魔王討伐隊 4

「あ、あ、ああああああああああああ」


 カインの背中に張り付いた小さなネズミは、そのままその身を囓るように体の中へと入っていく。痛みと嫌悪感にカインの口からはすさまじい叫び声がもれた。


「お、お兄様!」

「カイン!」


 ディアーナはカインにがっちりと抱きしめられており、身動きが取れなくなっていた。頭だけで振り向くと苦痛にゆがむ兄の顔が間近に見えた。

 草むらに落ちていたアルンディラーノも立ち上がって駆けよろうとしたが、足首でもくじいたのか片足を引きずりながら向かってくる。クリスを担いでいたジャンルーカも追いつき、そっとその場にクリスを下ろした。


「ああああ。なんで、どうして。避けられなかった。だから言ったのに、だから言ったのに」


 アウロラはよろよろと駆け寄るとカインの背中に手を乗せ、魔力を込めた。


「止まるな。諦めるな。振り向くな」


 それは、アベンジリベンジストレンジの主人公の口癖だった。


「ここならコマンド外のことが出来る。選択肢にない選択ができる。出来る出来る。やれるやれる」


 カインの背中が、黒いネズミが入り込んだところからじわじわと黒くなって言っているのが破れた服の隙間から見えた。アウロラは集中し、試せることを試していった。


「痛いの、痛いの、遠いおやまにとんでいけー!」


 アウロラの手のひらが淡く光り、カインの背中にその光が吸い込まれていくが、何も変わらなかった。


「体をむしばむ異物よ、そこから退け!」


 またアウロラの手のひらが淡く光り、カインの背中に吸い込まれていくが、やはり何も変わらなかった。


「体をむしばむ病魔よ、そこから退け!」

「体に潜む悪意よ、霧散し主の元へ帰れ!」


 次々に呪文を唱えていくが、どれもカインには効果が現れなかった。


「あらすごい。治癒に解毒に解呪まで出来るのね。優秀だわぁ」


 一人離れた場所から様子をみていた黒いドレスの女が、驚いたように弾んだ声で賞賛をした。


「い、痛い。痛いよお兄様」


 ぎゅうぎゅうと締め付ける様にディアーナを抱きしめるカインは、キツく目をつぶっていて痛みをこらえるようにしている。まるでデイアーナの声が届いていないかのように、返事がない。


「カイン様!しっかり! ……ディアーナ様、今腕を剥がしますからじっとしていてください」


 カインと一緒に到着し、とっさの場面で飛び込めなかったイルヴァレーノはアウロラがあらゆる回復系魔法を使っている間、カインの頬を叩いたり肩を揺すったりしながら名前を呼び続けていた。

 カインの様子がおかしいことはわかるが、イルヴァレーノの位置からは背中にネズミがぶつけられた場面が見えていなかったので、何があったのかわかっていなかった。


「カイン様! カイン様!」


 カインの手首を握り、力を込めて腕を開く。少し緩んだ隙にディアーナはサッとしゃがんで腕の中から抜けると、イルヴァレーノの足下にしゃがんで咳き込んだ。胸が圧迫され続けて呼吸が出来ていなかったのだ。


「ああああああ。ダメ……だ。うぐぎぎぎぎ。イル、離れろ」


 腕の中からディアーナがいなくなったことで、カインの腕は自分自身を抱きしめるように身に回された。


「カイン……髪が……」


 足を引きずりながらも、近くまでやってきたアルンディラーノが目を見開いてカインを見つめている。つられてイルヴァレーノもカインの髪に目をやれば、明るく綺麗な金色の髪が、毛先から徐々に黒く変色し始めていた。


「うぐぅ。頭がっ」


 体を抱いていた腕を振りほどき、カインは頭を抱えてその場に蹲った。腕を振り払ったときにはねつけられたイルヴァレーノは、蹲ったカインにすがりつき、肩や腕をさする。


「カイン様! どうしたんですか、カイン様!」

「離れ、ろ。……ディアーナを……みんなを、つれて、はなれ……ろ」


 荒い息の合間に、カインが途切れ途切れに言葉をつなぐ。イルヴァレーノは大きく頷くと、カインの肩を抱いたまま顔だけで振り返った。


「カイン様の様子がおかしいっ。皆さんはいったん離れてください!」


 緊迫したイルヴァレーノの声に、いち早く反応したのはジャンルーカだった。いったんおろしたクリスをまた肩に担ぎ、片足を引きずっているアルンディラーノに反対の肩を貸して草むらの方へと向かって歩き出した。


「ほら……きみも」


 カインの背中に向けて、一生懸命に回復系の魔法を使っていたアウロラの肩を叩いたのはラトゥールだった。半年間剣術の補修を受けていた甲斐があったようで、息切れはしているものの少し遅れるぐらいでちゃんとカインとイルヴァレーノに付いてきていた。

