恋文の物語
サトウ・レン
ラブレターの途中
好きです、
と書こうとした指は止まり、震えていた。手書きの言葉には魂が宿る、と教えてくれたのは伯母だった。その言葉を信じていなかったわけではないが、実感としては薄かったのだ、と思う。それでもなんとか書いた、好きです、は、〈き〉の部分が崩れて〈ま〉に見える。これを渡すのかと思うと、恥ずかしくなり、その紙は丸めて捨てた。新たな紙を用意する。書き直すのは、これで三度目だ。この緊張感がいわゆる、魂、というものを生むのかもしれない。
声が聞こえてくる。すこしカーテンを開くと、その隙間から陽が差し込む。
部屋の窓からちょうど見える公園では、小学生くらいの子ども達が遊んでいる。子ども達の声が鳴く蝉の音に絡んで、その騒がしさはいまの時期にとても似合っている。小学校も夏休みだ。小学生の姿を見ながら、ふいに私は、よく聞かされた〈物語〉を思い出した。成長していく過程で何度も聞かされたそれは、私にとって憧れの物語だった。
私は新しく用意した真っ白な便箋の、その表面を指で撫でる。
あの話を聞いていなかったら、私が彼に手紙を送ろう、と思うこともなかったはずだ。言葉を伝える手段なんて、いまはいくらでもあるのだから。
恋を、した。
いままでにも誰かを見て格好いいなぁ、と憧れることはあったが、それはいつもどこか遠いものだった。自分との繋がりを想像していないし、する気もないものだった。だけど今回は違う。もっと身近に、私自身が触れ合うことを望んでいる。恋の定義なんて私には分からないけれど、これがもしかしたら初めての恋なのかもしれない。高校生の初恋なんて遅すぎるだろうか。
『
と、いつもその〈物語〉はそうはじまる。奈津というのは、私の名前だ。夏に生まれたからナツ。あとは漢字を変えただけ。もうちょっと悩んでよ、と両親に文句を言ったこともある。
いまの時期になると、母はいつも『あ、奈津の時期になってきたね』と楽しげに言う。小さい頃は、漠然とからかわれているような感じがして、母のこの言葉があまり好きではなかったのだが、いまはもう毎年のお決まりの言葉だと思っているので、もし言われなかったら、きっと寂しい気持ちになるはずだ。とはいえ、夏以外の私は、お呼びでないのか、なんてちょっと屈折した気持ちも萌してしまう。
『
私にそう言ったのは、私がいま手紙を送ろうとしている相手だ。
『そんな変かな?』
『まぁ、俺はそう思うけど、でも他と違うところに目を向けられて、それを言葉にできるのは、すごい魅力なんじゃないかな、って思うけど』
もし私のその視点が魅力的に映っているとしたら、それはきっと私が幼い頃、よく私の家に訪れていた伯母の影響だ。彼女は、ひとと違うことをおそれない女性だった。私にとっては、いつまでも魅力的な光を放つ存在だったのだ。その憧れがいまの私を形作るもののひとつであることは間違いない。
『手書きで綴った文字は必ず相手に届く、なんて、そんなことまで言う気はないけど、でも、たとえ結果がどうあれ、その時の感情がどういうものであれ、お互いにとって特別になるはずよ』
恋を自覚した時、真っ先に浮かんだのは、この言葉だった。
この言葉に続くように、ひとつの物語があることを、知っている。
私はペンを置き、息を吐く。
そしてかつてのあの〈物語〉に想いを馳せる。
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