鬼がいる扉 ~10回、挑戦しても開かないの?~
松本タケル
鬼がいる扉 1/3
(1)
「次の方どうぞ」
扉の向こうから、太い男性の声が聞こえた。廊下には十人ほどが列を作っている。先頭に並ぶ高齢の男性が扉を開けて中に入った。
白い壁で囲われた小さな部屋だ。中央に大きな机が置いてある。
「ひいっ」
老人は小さく悲鳴を上げた。
椅子に座っているのは相撲取りよりも体が大きい『鬼』だった。真っ赤な顔に小さい角、牙も生えている。典型的な鬼の外見だ。
「お座りください」
鬼のすすめで、老人はおどおどしながら座った。
「九十九歳でお亡くなりですか」
鬼は手元のノートに目を通しながら話した。外見のわりに温和な声だ。
「現世に思い残すことはありますか?」
鬼は、ノートにメモを取る準備をした。
「ひ孫が生まれるはずじゃったんですが、会えず
「それは残念。さぞ心残りでしょう」
鬼は内容を記録してから、老人に視線を移した。
「あと、良いことをしたとか、悪いことをしたとか、申告したいことはありますか?」
「特に悪いことはした記憶はないです。なぜ、そんなことを聞かれるんじゃ?」
老人は鬼と目を合わせないようにして聞いた。
「現世での行いと、聞き取りの結果で、天国か地獄かが決まるのです。では、あちらの扉にお進みください」
鬼が丁寧に差出した手の先には入ってきた扉とは別の扉があった。回転式のノブがついた洋風の扉だ。
「どこへ繋がっているのですかの?」
「天国か、地獄です」
「ワシは、天国行きですかの?」
老人が不安げに聞いた。
「扉は神様が作られました。天国か地獄かは、扉が判断します。私には決定権がありません」
それを聞いた老人はヨロヨロと立ち上がって扉に近づき、ノブに手を掛けた。
「一つ言い忘れました。現世に未練があり成仏できない人は扉を開けることができません」
老人はノブを回した。扉は簡単に開いた。
「ワシは未練がなかったということですかの。ひ孫に会えんかったんじゃが」
老人は振り返って鬼に聞いた。
「ほとんどの方が未練をお持ちです。しかし、平均的な未練の場合、そのまま成仏していただきます。開かないのは、現世に相当な執着がある方だけです」
納得した様子の老人は、一礼をして、扉の向こう側に去って行った。
(2)
「次の方、どうぞ」
扉が閉まったのを確認した鬼は、廊下側の扉に向かって声を掛けた。
「失礼します」
謙虚にあいさつをしながら入って来たのは若い女性だ。
「ああ……あなたでしたか。お座りください」
先ほどと同様に椅子をすすめた。
「ありがとうございます」
白いワンピース姿のその女性は、音もなく椅子に座った。
肩まで伸ばした髪、整った顔立ちの美人だ。しかし、笑みはなく、うつむいている。
「今度こそ開けられるでしょうか?」
若い女性は下を向いたまま、鬼に問いかけた。
「前回も申し上げましたが、扉が決めることです。私に決定権はありません」
鬼は数限りなく繰り返してきたフレーズで答えた。
「そうでしたね」
若い女性は弱々しく答えた。両手を膝の上に置き、落ち着かない様子だ。
「……十度目ですか。現世の行いでは間違いなく天国行きなのですが」
鬼は手元のノートを確認した。女性は無言だ。
「この百年間で、十回も挑戦した人はあなたが初めてです」
「そ、そうなのですか」
「亡くなられた方は、一度は必ずここに来ます。そして、扉が開かなかった人の多くは、来なくなります」
「なぜ、来ないのですか?」
女性は理由が知りたくなり、顔を上げて鬼の方を見た。
「現世に強く執着している方々です。どんな形でも現世に残りたいと思っているのです」
「でも……亡くなっているのよね」
「地縛霊のような形で留まることになります。我々としては、あまり望まないのですが」
