悪意無き善人たち
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色々な許可をエルグランダーク公爵家当主から得るのは、実は簡単な事だった。
ディスマイヤは法務省の仕事を家に持ち込む事をしない為、彼の書斎に積まれている決裁待ちの書類は主に領地に関することか、家の中に関することと言うことになる。
領地に関することは、現地で領主代行をしている弟に一任しているため殆ど流し見だけして判子を押してしまう。判断を仰ぐような事態になれば、まずは書類ではなく相談の手紙が来る事になっているので、書類で来るような事柄は些事なのだ。
家の中に関する事は、邸内の修繕や備品の買い足し、使用人の休暇の申請や特別手当の申請等が殆どで、それらは執事が目を通して問題なしと判断されたものがディスマイヤの元までやってくる。執事も、判断を仰ぐような案件の時には直接相談をしにくるので、書類だけが積まれている物は流し見で判子を押しても問題ないものばかりなのだ。
カインは、芸術系授業をディアーナと合同にする事とイルヴァレーノにも楽器を習わせる事の申請書、そして友人を家に招きたい旨をしたためた嘆願書を自分で作成し、執事を通さずにディスマイヤの書斎の決裁待ちの書類の束にそっと差し込んだ。
後日、執事が渋い顔をしながら許可の判子が押された申請書を持ってやってきた。
「あんまり無茶をなさいますな」
と、小言と一緒に書類を置いていったのだった。
おそらく、ゲームでのカインの家族嫌いとディアーナの我が儘という性格付けはこの辺に原因があるだろうとカインは考えていた。
ディアーナが生まれた直後の「親を取られて淋しい」という気持ちと「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」という言葉に対する理不尽さについては、カインの中身がアラサーだったことにより無かったことになっている。
その後の家庭教師たちの「順調です」の一言に信頼を置いてカインの実際の出来を確認しない放置っぷりについても、カインとしてはむしろやり過ぎていることを見逃されている恩恵がデカいとありがたがっていた節すらある。
恐らく、放置する親に対していつか見返すための下準備をしているゲーム版カインの思惑や、甘やかされて好き放題するディアーナの我が儘な無駄遣いの温床となるのが、このディスマイヤの書類決裁の甘さなのだ。
いくら、邸内での強い権限をもって主人やその家族であろうとも間違った時には苦言を呈する権利を持つ執事であろうとも、一旦処理待ちに追加された書類を弾く権利は無いのだ。
現在4歳のディアーナはこの裏技に気が付いていないし、何かねだるときは親ではなくカインにねだる。
カインも、どちらかというと筋を通す方なのでめったにこの裏技は使わない。実際、イルヴァレーノを引き入れるときには正面から直接ディスマイヤに訴えている。(すでに母が味方に付いていたと言うのもあるが)
何はともあれ、無事当主の許可を得たカインは各家庭教師達と日程の調整をし、午後の音楽と絵画習字、魔法の授業をディアーナと合同で出来るようにしたのだった。
学問のイアニス先生と、しつけ担当のサイラス先生には流石に進捗が違いすぎる2人を一度に見ることは出来ないと断られた。カインもこの二つはダメもとで言ってみただけなのであっさりと引き下がったのであった。
「ディアーナ~!一緒に音楽出来るよ~!お兄さまと一緒に演奏頑張ろうねぇ!」
「……」
「ディ、ディアーナ?」
色々な障害を乗り越えて迎えた、合同音楽授業の記念すべき一回目に、ディアーナはあまり乗り気では無いようだった。プクーとほっぺたを膨らませて、小さなヴァイオリンを片手にぶら下げている。カインとは目も合わせようとしない。
「どうしたのディアーナ…。何にそんなに怒っているの?」
ディアーナの前に膝を付き、目線の高さをあわせながらも視線が合わない事にオロオロと両手を泳がせカインはディアーナに構おうとするが、ディアーナはプイッと顔を背けてしまった。
「お兄さまと一緒にするとディはヘタクソって言われるから一緒にするのヤダ!」
その言葉にカインの涙腺が決壊した。青い瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていく。呆然とした表情のまま、涙だけがどんどんと溢れていく。
ボロボロと涙が流れ出す瞳をクライスに向けると
