楽しい馬車の旅

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ゴトゴトと揺れる馬車の中、カインとディアーナが二人きりで肩を寄せ合って座っていた。


「ねぇ、あなた。こんな夜中にコッソリと王都を出るなんて……やっぱりいけないわ」


 カインの太ももにそっと手を置き、切なそうな瞳で見上げながらディアーナが震える声を出した。


「何を言っているんだい。もう、決めたじゃ無いか……新しい街で、やり直そうって」


 カインは、太ももに添えられたディアーナの手を包み込むように握りしめると、潜めた声でディアーナの耳元にささやいた。

 ディアーナは『こんな夜中に』とカインに言ったが、窓からはさんさんと明るい日差しが馬車の中へと差し込んでいる。それなのに、カインとディアーナはまるで夜中の馬車の中であるかのように、寒そうに肩をふるわせていた。ちなみに、夏の初めなので馬車の車内は暑いくらいである。


「怖いわ、あなた。最近この辺も物騒になったと噂になっていたのよ」

「新しい街は治安も良いと聞いているよ。ここさえ抜ければ、大丈夫さ」


 芝居がかった口調で会話を続けるカインとディアーナ。馬車の外から笑いを我慢する声がかすかに聞こえてきた。

 と、その時。馬車の窓から差し込む光が遮られ、ディアーナの顔に影が落ちた。「ゴンゴンゴンっ!」と馬車の窓が力強く叩かれる音が響き、ディアーナはびくりと肩をふるわせた。カインにすがりつくようにギュウと袖を握りしめたまま、恐る恐ると言った表情で馬車の窓を振り向くと、


「こんな夜中にコッソリと王都を抜け出るなんて、訳ありのお貴族様だろう!」


 馬車の外に、窓を叩きながら恫喝してくる姿があった。ディアーナからは逆光になっており、恫喝している者の顔は影に隠れてよく見えない。


「馬車を止めて降りてこい! 金目の物を置いていけば命だけは助けてやろう!」


 窓を叩いた人物とは、また違う声が響く。その声に「きゃあ」と小さな悲鳴を上げて、ディアーナはカインに抱きついた。一瞬だらけた顔になりそうだったカインだが、キュッと唇を引き締めると、真面目な顔をしてディアーナをかばうように抱きしめた。

 コンコンコンっ。と今度は馬車の反対側の窓が小さく叩かれる。カインが振り向けば、そこには見習い騎士の制服を着たゲラントが頭を低くしてこちらをのぞき込んでいた。


「お助けいたします。盗賊に気づかれないようにゆっくりとこちらへ移動してきてください」


 とても真剣な顔をしているのだが、左の眉毛がピクピクしているし小鼻もピクピクしている。おそらく、笑いをこらえているのだろう。カインが小さく頷き、ディアーナを抱きしめたまま椅子の上を移動しようとして足に力を込めた、その時である。


「……。事業に失敗し、借金取りから逃げるために王都から夜逃げ中の貴族夫人というのは世を忍ぶ仮の姿っ!」


 弱々しくカインにすがりつき、小さく震えていたディアーナの瞳がキラリと光る。


「しかして、その正体は!」


 ディアーナがガバリと身を起こし、振り向いて窓の外の悪漢へと強い視線を向けた。


「よっ! 待ってました!」


 ディアーナの腰を抱いたまま、空いている手でメガホンを作ってはやし立てるカインの顔も先ほどとは違って明るい。


「正義の味方、美少女自由騎士ディアンヌ! 参! 上!」


 馬車の中で仁王立ちし、ポーズを決めるディアーナ。カインが椅子の上に正座をしてパチパチと一生懸命に拍手をしていた。

 馬車が森の道へと進み、木陰が出来たことで馬車の外にいた悪漢の顔が見えるようになった。男はオレンジ色に近いふわふわとした金髪に、新緑の若葉の様な碧眼の少年、アルンディラーノであった。アルンディラーノの後ろで一緒になって脅し文句を叫んでいたクリスと、困った顔をしつつ少しだけ距離を置いて様子見をしているジャンルーカの姿もみえる。


