第2話 園長先生

 僕の保育園の園長先生は二人いる。一人目は定年で辞めてしまった。とても大らかな先生で、とにかく僕に甘かった。


 調子に乗った僕はこっそり園長の椅子にメッセージを添えたお菓子を置いたり、園長の靴にチロルチョコを入れたり等のいたずらをしていた。

 それでも園長はにこにこしてくれていた。ただ、責任感があまりなく、面倒ごとには関わりたくないという性格だった。

 なので、主任の先生方には嫌われていたが、まだ新米だった僕には「やさしい園長」という印象しかなかった。


 そんな園長が辞めた代わりに来た、新しい園長がすごかった。


 まず、性格は前の園長とは正反対。ちゃきちゃきの性格で、ずばずば物を言う。嫌味も上手く、効率重視で、倹約家。そしてものすごく行動的な先生だった。

 例えるなら、泉ピン子さんのようだった。見た目も似ていた。


 僕がフリークラスを担当していた頃、そんな園長が僕に言った。

「壁の塗装が剥げているから、しゅう(僕の偽名)先生、塗って」


 僕は保育士であって、塗装屋ではない。塗装なんてやったこともない。きれいに塗れる自信なんてない。

 しかし、園長は予算を浮かせたいと言う。こうなると有無を言わさない園長なので、もう従うしかない。


 僕はペンキやマスキングテープ等の道具を園のお金で買い、壁の塗装を始めた。


 壁の塗装といっても、壁全体ではなく壁の下の部分にある赤いライン(説明が難しい)を塗った。子どもがコンビカーというもので走り回るので、そこの部分の塗装がごりごりに削れるのだ。

 

 僕は一週間かけて塗った。「塗装屋に転職?」と保護者にからかわれながら塗った。床に這いつくばり、ほふく前進をしながら塗り進めた。

 真冬だったので、とにかく寒かった。


 それではっきりわかったのは、プロの塗装屋はすげえということだった。



 ある真夏の日に、園長がふと思いついたように言った。


「草むしりをしよう」


 職員室にいた僕と主任、子育て支援室の先生たちの中で緊張が走る。園長は前触れなく急に思いついたことを言うので、フリー保育士を始めとする担任をもたない先生たちは振り回されることが多かった。


 その日は熱中症警報が出ていて、子どもたちの外遊びを制限しているくらいの暑さだった。しかし、園長は止まらない。


 そんな中で草むしりは始まった。


 地獄のような炎天下の中、先生たちはがむしゃらに草むしりをする。とは言ってもみんな仲が良いので、世間話をしながら最初は楽しくやっていた。最初は。


 次第に先生たちの顔から生気が無くなっていく。ベテランの先生方が滝のように汗を流し、「へへへ」と、なぜか薄笑いを浮かべながら草を抜いていく。


 僕は夏が大の苦手なのだが、その時は変なスイッチが入っていた。気分がハイになり、めっちゃがんばった。


 まずダウンしたのがうつ病のベテラン先生だった。今にも灰になりそうである。「だめだ、こりゃだめだ」と何度も呟く。他の先生たちも燃え尽きそうだった。


 しかし、誰もやめようとは言わなかった。いや、言えなかった。


 なぜなら、園長が誰よりも草をむしっていたからだ。


 園長がものすごく動くのだ。ただ指示をするだけでなく、同じように汗を垂れ流しながら草をむしるのだ。その目はギラギラと輝いている。誰も文句が言えない。

 園長がやめようと言うまでやるしかない。でも、園長がそんなことを言わないのはみんなよくわかっていた。


 これはとっとと終わらせるしかねえ、と僕は仲のいい先生と小声で確認しあった。その後ろで何かと理由をつけてサボるうつ病の先生。そのサボり方は見事だった。


 まるで死の行進のようだった。結局、最後まで園長と僕がそのままのペースで動き続けた。草は全て消えた。


 他にも「砂場起こし」というものがあった。定期的に砂場をシャベルで掘り起こし、かきまぜ、日光にさらして衛生的な状態を保つ。これがなかなかの重労働だった。

 しかし、子どもはそれで出来た巨大な砂山に大喜びする。


 その延長線上で、「砂場も園庭も砂が多いから、集めて工事現場に持って行こう」と園長が言い始めた。


 そこからが地獄。


 砂を袋に詰め、園長の軽自動車と主任の先生の買ったばかりの新車に運ぶ。

 砂を掘り、袋に詰め、車へ運ぶのをほとんど僕が主導した。

 そして園長がいつの間にか問い合わせていた工事現場に、車で15分くらいかけて持って行く。

 それを何回か繰り返した。腰がどこかへ飛んで行くほどきつかった。


 それでも自らを見本として、行動で引っ張っていく園長は嫌いではなかったし、むしろその面倒見の良さとエネルギーを心から尊敬していた。


 なにより職員会議がものすごく短くなったことが個人的にはとても嬉しかった。

 

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