「ディアーナにヘタクソなんて言ったんですか?」
と震える声で問いかける。
クライスはブンブンと頭を横に振って
「言ってない!言ってないよ!」
と否定した。
カインが泣き出したのを目の当たりにしたディアーナは驚いて目を丸くした。いつでも優しくて何を置いてもディアーナを優先してくれて、何か叱るときに困った顔はしてもすぐ笑顔で頭を撫でて誉めてくれるカインが、泣き出したのだ。カインの泣いた顔など初めて見たディアーナは混乱し、そして泣き出した。
「うぁーん!」
「ディアーナ泣かないで…なんで…どうして…やっぱり毎日お城になんて通ったから…」
とにかくわんわんと声を上げて泣くディアーナと、ディアーナを抱きしめながらボロボロと涙をこぼしてブツブツとつぶやき続けるカイン。
途方にくれて2人を眺めることしかできないクライスとイルヴァレーノ。
執事やエリゼも騒ぎを聞いて駆けつけてきたが、やはりその珍しい状況をみてしばらく立ち尽くしたのだった。
授業が中止になり、目に濡れタオルを載せて部屋のベッドに横になっているカイン。
「で?」とそのままの体勢でベッドの脇に立つイルヴァレーノに発言を促す。
「ディアーナ様に『下手くそ』とは言っていないようですね。ですが、カイン様と比べるような発言は度々あったみたいです」
「そうか」
「そういえば、という後出しになって申し訳ないんですがイアニス先生も『ディアーナ様とカイン様はちがいますもんね。ディアーナ様はディアーナ様のペースで勉強していきましょう』という発言をなさることがありました。その時は、そりゃそうだとしか思わなかったんですが…」
「セルシス先生やティルノーア先生は?」
「カイン様と違って色彩センスがありますねとディアーナ様を褒めていた。とハウスメイドが言っていました。ティルノーア先生は『カイン様と違って初々しくてすばらしい!そうやってちょっとずつできるようになっていくのが見たかった!』と叫んでいたのをやっぱりハウスメイドが…」
「そうか」
おそらく全員、悪気があっての発言ではないのだろう。セルシスに関しては完全にディアーナを褒めているだけだ。むしろ、カインの色彩センスを貶しているとすら受け取れる。
しかし、カインと比べるような発言も積み重なっていけば「カインより劣る」と言われているように感じても仕方がないのだろう。
おそらく、誰もディアーナが出来の悪い子だなんて思ってはいない。ただ、ずっとカインの教師をしてきた後にディアーナを教えることになったせいで「普通の子ってこんなだったねそういえば」と思い出してしまったのだ。
結果的に、「カインより劣る」という発言になってしまう。決して、ディアーナを貶している気持ちはないのだろうが、それがディアーナを傷つけたのだ。
アラサー記憶を持ってスタートしている幼児期のカインが出来すぎなのであってディアーナは何にも悪くない。
「大人ってしょうもないな・・・」
カインはぼそりとつぶやいた。
そういえばそうだよな、とカインは思考する。
乙女ゲームであるド魔学は「心に隙間や闇のある男の子が心優しい主人公と知り合い、心を癒されることで惹かれていく」というストーリーなのだ。攻略対象者は心に闇を持っていなければならないのだ。
そんな彼らの生活環境や家庭環境がまっとうなわけないのだ。
会えば可愛い可愛いと抱き上げ頭を撫でるカインとディアーナの両親も、実際の教育の進捗には興味が薄かったり、食事はなるべく一緒に取ろうとしてくれているが行楽に行ったり馬に乗せてくれたりといった遊びを一緒にしてくれることは無かった。
母エリゼは、刺繍や押し花などの淑女のたしなみを教えるためにディアーナと一緒に居る事は多かったが、カインの様に本を読んでやったりなぞなぞやしりとりで遊んだりはしているところは見たことがなかった。
愛されていない訳ではないんだろうが、片手間に愛されている感じはある。
おそらく、アルンディラーノとその両親も似たようなものなのかもしれない。いつも昼食を一人で食べている姿を思い出す。
まだ出会えていない他の攻略対象者たちも、今まさに心に闇の種を植えつつあるのかもしれない。
そのすべてを救うなんていうのは
ディアーナより
「あー…。どうすっかなぁ」
濡れタオルで視界をふさがれているカインのつぶやきを、イルヴァレーノが難しい顔で聞いていた。
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