巡する。すると――


(私に任せてもらないだろうか)


 神崎が、進み出た。


(いや、でも、ここは俺と二人でなんとかした方が、いい気がするのですが……)

(いや、あの狂化されたキョンシー共を相手取るとなると、二人共かなり損耗してしまうだろう。黄泉川 久遠よみかわ くおんが、まだ何か隠している可能性もある。ここは私に任せて、君は少し温存しておいてほしい)


 頼む……と、神崎が嘆願する。様子がいつもと異なる。頑なだ。ふと神崎を見ると、その粟色の目には、決意と覚悟の火が灯っていた。


(わかりました。ここは、任せます。しかし、危ないと判断したらすぐに援護しますからね)


 ありがとう……神崎はそう言った。

 感謝を意を伝えるのはこちらの方なのに。俺にはまだ神崎の意図を汲み取れなかった。


 神崎は、6体のキョンシー達に向き合って、呼吸を落ち着かせて、意識を集中する。


 <疾走>と<一閃>の合わせ技――


 ――スキル発動、<疾風迅雷>!


 神崎の強烈な踏み込みと空気の壁を突き破る、ゴッという音が鳴る。

 緋色の閃光が、みるみるうちに加速し、稲妻の如きスピードと勢いで、敵の合間を縦横無尽に縫っていく。


 神崎の<疾走>と<一閃>。そのスキルの真髄は、パワーの一斉放出である。

 <疾走>は脚力を、<一閃>は腕力を一時的に高める。力を溜めて、溜めた力を一気に放出することで、通常とは比べ物にならないスピードやパワーを生み出すことができる。

 あくまで一時的。一時的とはいえ、筋肉に負荷をかけるため反動や損傷が激しい。


 <疾風迅雷>は、絶え間なく<疾走>と<一閃>を発動するという合わせ技のようだ。

 身体能力の限界を無理矢理引き出すような感じだろう。

 ――なんて無茶なスキルだ。

 俺が獲得したスキルに<疾風迅雷>は、なかった。


 神崎は、今この場で、己の限界を超えようとしている。


 狂化されたキョンシー達は、神崎のスピードに全くついていけなかった。

 剣士キョンシーと重装騎士キョンシーが、神崎の残像に剣を振り下ろしている。

 キョンシーのパワーも相変わらずで、空振りした剣が地面を割り、徐々に辺り一帯が荒れ地へと変わっていく。


 腕試しをした、あの日。

 神崎が手を抜いていたということはないだろう。実力で言うと神崎の方が上だ。魔術による奇襲で不意をとったにすぎない。

 だけれど、神崎から「参った」と言わせたことで。

 無意識にも俺の中で神崎は、守る対象となっていたのだ。


 おこがましい。なんて自意識過剰な。

 地下大迷宮を攻略したことで自信がついて、無意識にも高慢だった自分が恥ずかしい。


 ギルド連盟のエース。緋色の閃光。四ツ星ハンター。

 俺は、彼女ほどに強く、正直で、愚直で、どこまでも崇高な人間を知らない。

 俺が守る? ありえない。追うのは俺だ。

 俺は、この人の背中を追うんだ――


「へぇ〜。金髪ポニーテールの子もおねぇさんも、なかなかやるんだねぇ〜」


 久遠が感心したように、荒れ地を眺める。


「それじゃあ、こんなのはどうかなぁ〜?」


 ――補え


 邪悪な笑みを浮かべる久遠が、呟いた。

 すると、キョンシー達が動きを止め、『MAXISマキシス』を取り出す。


「!??」


 青い液体の入った注射器を、キョンシー達は躊躇することなく自らに刺した。


「ぐおぉぉぉぉおおおおおお!!」


 地が揺れるような鈍い呻き声をあげる。

 黒く変色した肌が活性化された筋肉で隆起する。血管が青く変色し、浮き出している。燃えるような真紅の目が、凍てつくような青碧に変わっていく。そして、禍々しい黒く淀んだ膨大な魔力が、視認できるほどに増幅されている。


「なんて奴だ……」


 キョンシーはゾンビとは異なり、肉体が腐ることはない。『叡智の書』によると、呪符によって、腐敗は抑えられ、むしろ肉体を維持するために成長するそうだ。髪も伸びるし、爪も伸びる。


 つまり、理論上は『MAXISマキシス』の過剰摂取によって、生前よりも強くなることも可能だ。副作用として心肺停止するリスクもない。最初から心肺が止まっている、屍なのだから。


