第5話 残されたもう一人

 雪は降り止むことなく、木々の下に座る二人の姿を消していた。


 雪がよく降る街に生まれたので、ヒョクにとって雪は珍しいものではない。慣れ親しんだ存在ではあるが、好きでも嫌いでもない。雪は常にただそこにあるものだとヒョクは思っていた。

 とは言えこうして雪山で凍死をすることになってみると、ヒョクは自分の最後に何か特別なものを感じた。雪が死ぬ時まですぐ側にあり続けることに、ヒョクは一種の納得をしていた。

 しかし温かい土地に生まれた者にとっては、雪で死ぬのはあまり望ましいことではないだろう。


 隣に座っている男の声が途切れたので、ヒョクは横を向いてみる。するとほんの少し前までは好物について話していたアリョンは目を閉じ動かなくなっていた。

 そっと額に触れて雪を払っても、体温はまったく感じられない。すでに息絶えたのかもしれないし、今はまだ生物学上は生きていたとしてもそのうち命を終えるのだろう。


(もしかすると、防寒着はこっちの軍の方が優れているのかもしれないな。ま、差は少しだけだろうけど)


 先にアリョンが意識を失った理由について、ヒョクは考えてみた。しかしどちらにしろヒョクにももう動く気力はなく、いずれはアリョンと同じ末路を辿る。


(家族を残して死ぬ悲壮感がなかったあたり、この男は兄弟が多い一家の独身者なんだろうか)


 アリョンは南部の蔚山の出身らしいので、故郷や家族は国連軍による釜山円陣の死守によって守られた可能性が高い。どこか呑気な雰囲気があったアリョンには、大切な人を喪失した様子はなかった。


 だがヒョクはアリョンと違い、すでにいくつかのものを失っている。

 ヒョクのいた街は平壌を目指す国連軍の攻撃により陥落したので、家族がどうなったのかはわからない。ヒョクはアリョンのように、屈託なく故郷に帰る日を夢見たりはできなかった。父も母も幼い妹も、街とともに永遠に失われたのかもしれないのだ。


(だからと言って、どうするってわけでもないが)


 ヒョクにも少し前までは故郷を焼いた敵を憎む気持ちもあったが、死を前にした今はそう恨むこともない。もう感情を強く動かすのにも疲れてしまった。

 手の中にある空になった包装紙を見て、ヒョクは考えた。


(もしもこの男がレーションを分けてくれたように何もかも簡単に分け合えるなら、争わずに済むのだろうか)


 二つに分かれたしまった国を統一させるために始まったこの戦争。「国土完整」と「北進統一」というそれぞれのスローガンを掲げて権力者は戦いを始めたが、その終わりは一向に見えない。領土をめぐる問題は、菓子のようには単純に解決できなかった。

 そうやってアリョンとの間に生まれた一瞬だけの関係をやや美化してみたところで、ヒョクは考え直す。


(いや、だけどお互い終わりが近いことを知っていたからこそ、二人は奪い合わずにいられたのかもしれないな。状況が違えばきっと、俺たちも醜く殺し合っているはず)


 ヒョクは今まで自分がいた戦場のことを考えた。同じ民族同士の争いだからこそ、この戦争は凄惨を極めている。

 敵と味方を分けるものが思想しかないから、どこで線を引けばいいのかわからない。奪い返した土地にいただけの人が裏切り者扱いされて殺されて、勢力図が変わった時には反対にまた同じことが繰り返される。

 同じ民族だからわかりあえるはずというのは、空論だった。

 戦場で迷った男が二人、敵と味方でも談笑したところで、それは何の意味もない偶然の出来事なのだ。

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