勝手にディスオーダー

飯田太朗

第1話 反社会性パーソナリティ障害

 と、書き始めたがこれは「疑惑」である。正式に診断を受けたわけではない。

 大学の犯罪心理学の授業でサイコパスについて扱う回があった。臨床心理の場面や、医学的場面などで使われるちゃんとした診断を授業内で紹介、やってみましょう、という流れになった。


 高得点だった。まぁ、これくらいの点数みんなとるよな、と思っていたら、違った。みんな僕より低い点数なのだ。先生が「~点の人」と点数ごとに挙手させた。僕は最後だった。一人しかいなかった。


 サイコパス(専門用語的には反社会性パーソナリティ障害というらしい)の疑いがある。そういうことだった。言われてみれば、僕の残虐性が人から非難されることは多々あった。例えば中学時代、僕は土下座をしている相手の頭に(何で土下座をさせたのかは覚えていないが)机をたたき込んだ。当然大怪我で、まぁ、土下座をさせたということは相手の方に土下座をしなければならないほどの非があったのだろうが、僕が悪いことになった。多分、僕とその相手しかいないという環境だったのがいけなかったのだと思う。大勢の前でやっていれば、多少は印象が変わったかもしれない。


「三発の弾丸で四人殺すことは可能か?」

 大学で、こんな思考実験が話題になったことがある。でもこれは実に簡単な答えなのだ。四人の中に一人でも妊婦がいればいい。そうすれば可能だ。「口径の大きい銃で貫通させる」「殺し合いをさせて残った一人を射殺する」「失血死させる」「銃で殴って殺す」などなど色々な意見が出たが僕は妊婦を殺すのが一番楽で数が出せると思う。だいたい妊婦は動きも鈍いし殺そうと思えば銃を使わなくても殺せるだろう。


 僕はこういうことを考えるタイプだった。もちろん、こんなこと口に出しはしない。口に出して注目を集めたら大変だ。何かとやりにくくなる。三発の弾丸で~の話題も、僕は徹底して傍観者でいることにした。みんなの意見を聞いてから、「なるほどねぇ」なんて相槌を打つだけ。中学の時の机をたたき込んだ事件も、もっと言うなら、背中を見せた柔道経験者の先輩を蹴り飛ばしてローファーで滅多打ちにした事件も、周りに人がいないからやった。最悪こいつを黙らせれば何もなかったことになる。そう思った。もちろん結果はうまくいかなくて(まぁ、中学生だし当然か)、親にも教師にもバレて学年集会が開かれるというオチが待っていたが、高校からはうまくやった。多分、犯罪心理学の講義でバレた(という言い方も変だが)のが最大の誤算だろう。みんなもっと高い点を取ると思っていたのだ。


 僕がこうなった理由の一つに、広島に引っ越した時に僕をいじめてきた二つ年上の男子Uくんの存在があると思う。Uくんは万引きの常習犯で、近所のスーパーから寿司を盗んでは公園で食べていた。

 彼はどうも、ストレスの発散を悪事に向けるタイプのようだった。

 近所に八幡川という大きな川があったのだが、そこで鯉を捕まえては鰓をちぎって遊んだり、スリングショット(ウソップの使うパチンコ、と言えば分かるだろうか)でパチンコ玉(金属製)を撃って鷺やアヒルの頭を吹き飛ばして遊んだりしている子だった。


 彼は僕をいじめていた。彼に対抗するには、それなりに悪くならないといけない。

 彼のおかげで、僕は人の背後をとるのが得意になった。彼のおかげで、致命的なダメージを手っ取り早く与えるにはどうすればいいか分かった。彼のおかげで、悪いことをする時は何に気を遣えばいいか分かった。彼のおかげで、目的を達成するには感情が余計だということに気づけた。


 反社会性パーソナリティ障害の発症には遺伝要因と環境要因とあるらしい。僕は間違いなく後者だった。小学生にして引きこもりになるくらいいじめられた僕は、いじめる方法とコールタールみたいな粘度の悪意とを覚えた。多分、これが後々に発露したのがパーソナリティ障害だ。


 もちろん、ただの疑いだ。きちんと診断を受けたわけでもなければ、心理士の類にそうだと言われたわけでもない。ただ、これまでの僕はそうした悪い意味での純粋性に包まれたまま生きてきた。三発で四人殺すには妊婦を殺せばいいし、背中を見せた「敵」は容赦なく排除するし、時には感情を殺した決断も必要だと思っている。


 ただ、僕のこの障害疑惑は。

 この一年ですごく緩和された。妻との毎日や、創作界隈の多くの人との温かい出会いが、僕の心に人間らしさを取り戻してくれた。今の僕は多分、妊婦を銃で殺すなんてことは絶対にしないし、させないと思う。人の気持ちや尊厳を大切にすることを学べたし、心を温かくすることの大切さも学べた。時々、かつての冷たい自分がやってきて、苦しむこともあるけれど、でもこれは僕と僕の戦いだから、いつか決着をつける。あるいは、受け入れる。この一年でよくなったんだ。来年はもっとよくなるだろう。そう思っている。


 最後に。

 僕が反社会性パーソナリティ障害の疑惑があると分かった時、一応、僕は困惑した。僕は社会で生きづらさを感じていて、その生きづらさの正体がこの障害だとしたら、僕は行く行くは犯罪者になるか、そうじゃなければ社会の落伍者か、なんて心配をして、思い悩んだ。僕は犯罪者予備軍なんだ、と。

 その時、僕の研究室の教授、緑川先生が僕を呼び出し、「何か悩んでいることがあるだろう」と訊いてきた。僕はいくらか迷った後に障害のことを口にした。その後に先生は、反社会性パーソナリティ障害の人間に向いている仕事(CEOだとか、弁護士だとか、警察だとか)を紹介してくれた後、こう言ってくれた。


 何になるかは、選べる。


 今でもこの言葉を思い出すと涙が浮かぶ。例え自分がどんな人間でも、何になるかは選んでいいのだ。だから、僕は、潜在的には昨今話題のジョーカーになるリスクはあるのかもしれない。だがジョーカーにはならない。仕事もないし、お金もないし、後述する別の障害のせいで就労できてもすぐクビになったりするし、世の中に必要とされていないことは目に見えていて、ストレスもかなり抱えているが決してジョーカーにはならない。そういう選択をしない。


 僕には反社会性パーソナリティ障害のリスクがある。

 でも僕は、強く生きたいと思う。

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