第4話 だから、歌で稼いでいく。
そう前置きしてから、彩は本音を話してくれた。
「本音を言えば、今でも怖い。さすがに
やっぱり。
今まで彩と一緒に活動して、あのセッションの日以来、私の前で一度もお箏を弾いていない。 私の部屋にはお箏がある。にもかかわらず、遊びに来ても全く弾こうとしない。
一度だけ、私が久々にお箏を練習していた時に彩がやってきた折、気晴らしのセッションをした。この三か月、私が見ている場で弾いたのは、出会いのセッション会を除くとそれだけだ。
お箏のセッションで出会いこの関係が始まったのなら、もっと弾いていていい筈だ。それに、ライブで歌以外にもお箏セッションのパートを入れてもいい。彩の曲には、お箏が合う曲も何曲かあるのだし。
しかし、彩が
「何となく、ああ、彩は弾きたくないんだな、とは思ってたよ。彩の曲、お箏が入っても合う曲が何曲かある。弾き歌ったら?とも思った。でも彩は私よりも、お箏も音楽そのものも深く知ってる。お箏が合うなんて百も承知だと思った。何かあるんだろうな、とは思ってた。いまやっと、納得したよ。……納得したけど、あと一つだけ」
私は一呼吸置いた。少し、迷ったからだ。これは更に切り込みすぎか、と思ったけど……。でも、はっきりさせておきたかった。
「彩は、お祖母さんやお母さんのこと、嫌いじゃないんだよね?怖い。怒られる。なに言われるか分からない。そうは言ったけど、嫌い、とは言わなかった」
彩は、一瞬顔をクシャクシャにした。
本当に、一瞬だけだった。涙は……数滴零れたけど、我慢していた。
「そ、れは!……お母さん、昔は大嫌いだったよ。家出だって考えた。でも今は……あのね、私が行く先々、『お母さんが彩をよろしくって言ってたよ』って、みんな言うんだよ? お母さん、心配してくれてたんだ。本当は。この家に生まれたら、行く末は否応なく決まる。なら、それで一本立ちできるようにしなきゃって、どこ行ってもどうにでもなるようにって、私が恥かかないようにって、頑張ってきたんだよ!ちょっと、頑張りすぎただけなんだよ!」
俯く彩。
嫌いじゃない。でも、好きとは言えない。言えないけど……気持ちは分かる。
お母さまが想ってくれていることを、外に出て初めて知った。それでもこびりついた気持ちはそう簡単に拭えない。
彩の複雑な胸の内。私には、とてもじゃないけど理解したとは言えない。
閉鎖された環境で育つと、与えられた道以外の道が無いと思い込む。いつしかそれが頭の中で固定され、音楽以外の選択肢が無いと信じるようになる。
彩はもちろん、彩の母も、そんな固定観念から離れられなかったのだろう。だからその固定観念の中で、できる限り可能性を広げようと彩を導き、行く先が安泰となるよう、手を尽くしていたのだろう。
私は掛ける言葉も見つからず、ただ彩の頭をなでる。彩、優しいね、頑張ったね、と何度も呟きながら。
「なんだよ泣かす気かよ」
少し涙声で、彩は言う。
泣いてもいいんだよ、とも思ったけど、はてさて……。
彩の性格的に、素直には泣かないだろうな。
「でもさ。前のセッション、梨絵との即興は私も神がかってたと思ったんだよ。あれはお金取れるレベルだった。あんなに楽しくお箏弾いたの、初めてだったよ」
もうこの話は終わり、とばかりに彩は話を変える。一瞬で普通の口調に戻った。
立ち直り早すぎる。
少し残念に思いながら、私も手を下ろし、座り直す。彩は続けた。
「私さ、音楽でしか生きて行けないな、とは思ってた。人脈もそっち方面しか無いし、稼ぎ方も音楽関連しか組み立てられない。感覚も働かない。でも、お箏はなるべく弾きたくない。ちょうど1年半くらい前まで、どうしようか悩んでた。」
彩はそう言うけれど、実際は企画を立てるのも様々な交渉も上手く、頭の回転が速い。特に予算の組み立ては目を見張るものがある。気持ちさえ向けば、一般企業でも即戦力として活躍できるのでは? と思えるくらいだ。
尤も、彼女の行っていた大学は、ただ楽器が上手いだの、コンクール上位入賞の常連だのというだけでは入れない。芸術系の大学としては学力も相当必要だ。中堅大学なら余裕で合格できるレベルの学力がいる。つまり、音楽バカではダメなのだ。更にあの大学は国立だ。学力レベルも音楽レベルも、大学が求める基準に達する受験者が一人もいなければ、極端な話入学者はゼロでも構わないのだ。
いま、和楽器系の専攻は、多くの音大で定員割れを起こしている。だから私立音大では、定員確保のために多少合格ラインを下げている学校もある。
そんな中で、音楽、学力、教養、すべてが基準に達するものだけがその門を潜れる。それが、彩の通っていた国立の音大なのだ。
そんな学校に行けるくらいなのだから、元々地頭がいいのだろう。
ただ、彩の真意は恐らく、音楽方面以外にはその脳が働かない、働かせる気が起きない、そう言いたいのだろう。
「ただ、歌うのは好きだったんだ。内緒だけど……学生時代に、歌のオーディション受けたんだよ。本選に行って、審査員特別賞獲った。歌でも行けるかな?と思った。まぁ、受賞歴とか掲げて箔みたに言いふらすと、変なの寄ってきて、そういうの懲り懲りだから言わないけど」
