将来の夢

 ガタゴトと、石畳を進む車輪の音が馬車の中に響く。流れていく町並みを眺めながら『ゴムタイヤってどうやって発明すれば良いんだろうか』とカインはぼんやりと考えていた。


「ねぇ、お兄様」


 向かいに座り、同じように外の景色を眺めていたディアーナがカインに声をかけてきた。


「なんだい? ディアーナ」


 カインは視線を馬車の中へと移し、向かいに座る可愛い妹の顔を見た。


「エディ君って、自分の家を継ぐことに疑問はないのかな?」


 ぼそりとつぶやかれたディアーナの言葉は、すこし沈んだ声色だった。


「小さい頃に、お父様のお仕事についていって嫌な思いをしたのでしょう? それなのに、学校に支店を作るのに一生懸命だったり、詐欺商品じゃない物を裏ルートで売ろうとしたり。一生懸命商人であろうとしているのは何故なのかしら」

「そもそも、エドアルドには選択肢がなかったってのが一つ目かな」


 ディアーナの疑問に、カインは指を一つ立てて答えた。


「選択肢?」

「そう。エドアルドには兄弟がいない。だから、商会を継ぐ人間がエドアルドしかいないんだよ」


 もちろん、商人としての弟子を受け入れて、そちらを後継者にする事だってできる。商会というのは貴族の家門とちがって世襲である必要はない。

 かといって、順風満帆な家業を持つ人間に息子が生まれたとして、後を継がせようと思わない人間がどれほどいるだろうか。


「小さい頃から『お前は将来この商会を継ぐのだ』と言われて育てば、それが自分の使命であると思い込むし、それ以外にえらべる将来があるなんて思いもしない」

「お父様やお母様が私に、『おしとやかなレディになって、良いお家に嫁ぎなさい』って言うみたいなもの?」

「まぁ、そんなものだね」


 カインが小さく頷く。


「でも、私は絵本を読んで『騎士になる』って選択肢を見付けたよ」

「そうだね。そして、それを叶えるための味方もディアーナにはいた」


 将来、両親の期待を裏切るために、せっかく見付けた選択肢をつぶされないために、ディアーナは世を忍ぶ仮の姿を身につけたのだ。

 両親をだますために世を忍ぶ仮の姿を身につけようと提案したカイン。黙ってフォローしてくれるイルヴァレーノ。お嬢様部分を支え、素の部分は見て見ぬ振りをしてくれるサッシャ。


「エディ君には、味方がいなかったのかしら」

「ディアーナが少女騎士ニーナの本を読んで、自分も騎士になりたいと思ったように、エドアルドは自分の父親の働く姿を見て、商人ってかっこいいな! って思ったのかもしれないよ」


 自分の現状に思いをはせ、エドアルドの身を同情するディアーナに、カインは明るい声で別の可能性を示した。


「そうであれば、商売の仕方を教えるお父さんも、子どもなのにお手伝いをしているエドアルドを受け入れている、商会の人たちもエドアルドの味方だったさ」

「……そうだと良いなぁって、思います」


 すこししょんぼりとして、ディアーナが肩を落とした。カインは向かい合って座っていた席を立ち上がり、ディアーナの隣に座り直した。


「エドアルドは今年魔法学園に入学したんだ。魔法をはじめとしてこれから色んな事を学んでいく。騎士を目指す友人や、魔法使いを目指す友人もきっと出来る。そうして過ごしていくうちに、商人以外のやりたいことが見つかるかもしれないし、ますます『やっぱり商人だな』って思うかもしれない。そうして選んだのが商人という未来なら、それは『選択した将来の夢』なんだよ」


 貴族の子として過ごしていくと、どうしても令嬢は良いところへ嫁ぐこと、長男は家を継ぐことが当たり前の事として育てられるし、次男以降の令息も貴族じゃなくなるかもしれない自分の未来を早いうちから意識する。

 だから、もう将来の夢が決まっていなければならない様な気持ちになってしまうが、ディアーナは今年十三歳、エドアルドはまだ十二歳だ。

 前世で言えば、中学一年生と二年生。まだまだ、将来の可能性は無限大だし、何を選んだとしても、これから努力すれば間に合わないなんてことはない年齢なのだ。


「時間があれば、エドアルド本人に聞いてごらん。他人の気持ちを想像して、勝手に同情するのは失礼だよ」


 カインはディアーナの肩を抱いて、優しく諭す。

 少なくとも、支店開業のために走り回っていたエドアルドは楽しそうだった。将来の選択肢に商人しかなくて可哀想、と思うのはおごった考えなのだとディアーナに気がついてほしかった。