「自由騎士はずるいだろー」

「馬上訓練に参加させていただけないんですもの。このくらい良いでしょう?」


 馬車の窓を開けて、アルンディラーノとディアーナが普通に会話しはじめた。それを切っ掛けに、少し離れて様子を見ていたネルグランディ領騎士団の騎士が距離を詰めて来た。


「今の訓練内容の総評しますよ~。殿下もクリス君も馬車から離れてくださ~い」

「ゲラント君もコッチまわっておいで!」


 騎士の一人がアルンディラーノとクリスに声を掛け、もう一人が馬車の向こう側にいるゲラントへ向けて大きな声を出して手招きをした。

 その様子を見て、カインは改めて椅子に座り直り、ふぅと小さく息を吐いた。

 エルグランダーク王都邸を早朝に出て三時間ほど、王都の城門から出て馬車でしばらく走った森の中である。まだまだ王都の警備隊や警邏係の騎士の見回り範囲なので森の中を抜けていく道ではあるが治安は良い場所だ。


 ジャンルーカの見送りを兼ねたネルグランディ領行きの馬車は、王妃とエリゼを乗せた王宮の馬車と、子ども達を乗せたディアーナの馬車、そして荷物と使用人を積んだ箱馬車の三台が連なって走っている。その周りには王妃とアルンディラーノを守るための近衛騎士団と、エリゼやカイン達を守るためのネルグランディ領騎士団が騎馬で囲んでいる。

 王都からネルグランディ領地へと続く道は比較的道が太くて治安が良いということで、見習い騎士として騎士団に研修に入って居るゲラントが同行していた。そして、あと半年ちょっとで卒業とはいえ、まだ学生のゲラントが見習いとして同行している事で、クリスやアルンディラーノが「自分たちも見習い騎士として研修を受けたい!」と駄々をこねたのだ。

 その結果、まだまだ治安の良い地域で「馬車の周りを騎馬で護衛する訓練」を実施している所だったのだが……


「馬を寄せて、馬車の窓を叩いて連絡事項を伝える訓練」を始めたところで、カインを含めた子ども達は小芝居をするようになったのだ。


「馬と馬車が接触しない様に距離をつめて、馬上でバランスを崩さないようにノックするってだけの訓練なのに、あの小芝居いりますか」

「いらんだろう。いらんだろうが、楽しそうだから良いんじゃないか」


 王妃とエリゼの乗った馬車を囲っている近衛騎士団がちらりと後ろを振り向きながら小さな声で言葉を交していた。


 最初のウチはクリスもアルンディラーノも真面目に訓練をやっていたのだが、馬車に近づこうとすると車輪を怖がって馬が言うことを聞いてくれなかったり、窓を叩こうとして距離感を誤って手が届かなかったり、腰に佩いた剣の重さでバランスを崩してしまったりとなかなか巧くいかなかったのだ。事前に訓練を受けたことがあったゲラントだけが上手に出来る状況に、クリスとアルンディラーノの機嫌が下がり始めたところで、カインがごっこ遊びをしようと提案したのだ。


「馬を馬車に近づける、手を伸ばして窓をノックする、片手で手綱を操作する、それぞれを意識すると他の事がおろそかになりがちだったから、いっそ『貴族の馬車を襲う盗賊』『盗賊に襲われている馬車をコッソリ助ける騎士』みたいに全部ひっくるめて一動作って考えてやってみようよ」


 とそれっぽい事を言って皆をその気にさせたのだが、実際は『令嬢だから』という理由で馬上訓練の順番が回ってこないディアーナが飽きてふくれっ面になっていたのを、解消する為の提案だった。

 ちなみに、お芝居に巻き込まれそうになったラトゥールは早々に御者席へと逃げている。逃げ遅れていたら「借金取りから逃げる貴族夫婦の幼い息子」役をやらされるところであった。

 カインの順番が来た時には「歌劇場から出てきた令嬢に一目惚れした令息が花屋で花を買ってから大急ぎで馬車を追いかけ、馬上から花束を渡しつつ愛の告白をする」というお芝居を披露し、それを見ていたネルグランディ領騎士団員達は苦笑し、近衛騎士団員たちはドン引きしていた。


 馬車の旅二日目以降も、クリスとゲラントは馬に乗って馬車と併走し、馬上で抜刀する練習など普段学校ではなかなか出来ない訓練を騎士達から受けていた。

 馬車内組は、カードゲームをしたり羽根突きの様なゲームをしたり、馬上のゲラントとクリスを巻き込んでジェスチャーゲームをしたりして馬車旅を楽しんで居た。


 カインの留学中はディアーナとイルヴァレーノとサッシャで、留学前もカインとディアーナと使用人二人だけで過ごしていた領地までの馬車旅は、アルンディラーノとジャンルーカ、ラトゥールが一緒になったことでとても賑やかで楽しい旅になっていた。




 そうして四日目、カイン達は無事にネルグランディ領へと到着したのだった。

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誤字報告、感想ありがとうございます。

悪役令嬢の兄に転生しました7巻発売中。コミック4巻発売中です。

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