自分でも不思議だけれど、驚きはしなかった。
それくらい当然獲れる。むしろ最優秀じゃなかったのが意外だ。その時のレベルが異様に高かったとしか思えない。
実際、彩の歌はお箏に匹敵する。そこそこ歌える、なんてレベルじゃない。
元々、お箏で音大に行ったり教える資格を得るためには、弾き歌いもやるし地唄もやる。そして彼女の所属する会派は、西洋声楽も盛んだ。それらをベースに様々な歌唱法を学ぶ。だから歌えても不思議じゃない。不思議じゃないけど、彩の歌はそれだけじゃなかった。
技も表現も「歌える」の次元を超えている。
しみじみと古典を弾き歌ったかと思うと、今度はジャズを歌う。かと思うと、ロックも歌う。メタルもやる。ポップスのバラードも、透き通った歌声で情感豊かに歌い上げる。合唱風なんてもう天上の響きだ。
一人の人間がここまで様々な情感を、歌声を、こんなにも操れるのかと思うほど。心にすっと沁み入ってくるのだ。
「たまたまオーディション関係者に、大学の先輩と親しい人がいたのね。その人から先輩が、私のオーディションの話聞いたようでね。コーラスとツインボーカルみたいな感じのサポート頼んできたんだよ。で、歌ってみたんだよ。そしたら評判良かったんだ。それで、自分でも曲もこっそり作ってたし、SSW活動してみようかって思ったんだよ。お箏弾かずに音楽やるなら、この方面も試してみようかと思って」
「歌を拾い上げてくれた先輩がいたんだね」
「うん。先輩もお箏弾きながらメインボーカルやってるんだけど……超保守的なあの学校出の人としては、面白い活動してるよね。見た目もギャルだし。でも、話すとしとやか大和撫子。頭もいい。あれはモテるよ、絶対」
確かに。
あの学校の、特に生田流箏曲専攻は『古典芸能の継承』を
「私も、弾き歌いじゃないけど、ああいう場で歌だけで盛り上げられたんなら、まぁ少しは行けるかなと思って活動始めたんだよ。ただ……」
彩が、さっきまでとは違う、現実的な悩みを抱えような、難しい顔をしている。
「私さ、ポップスの洋楽器の人は人脈薄くてさ。
分かる気はした。
エレキ系を持つと、主張したくなる気持ちは私も理解できる。
でも伴奏でそれをやったら、音楽が崩れる。セッションや合奏は、どんなジャンルであれジャンルなりの調和が必要だ。
調和パターンの引き出しをどれだけ多く持つか。
自らの特性をどれだけ生かし場を選ぶか。
その場に辿り着けるよう人脈を構築するか。
それがこの世界で生きていくための、第一の肝だ。その引き出しが少なく、且つ特性に合った場でない場合、合せるのはなかなか辛い。
その奏者も彩の知り合いだから、腕は確かだろう。
恐らく、彼の得意な方面は、私は全くかなわないだろう。でも、たまたま合わなかった。それだけなんだ。
そう。彩はその方面の人脈が薄い故に、合わない場にその彼が呼び出されただけだ。
「そんな時、あの和楽器の会に行ったの。したら梨絵がいてさ。その音聴いて衝撃だった。利絵がワンコード引いた時、なんか情景がフワっと広がった。でも、強烈な主張じゃない。包むようだった。これは! と思ったよ。試しに合わせたら、どんどん盛り立ててくれる。引き算も丁度いい。こっちの手もずっと見てる。ビックリしたよ。凄い人がいるって思って。梨絵は、人と合わせると本領を発揮する人。この人しかいない、と思った」
「ちょ、ちょっと、言い過ぎじゃない?あれは、彩が凄かったから…ほら、神がかってたって彩が……」
「神がかったのは、梨絵だから。梨絵と私の中にあるお箏と歌が、ピッタリと重なったから。これだけは間違いないよ」
天才に、そう言われる。なんだよ、むず痒くなるじゃないか!
それにしても、気付いていたんだ。
お箏は、下を向いて弾く。
そのため目の前で仕草で指示を出しても、気付かれないケースがかなりある。だから相手が見えているこちらが合わせていくのが、上手く行く秘訣だ。
確かに私は、彩の手を見ていた。弾く右だけじゃない。左手も見ていた。色付けや半音、一音上げで使うし、アルペジオでは弾くこともあるから、左手も意識しないといけない。パターン化している部分が掴めたら、それに合わせ込んだ。
けれど、彩は私が見えていないと思っていたのに、しっかりと視界の端に捉えていたようだ。
むしろ私は、そっちの方に驚いていた。
「上手いとかそういうことだけじゃない。私は梨絵と合う。音も、性格も、演奏で光る役割も真逆かもしれないけど、だからこそ合う。私は、梨絵のバッキング以外考えられない。できる限り、一緒にやりたいと思ってる」
「あ、ありがとう。持ち上げすぎだと思うけど……。私も彩とずっとできれば、って思ってるよ」
恥ずかしさに顔から火が出そうだったけれど、最高に嬉しい一言だった。
私はその恥ずかしさを隠すように俯いて、彩の甘い言葉に応えた。
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