第88話 死者からの手紙

ケーニスマルク家当主ベルンハルドは一通の手紙を読んでいた。多忙な彼が公式文章でもなく、親戚でもない人物からの手紙を真っ先に読むのは異例だろう。彼がその手紙を真っ先に読んだ理由は? それは…死んだ筈のリーゼ・グリュックスブルクからの手紙だったからだ。


ベルンハルドはフルフルと身体を震わせていた。そこには自身の悪行が暴かれていた。麻薬を取り扱っている事、息子エーリヒが男爵家の令嬢を殺害した事…彼には身に覚えがあった、事実だからだ。


そして、手紙にはこう締め括られていた。


『自決しなさい。そうすれば、罪は見逃します。そうでなければ、あなたの妻、娘、息子は私と同じように奴隷となり、苦しむでしょう…』


ベルンハルドは眉間に手をやると、


「まずい事になった。この手紙、本物だろう、ならば口封じをしなければな、それこそケーニスマルク家はお取り潰しになる。消印から、近くにいるな…私に歯向かうなど…愚かな娘だ」


ベルンハルドは執事を呼び出すと、市中に密偵を放った。リーゼを探し出す為にだ。


☆☆☆


一方、エーリヒは一通の手紙を前に愕然としていた。何故ならそれは、自身が殺害した筈の男爵家令嬢、クローディア(エミリア)からのものだったからだ。


「そんな筈はない。あの女は確かに殺した! 息も心臓も止まっていて、地中に埋めた…誰かに見られたか? これは脅しと見るべきか? それに、招待状…ふざけた奴だ!」


エミリアの手紙には招待状が添えられていた。


「孤児院へのチャリティーパーティへの誘いか…普段なら行くことはないが、行くしかないか?」


孤児院の住所、それはエーリヒがエミリアを殺害したかつてのケーニスマルク家の別邸の場所だった。どう考えてもエミリア殺害を知りうる者の招待だろう。


「明日か…急だな、気分が悪いな…こんな時は、イルゼを抱いて、サシャでも殴るか」


ニヤリと笑ったエーリヒの目には嗜虐心が浮かび上がる。彼は挑戦者を木っ端微塵に打ち砕くつもりだ。ケーニスマルク家の力を持ってすれば、それは容易い事だ。


それから、エーリヒはイルゼを呼び出して、散々おもちゃにした後、サシャを呼んだ。


この日のエーリヒは嗜虐心が最高潮に達していた。いつものようにサシャを弄び、傷つけて、貶めて、いつもの暴力を楽しむ時間だ。だが、この日のエーリヒは自制できなかった。


「エーリヒ様! も、もう、許してください! こんな恥ずかしい…はしたない事を!」


「うるさい! 雌豚! お前は僕のおもちゃなんだ! 黙って従え!」


「や、止めて!!」


サシャはベッドに縄で縛りつけられて、屈辱な姿勢を余儀なくされていた。そして、エーリヒに散々弄ばれて…


「全くお前にはやはり厳しい躾が必要だな! たっぷり刻み込んでやるから覚悟しろ!!」


サシャはそれがいつもの暴力の時間だと理解した。理不尽…彼女を守る者は誰もいない。法の番人がいれば、直ちに彼女を救出しただろう…だが、あいにくとケーニスマルク家は治外法権だった。そしていつもの暴力が始まる


バシ、ゲシ、グチャ、グチャ


サシャの顔は既に無惨に腫れ上がり、赤い血が飛び散り、歯は砕け、両目とも青黒く腫れあがっていた。だが、今日はいつもと違った、いつもなら、ここで終わり…しかし、今日のエーリヒはなおもサシャを抱き続け、ベッドが軋む、そして、エーリヒはサシャの首を絞め始めた。


「がっぁ!! や、やめってぇ!」


「五月蝿い! この雌豚! 黙れ!! いいところなんだ!!」


エーリヒがサシャの首を絞める手に更に力が入り、サシャの体はガクガクと震え始めた。


サシャは恐怖に慄いていた。普段感じていたのはエーリヒの暴力に対して…しかし、今日のものは、殺意に対して…サシャも必死にもがく…サシャの目からは涙が溢れていた。自身の末路に絶望して…


「ほう? これは?」


サシャの命の火が消え入りそうな時、エーリヒはようやく我に返った。


この男の鬼畜は人間として許されるレベルを超えてしまった。死の直前を迎えたサシャを見た時、エーリヒは嗜虐心に打ち震えた。彼が手を緩めたのは、同じ快感を再び得たいと思ったからだ。


「…これは新しい発見だ」


「ゴホ、ゴホ、ひぃ、ひぃ…」


サシャに再び命の火がともるものの、エーリヒは恍惚とした表情となっていた。


彼は既に人とは異なるモノとなっていた。人の生と死、死に取りつかれてしまったのだ。


サシャは自分の命がそう長くない事を察し、その目は人形の様に虚ろになっていた。

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