迫る時

 さて時は過ぎ、間もなく年少の部の試合が始まる。


 各道場の選手が一列に並び、審判の掛け声に合わせて道場の正面に向けて頭を下げた。


「互いに礼!」


 続いて選手同士で向き合い、礼をする。

 試合場の開始線に先鋒を残し、他の選手は待機場所へと捌けて行った。


 その時の紡と言うと……先程麟の前で切った啖呵を思い出し、穴があったら埋まりたいような心持ちであった。

 もう少しマシな言い方があったのではないだろうか。というか、わざわざ深い仲でもない相手にあんな宣言をする必要は……絶対に無かった。

 人気が少ない場所でのことだったのは、唯一の救いだ。


「うわっ……!?朝夕先輩、凄い汗ですけど大丈夫ですか……!?」


 紡の顔色を見て、隣を歩いていた真藤が小声で驚きの声をあげる。

 紡は大丈夫だ、と返してから待機場所に座った。

 ……考えようによっては、試合までの緊張が和らいで良かったのかもしれない。


 とはいえ、いつまでもくよくよしている訳にもいかない。

 目前では、二人の少年が竹刀を構えて試合開始の合図を待っている。

 自分の番が回ってくるまでは、後輩の試合に集中しなくては。

 紡はそう思い、姿勢を正した。


「始め!」


 審判が両手に持った紅白の旗を振り上げる。

 尾根山道場の門下生の背には赤色の襷が結われていた。


 先鋒の二人は、互いの出方を探っているのか、距離を保ったまま動く様子がない。

 しかし、これは尾根山道場側にとって悪手と言わざるを得ないだろう。

 相手の動きを見てからの行動に関しては、明らかに蒼道流の方に部がある。


 ただ先鋒の少年はこの道場対抗試合に出場するのはこれが初めてであり、普段相手にしている直心桜流の門下生とは構えも動きも違うのだから、戸惑うのは無理もないのだ。


 やはりと言うべきか、尾根山の先鋒が間合いを見誤って一歩前に踏み出してしまった瞬間……それを逃さぬと言うように、相手が動いた。

 床を足の裏が叩く音と同時に、空間を貫くように打突音が響く。


「面あり!」


 審判が高々と、白の旗を上げた。

 尾根山の先鋒は、明らかに意気消沈してしまった様子である。

 しかし、試合は二本先取。彼の戦いはまだ終わっていない。


「三宅、呑まれるな!」


 紡は開始線へと戻る先鋒の背に、そう声をかける。

 するとそれが届いたのか、先鋒の少年は俯いていた顔を前に向けた。


「二本目……始め!」


 ……結局この試合で、時間内に尾根山の選手が一本を取ることはできなかった。

 ただ、逆に言えば相手に二本目を取らせることもなかったということである。

 試合開始直後とは打って変わって、三宅と呼ばれた少年は精力的に攻めにかかった。


 確かに三宅は経験の浅い選手だが、それは神代側も同じこと。

 次々に襲い来る打突をいなし躱すのが精一杯のようで、中々反撃の機会を見つけられずにいたようだ。

 たまに小手や面に竹刀が当たっても、踏み込みが甘い、打ち込みが弱いという理由で一本には繋がらなかったのである。


「一本勝ち、勝負あり!」


 審判はその声とともに、白の旗を掲げた。

 三宅は相手と礼を交わし、待機場所に帰ってくる。

 それと同時に次鋒が立ち上がり、試合場へと歩を進める。

 ……刻一刻と自分の試合が近づく中で、紡はぎゅっと小手を嵌めたままの手のひらを握りしめた。

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