 アウロラの腕を引いて立たせると、ラトゥールもジャンルーカの後を追って歩く。一年生組が十分に距離を取ったのを見届けたイルヴァレーノは改めてカインに向き合った。

 いつの間にか、カインはうめき声を出さなくなっていた。


「……カイン様?」

「……」

「大丈夫ですか?」

「……ああ、大丈夫だ」


 帰ってきた言葉に、ほっと胸をなで下ろしたイルヴァレーノ。


「大丈夫だよ、キミ」


 頭を抱えて蹲っていたカインが身を起こして顔を上げた。痛みでぎゅっとつむられていた目が、ゆっくりと開く。

 そこには、金色の瞳があった。


「!」


イルヴァレーノがとっさに距離を取った。支えられていたイルヴァレーノの手が離れることで、カインは一瞬態勢を崩すが、その後ゆっくりと立ち上がった。

 髪はすでに全てが真っ黒になっており、開いた瞳は金色に光っている。そして、こめかみの上から黒く捩れた角が生えていた。


「……カイン様!」

「我は、カインではない」

「そう、この方はあの少年では無いわ」


 いつの間にか、黒いドレスの女性がすぐ近くまでやってきていた。カインの隣まで来ると、しなだれかかるように身を寄せて、肩に頭をそっと乗せた。


「馴染むまでにまだ時間がかかりますわ。あちらにちょうど良い隠れ家を見つけておきましたの」

「そうか」

「いかがです? そのお体」

「魔力量は十分にあるな」

「私としては、もうちょっと年上の男性が良かったんですのよ」

「そうか」


 黒髪になったカインと黒いドレスの女性は、もはや子ども達には興味が無いと言わんばかりに二人で会話を交わしている。やがて、くるりとイルヴァレーノに背を向けると、森の奥へと向かって歩き始めた。


「カイン様! どこに行くんですか、カイン様!」

「我は、カインではない」


 引き留めようと手を伸ばし、しかし訳もわからぬ恐怖で動けないイルヴァレーノが精一杯の勇気を出してカインの名を呼んだ。


「カイン様!」


 二人は、イルヴァレーノ、そしてディアーナ達へ背を向けて歩いて行く。

 そして、このまま去って行ってしまうかと思ったその時。急にカインが振り返り、黒いドレスの女性を突き飛ばすと叫んだ。


「イルヴァレーノ! ディアーナ達を連れて森を出ろ! 俺はまだ飲み込まれてない!」

「カイン様!」

「ぐあっ……近づくな! 俺に近づくな! 良いから、今日は行ったん家に帰れ! ディアーナが駄々をこねても連れて帰るんだ!」


 黒い髪、捩れた角、そして金色の目をしたカインだが、その表情はいつものカインと同じように見えた。


「あんた……。さっさとその体譲りなさいよ!」


 今まで余裕の態度を貫いてきた黒衣の女が、突然ヒステリックに叫んでカインにつかみかかってきた。


「やなこった!」


 カインは難なく黒衣の女性の腕を払って突き飛ばす。黒衣の女性がコロンと転がったのをみて、改めてイルヴァレーノやディアーナ達の方へと顔を向けた。


「まだ負けてない! 諦めてない! 仕切り直すだけだ! 怪我したアル殿下と気絶してるクリスを抱えてちゃ何も出来ないだろ? 僕も考える。元に戻る方法を考えるから、今のところはいったん引き上げてくれ」


 距離を置いて批難していたディアーナやアルンディラーノ達にも聞こえるように、カインはゆっくりと大きな声で、しかし優しい声音で話した。


「させないわよ! 見逃そうと思ったけど、体を譲らないというのなら譲らざるを得なくしてあげるだけよ!」


 そう言って、立ち上がった黒いドレスの女性はカインには見向きもせずにディアーナ達の方へと歩き出した。素早くカインが足払いを掛けてまた女性を転ばせると、その上に腰を下ろした。


「重いわ! どきなさい!」

「イルヴァレーノ! 早く!」


 いつもの、強気なカインの顔。その中に、悔しそうな、だけど悲しそうな表情をみつけてイルヴァレーノは大きくうなずいた。

 カインに背を向けて、イルヴァレーノが走り出した。


「失礼」


 そう言うとイルヴァレーノはディアーナとアウロラを左右に抱えて走り出した。


「殿下と魔法使いも早く!」


 元々撤退の意思があったジャンルーカと、訳もわからず付いてきただけのラトゥールは素直にうなずくとイルヴァレーノの後について走り出した。


「いやぁー! やだあああ! お兄様を置いていかないでっ!」


 女性を尻にしいてくつろぐように座っているカインに、しばらくディアーナの泣き叫ぶ声が聞こえていた。

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