「明日、学園で見かけたら聞いてみます」

「うん」


 そのまま、カインとディアーナは馬車が屋敷に到着するまで、静かに肩を寄せ合っていた。





 次の日、カインが後継者教育として領地関係の仕事を図書室でこなしていると、元気よく扉が開いてディアーナが入ってきた。


「お兄様! ただいま戻りましたわ!」

「おかえりディアーナ。もう、そんな時間なのか」


 カインがちらりとイルヴァレーノを見れば、イルヴァレーノが懐中時計を取り出して時間を確認した。


「お茶の準備をいたしますね。お嬢様はお着替えなさってきてください」


 時間を確認したイルヴァレーノがそう言って、ディアーナに一旦退室を促そうとするが、ディアーナは大きく首を横に振った。


「お兄様に急いでお話したいことがあるの!」

「では、制服を汚さないようにお茶菓子は無しにして、お茶だけ用意いたしますね」


 ディアーナが帰宅後、私室に寄らずに直接図書室にきた事から、こうなる予感がしていたイルヴァレーノは、素直に頷いて図書室を出ていった。


「どうしたの、ディアーナ。何か良いことでもあった?」


 カインは自分の隣の椅子を引いてディアーナに勧めると、優しい笑顔で話の続きを促した。


「あのね、今日、お昼に食堂でエドアルドと会えたの。だから、商人以外になりたい職業はないの? って聞いてみたの!」


 昨日の馬車の中で話したことを、今日早速行動に移したらしい。思い立ったらすぐに行動するのはディアーナの美点である。


「それで、エドアルドはなんだって?」


 カインが答えを催促すると、ディアーナは眉を寄せ、口をへの字に曲げて不機嫌そうな顔を作った。


「ハァ? 幼少期に散々貴族に虐められた経験があるのに、貴族に仕えるような職業に就きたいとか思うわけねぇだろぉ? バカか?」


 ディアーナらしからぬ、ちょっと高めの声で怠そうな口調でそう言うと、


「って、言われましたわ!」


 打って変わってニパっと花開くような笑顔で、いつもの声に戻って報告してくれた。どうやら、エドアルドのモノマネをしたらしい。


「モノマネが似すぎていて、イラっとしちゃったよ。エドアルド、ディアーナに向かってそんな口きいたの?」

「直後にケーちゃんから後ろ頭をはたかれてましたわ」

「ならいいか」


 カインが少し浮かせていた腰を、改めて椅子に下ろす。そのタイミングで、イルヴァレーノがお茶セットを乗せたワゴンを押して図書室に入ってきた。


「本を汚さないために、こちらのテーブルにいらしてください」


 イルヴァレーノの声を合図に、カインとディアーナは席を移動した。


「エディ君は、貴族の欲しい商品、売りたい商品を操ることで、貴族を手玉にとってやる! って意気込みらしいよ。貴重品、必需品、嗜好品、そういった物を手に入れたければ、貴族だって商人に頭を下げるからな! いや、さげさせてやる! って言ってた」

「凄い意気込みだな……」


 貴族とは言え、個人として見れば良い人も悪い人もいるし、魔法勉強会のメンバーとは友人になれそうだ、という意識を持ったはずだったが、それでもエドアルドの貴族嫌いについては、簡単に治る物ではないらしい。


「エディ君は、ちゃんと自分がなりたいから商人になるって思っていたのよ」


 そのために、親に仕事を習い、商会で働く人達に協力してもらい、学校では学生達のニーズを発掘するのに一生懸命動いている。


「私も『騎士になりたい』って言っているだけじゃダメだなって思ったの」


 ディアーナは、グッと拳を握りしめてそう言った。


「ディアーナは、将来騎士になるために体を鍛えてるし、剣術の練習もしてるだろう?」


 希望を述べるだけじゃなく、ちゃんと努力もしているだろうと、カインは小さく首をかしげて見せた。もちろん、公爵家令嬢が騎士になろうとしたら、問題は山積みだし、騎士として必要な体力と技術を身につけただけでなれる物ではない。

 しかし、その他の部分については自分が頑張れば良いとカインは考えている。ディアーナは、ただ騎士になるべく技術を磨いて、その日がくるのを待っていてくれれば良いと。


「それじゃあ、ダメなのよ。お兄様」


 カインの言葉に、ディアーナが首を横に振る。だけど、その顔に悲壮感は全く無かった。


「将来、法律に関することはお兄様がなんとかしてくださるでしょ?」

「うん。そのつもりだよ。国の法律を変えるのに時間が掛ったとしても、領地であれば、後を継いだ僕の権限で女性騎士団は作れる。まずは領騎士団の女性部門を作ってそこで騎士として実績を作ってもらいつつ、同時進行で国の法律を変えるためのロビー活動をやっていこうと思っているよ」


 現在でも、辺境領地の騎士が各領騎士団で実力を付けてから王国騎士団の試験を受ける、という手法は存在する。

 騎士学校に入るお金や基礎技術が無かったとしても、辺境領地の騎士団に雑用係としてなら入団することが出来る。そこから訓練を受けて見習い騎士になり、騎士に叙任されれば大出世である。

 さらに、実力を伸ばすことができれば、王国騎士団の入団試験に合格することも可能なのだ。

領地運営、領騎士団運営に関する仕事を手伝っているうちに、王国の騎士団に入るためのそういうルートがある事を知ったカインは、ディアーナの出世ルートとして利用出来ると考えたのだ。