 鬼門遁甲・陰火きもんとんこう・いんかによって、狂化され――

 MAXISマキシスによって、強化され――

 ――呪符によって絶対服従させられる。


 黄泉川久遠。どれほどまでに死体を弄ぶのか。

 人間の心がないのか。


 狂化され、強化されたキョンシー達が、神崎のスピードに追いつく。

 神崎も流石に驚愕したのか、目を見開く。


■■■


 私、神崎アリスは、何も成長していないのではないか。


 アメリカから日本に帰国し、現職について2年。不本意にもギルド連盟のエースと呼ばれるようになって久しい。


 周りからは過大評価されて、期待されて。

 身に余る評価と期待にさらされて。期待が両肩に重くのしかかり、評価が背を強く引いているのを感じていた。


 不本意……。

 私は、いつも自身の力不足を感じていた。

 期待に応えられているだろうか。応えられるだろうか。

 失望させないだろうか。

 いつも私に付きまとう。


 この2年間、成長が止まっている。そう感じていた。


 もしかしたら自分はここまでなのか。これ以上成長しないのではないか。

 強迫観念に近い期待の重圧が、恐怖となって私の精神を蝕んでいった。


 そんなある日。

 私はダンジョンで、一条 凪いちじょう なぎに出会った。


 底知れないポテンシャルを持つ、一ツ星固有職業ユニークジョブ

 私とは対象的に、周りからは蔑まれ、不当に低い評価を受けていた。


 それでも、自分の可能性を信じ、自分に出来ることをひとつずつ実践し。

 自身の無力感に苛まれながらも、愚直に突き進む。


 明確な目的に向かって小さな一歩を歩み続ける凪。

 一縷の望みを真っ直ぐと見据える凪の目を、私は眩しいと思った。


 私もこうなりたい。

 そう思った。


 地下大迷宮から戻ってきた凪は、心身ともにボロボロだった。

 外見は、以前とは比べ物にならない。全くの別人。

 どれほどの困難を乗り越えればここまで人が変わるのか。

 私には想像もつかない。


 それでも凪の瞳は、以前と変わらず、真っ直ぐと、未来を見据えていた。


 腕試しで一本取られた日。

 死線を乗り越えてきた者に、私は勝てなかった。

 これまで抱いていた羨望や憧れから、その結果は、当たり前だと思った。

 そう思った瞬間、私の胸の奥からじわじわと、これまでにない全く別の感情が湧き上がってきた。


 ――悔しい。

 妬みではなかった。ただ、ただ、悔しいという感情が湧き上がった。

 負けたことに対してではない。

 成長していない自分に対してだ。


 私は勝手に、自分の可能性に蓋をしていた。

 いつしか私は、『これくらいでいい』と力を制御していたんだ。無意識に。

 それを自覚した。


 成長しなければ生き残れない環境から還ってきた凪。

 世界最速でクラスアップしていく凪。

 凪は、近い将来、この国にとって。いや、ダンジョンに書き換わっていく、この世界にとって、なくてはならない重要人物キーパーソンになるだろう。


 負けてはいられない。追いつきたい。

 私だって叶えたい望みがある。

 私はこんなものではない。


 私が、凪の背中を追うんだ。


 だから――


■■■


「だから、私は今! 限界を超えるんだ!!」


 神崎は、驚きで見開いた目を。一瞬怯んだ目から、再び覚悟の火が灯る。


「おおおおぉぉぉぉおお!!!!」


 修羅と化した神崎が吠える。

 緋色の閃光から、赤黒い稲妻が迸った。

 <行動予測>でも追い切ることは出来ないほどに加速する。


 一度は追いついたキョンシー達を置き去りにするほどのスピード。

 重装騎士キョンシーがスキル<突進>で突っ込むも、一撃では力足りず返せない神崎は、目にも留まらぬ連撃で押し返した。手数がパワーを凌駕する。4体の剣士キョンシーから繰り出される剣撃のコンビネーションも、四閃、五閃、六閃と、全て打ち返すが如く、剣速が鞭のように加速する。


 神崎の底しれぬ覚悟からくる気迫に、その場にいる者――全員が、気圧される。

 凪は思わず身震いする。どこまで先に行ってしまうんだ。


 それでも、強化された6体のキョンシーを相手取るには互角。キョンシーのコンビネーションは狂化されて強化されても健在で、むしろその威力は増している。それと、神崎は互角だった。上位の四ツ星ハンター6人を一人で相手にしているようなものだ。


(私は……まだイケる! 今なら斬り伏せられる!!)


 神崎が、そう思ったのも束の間。

 自身の意思とは反して、がくっと膝が地面に着いた。


 身体能力の限界を無理やり引き出し、パワーを一気に放出しきる<疾風迅雷>は、例えるなら花火のように儚い。長く保つはずはない。


 この隙を逃さないように、6体のキョンシーが神崎を囲み、一斉に飛び掛かる。


 しかし、神崎が膝を着くほんの少し前に、凪は<疾走>で駆け出していた。

 キョンシーが、一斉に飛び掛かり、攻撃が当たるよりも先に、凪が神崎を抱き上げる。


 ――スキル発動、<氷柱アイスピラー>!


 神崎を抱きかかえたまま、足元に氷柱を出現させ、一斉に飛び掛かるキョンシー達の上へと逃げる。


「神崎さん、あなたって人は、どれほどすごいんだ」

「ふっ……君ほどではないさ」


 氷柱から更に飛び上がり、上空へと逃げる。


「重畳じゃ! アリス!!」


 アクアは黒のスポーツレギンスに包まれた細く引き締まった足をザッと拡げ、両手を前にかざす。すると、白い霧のような冷気がアクアを包んだ。


「遥かなる北。濃霧と氷塊と暗黒との底に鎖されたる虚無へと誘おう」


――スキル発動、<氷剣地獄ニフルヘイム>!!


 氷柱を砕く6体のキョンシーが一箇所に固まった。その場所から、無数の円錐状の氷が剣となってキョンシー達を襲う。氷剣はキョンシーを貫き、貫いた先から更に氷剣が突き出し、徐々に大きくなっていく。

 それはまるで、凍てつき荒れた大地に咲く、一輪の巨大な氷華の如く、美しく咲き乱れた。

 キョンシー達は氷剣に突き刺された上に、氷塊の一部となっていった。


「屍にお似合いの冥府じゃな」


 俺と神崎は、飛び上がった先に佇む魔術師キョンシーに向かっていた。

 仲間が殺られた後の気の緩み。その一瞬の隙に、全開の魔力を込めた剣の連撃で、細切れにした。

 主力だった全てのキョンシーと葬り去り、俺は久遠と相対する。


「さて、次はお前の番だ。黄泉川久遠」

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