「二回目以降で、扉が開くこともあるのですか?」
女性は何とか扉を開けたいようで、問い詰めるような視線を鬼に向けた。
「落ち着いてください。良い紅茶が手に入りましたので、いかがですか?」
鬼は立ち上がり、壁際の小さいテーブルに置かれたポットで紅茶を入れて戻ってきた。
「ありがとう。いい香り」
紅茶を一口飲んだ女性は少し落ち着いた様子だ。
「現世の未練が解消したら扉は開きます。二回目で成仏される方はおられますが稀です」
「十回は、やっぱり多いですよね」
女性は自嘲気味に笑った。
「あなたのように、強い未練があるのに、何度も来る人は珍しいです。あなたは、確か……」
鬼はノートをペラペラとめくった。
「二十七歳で亡くなられたのですね」
鬼はノートの内容を確認しながら続ける。
「結納が終わり、まもなく結婚というときに……お気の毒に」
女性は、うつむいて、黙り込んでしまった。
「失礼、配慮が足りませんでした。私は鬼なので人の気持ちが良く理解できないのです。何かお力になれれば良いのですが」
しばらく黙っていた女性は、突然、席から立ち上がった。
「扉、試してみます」
奥の扉に近付き、ノブに手を掛けた。しかし、回らない。何度も試すが同じだった。
「……回らない、何で回らないの!」
狂ったような大声で叫び始めた。片手で開かないので、両手で回そうとする。しかし、接着剤で固定されているかのようにノブは回らない。
「また、別の日に来ます……」
肩を落とした女性は、入ってきた扉へ歩き始めた。
(3)
「あっ、お嬢さん。スタンプカードはお持ちになられましたか?」
女性は鬼に背を向けたまま立ち止まった。
「こちらに、お持ちください」
机まで戻ってきた女性は、胸ポケットからスタンプカードを取り出して渡した。鬼は、十個目の空欄に小さいスタンプを押した。
「これ、何の意味があるのですか?」
女性は投げやりに聞いた。
「おめでとうございます、十個揃いました」
怖い形相からは想像できないほど陽気な声で告げた。
「?」
鬼は机の下から何やら取り出して、不審な表情の女性の前に出した。
それは、くじ引きの箱だ。
「十個、揃った特典です。久しぶりだったので忘れるところでした」
「当たれば、成仏できるとか?」
「そんな都合の良いことはできません。ただし、現世から一つ、品物を取り寄せることができます」
女性は箱から紙を一枚取り出した。鬼はそれを受け取り、内容を確認した。
「なるほど、これをお取り寄せですね」
紙を片手に持った鬼は、机に上にある黒電話の受話器を持ち上げた。
「私だ。現世から取り寄せて欲しい物がある。何の権限かって? ちゃんと規定に沿った依頼だよ。スタンプ十個の特典だ」
電話を切った鬼は、改めて女性に視線を向けた。
「今、調達班が取り寄せます。現世に戻られたら、きっと役に立つでしょう」
女性は椅子に座って待った。しばらくすると、入口の扉から青い顔の鬼が入ってきた。
「これがお取り寄せの品です」
小さい封筒に入った品物を女性に渡すと、青い顔の鬼はすぐに戻っていった。
女性は、封筒の口を開いて中身を確認した。そこに入っていたのは『家の鍵』。
「また、来ます……これを使って、今度こそ」
不気味な笑みを浮かべた。
鬼はその様子を不審に思った。
「亡くなったあとでも、神様は現世の行いを見ています。悪事を働くと地獄行きに変わるかもしれません。お気を付けください」
女性は封筒から鍵を出し、ワンピースの胸ポケットに入れた。
「へえ。死んだあとでも見られるなんてね。まあ、私には関係ないですけど」
鬼の言葉を意に介さない様子で、女性は部屋から出て行った。
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