「期待しているね、お兄様! でもその時に、女性騎士が私一人だけだと結局騎士団として活動するのは難しいでしょう? だからね、私は私の出来る事をすることにしたの!」


 ディアーナは、凄く楽しそうな笑顔でそう言った。仕掛けたいたずらがまだ見つかっていない時のような、新しい遊びを思いついた時のような、そんな何かを企んでいる時の笑顔である。


「……どんな事をやろうとしているのか、聞いても良いかな?」


 カインが怖々と探りを入れる。


「もちろん。お兄様には一番に教えてあげますわ! 私ね、既成事実を作ってしまおうと思いますの!」

「き、既成事実⁉︎」


 ディアーナの口から出た言葉に、カインが身を乗り出す。既成事実という言葉を聞いたカインの脳内に、ちょっとエッチな絵柄が浮かんでは消えていく。


「そう! 学園内に『少女騎士倶楽部』を作ろうと思うの! 魔法学園の規則では、部活動を新しく作る事も出来るし、その内容は公序良俗に反しない、勉学の妨げにならない限りは自由ってなっているの!」


 学園の規則集を一生懸命端から端まで読んだのよ! とディアーナは胸を張った。


「少女騎士倶楽部……」


 その単語から、ディアーナは学園内に女子騎士団を作ろうとしているのだと分かる。


「既成事実って、そっちかぁ」


 カインの体から力が抜け、ふにゃふにゃとソファーに体が沈み込んでいく。既成事実という言葉そのものに、えっちな意味は全くないのだ。


「騎士になりたい女の子が、私だけってことはないと思うの。もちろん、沢山いるとは思っていないけれどね。でも、一人でも二人でもいいから、私以外にも騎士になりたい女の子がいれば、一緒に倶楽部活動が出来るから良いなって」


 一人でも二人でも、と言いつつディアーナの頭の中ではすでに十数人ぐらいの女子騎士団ができあがっていそうだ。うっとりと楽しい未来を想像して、楽しそうに笑っている。


「倶楽部活動としてだったら、騎士志望の男の子とお稽古を付けたりも出来るでしょう? 学園内の活動については、保護者は口出しを出来ない事になっているしね!」


 女子からの合同稽古の申し出を、たぶん騎士志望の男の子達はいやがるだろう。ディアーナの希望するとおりの楽しい倶楽部活動をするには、困難が待ち受けているだろうとカインには想像ができた。

 ただ、楽しそうに語っているディアーナの顔をみれば、今そういった事をいって水を差すのも心苦しかった。


「ディアーナのやりたいことを、やれるだけやってごらん。もちろん僕も応援するからね」

「ありがとう! お兄様。そう言ってくださるって思ってた!」


 テーブルに身を乗り出して、ディアーナがカインの首に抱きついてくる。それを受け止めて、カインはディアーナの背中を優しく撫でた。


 さて、ディアーナの言う『少女騎士倶楽部』はどこまで実現可能だろうか? カインは頭の中でシミュレーションをして見る。


 まず、ディアーナが声をかければ、ケイティアーノが形だけは参加してくれるだろう。ケイティアーノが参加するなら、とノアリアとアニアラもマネージャー枠で参加してくれるかもしれない。

アウロラも声をかければ面白がって参加してくれるかもしれないし、そうなれば平民出身の女の子も参加してくれる子が出てくるかもしれない。

 

 クリスとアルンディラーノなら、合同稽古を受けてくれるかもしれない。クリスとアルンディラーノに近づくチャンスであると考えた令嬢が、騎士倶楽部に参加希望を出すようになるかもしれない。


「そう考えると、結構いけるかもしれないな……」

「エディ君に頼んで、お揃いの騎士服を作ったらきっと楽しいでしょ? 最初は『格好いい服』目当てで入ってくれる子も居るかもしれないわ」


 ディアーナはディアーナで勧誘方法を色々と考えてはいるらしい。カインも、騎士服姿のディアーナを想像して、可愛すぎるな⁉︎ と目を見開いた。


「お兄様に頼り切りじゃなくって、でも一人で孤軍奮闘するのでもなくて。私の将来なのだから、ちゃんと私も動かなきゃって思ったの」


 エドアルドが学園で商人として活動しているのを見て、感化されたらしいディアーナ。

自分で動くと決め、そのために何をすべきかを考え、実行に移すことを楽しみにしている姿を見ると、カインは悔しい気持ちになった。


「ディアーナが急に大人になっちゃったみたいで、ちょっと寂しいな」


 ディアーナの背を撫でながら、カインがぽつりとつぶやけば、


「私もいつまでも赤ちゃんではいられませんもの。でも、まだまだお兄様のこと、頼りにさせてくださいね」


 とディアーナはささやいて、カインに抱きついている手にぎゅっと力を込めた。

 ディアーナが自分から動き出した今、カインも追いつかれないうちに環境を整えなければならなくなった。カインとディアーナの年齢差は三つ。大人になってから、なんて悠長なことを言っていられなくなってしまった。


「学園に通えないのは辛いけど、当主としての仕事を一部請け負っているのはむしろ幸いだったかもしれないね」


 女性も騎士団に入れるように法律を変えること、領地の騎士団に女性の受け入れ体勢を整えること。ひとまずの目標を達成するために、仕事に力を入れることを改めて決心したカインだった。

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