第2話

 翌日、学校の廊下の開いた窓に寄りかかり、 あずさはヒソヒソと同級生の鈴木亜紀すずきあきに昨日の出来事を話した。

 通りすがるどの先生たちの体には蛇が巻きつき、どの生徒たちの顔色も紫色だった。

「大変だったね。でもダミーのノートを用意しておいて正解だった」

 亜紀は小さく息を吐き、心底安心した。

「味方が他にいないから万全をきさないと。亜紀ちゃんのうちはどう?」

「梓ちゃんと同じような感じ」

 亜紀は首を振った。亜紀は小学校の時からの友人だ。梓は彼女の母のことも知っているが、亜紀の母にも大蛇がついているという。

「そっか。ところでこの前話した誠明院大学せいめいいんだいがく安西教授あんざいきょうじゅをもっと調べてみない?お母さんたちに蛇がついたのって、うちの市で遺跡が発掘された日しばらくしてからぐらいだし、絶対何か知ってると思う」

 梓はノートを開き、切り抜きの中の人の良さそうな中年の安西教授あんざいきょうじゅの顔写真を見せる。

 亜紀はノートにそっと手を触れた。

「そのことなんだけど、その前にちょっと落ち着いて聞いてほしいことがあるの」

「何?」

 亜紀は淡々と宣言した。

「今夜、お母さんについた蛇を何とかして殺そうと思う」

 梓はおどろいて亜紀の腕をつかむ。

「だめだよ。そんなことしたら返り討ちにあってきっと殺されちゃうよ」

「梓ちゃん、私もう耐えられない」

 亜紀の目には涙がたまっていた。

「あの毒を飲んだり食べたりした後、お母さんに何々しなさいって命令されると、喉の奥の方がヒリヒリしたみたいになって体が重くなるの。携帯見られたり部屋を覗かれたり。あの蛇が怖くてやめてって言えなかったけど、今朝耐えられなくてついやめてって言ったの。そしたら」

「そしたら?」

「あの蛇がお母さんの首をがぶりと噛んだの。お母さんは痛そうにしながらあんたのためにやってるんでしょってすごい剣幕で怒った。私、急いで家を出たの。さっきから携帯にお前は悪い子だ、あたしの子じゃないってメッセージが何通も来るの。どっちにしろ私は今日殺されると思う。だったら先に私がやるしかない。もう殺すか殺されるかしかないよ」

 言い切ると亜紀は泣きそうな梓の手を強く握った。

「ねぇ、もしも私が失敗したら私の教室の机の中を探って。机の裏側に貼ってあるメモを読んでね」

「そんな。亜紀ちゃん、考え直して」

「大丈夫だから。明日二人で安西教授のこと調べよう」

 亜紀は気丈に微笑む。

「中島、鈴木、何してるんだ?」

 いつの間にか二人の顔の隣に巨大な蛇の首が浮いていた。

「きゃあ!た、高橋先生」

 二人の前に立つジャージの高橋先生が腕を組むと、蛇がチロリと舌を出した。

「そんなに驚くことないだろ」

「すみません」

「それよりさっきからコソコソ二人で何してる。見せてみろ」

 高橋はノートをつかんだ。蛇が金色の目で二人を睨む。だが梓はしっかりと持ったまま、堂々と告げる。

「違います。鈴木さんにこの前の化学のテストでわからない問題を聞いていただけです。ほら、鈴木さん化学得意でしょ。みんな正解したのに私だけわからないのが恥ずかしかったから、こっそり聞いていたんです」

 言い終わる所でチャイムが鳴った。亜紀がハラハラするが、大蛇がくねると高橋はノートから手を放した。

「なんだ。偉いじゃないか中島。もし鈴木に聞いてもわからなかったら先生の所に来いよ。先生教えられるかわからんが」

 大蛇の顔を頭の上に乗せ、高橋は笑って教室に入っていく。亜紀はホッと胸を撫でおろした。

「梓ちゃんすごいね」

「あのくらいは。うちのお母さんで訓練されてるから」


 翌朝、リビングで梓は弟と食卓につき、パンを咀嚼していた。その都度こっそり手の中のティッシュに吐き出し包んではゴミ箱に捨てていた。梓の目の下にはくまができていた。

 亜紀ちゃんは大丈夫かな。気になって一睡もできなかった。

 母はキッチンでバナナを薄く切り、ヨーグルトの入った器に丁寧に盛りつけている。母に巻きつく蛇は皿に毒を垂らす。テレビではいつものようにニュースが流れている。

『次のニュースです。昨夜十一時頃、○○市の鈴木智子さんが自宅で中学生の娘に酸性の液体を浴びせられた後、近くに置かれた包丁で刺され全治一カ月の大怪我を負いました。警察は娘の鈴木亜紀を殺人未遂容疑で拘束しました』

 梓はがばっとテレビにしがみ付いた。その様子に弟はわずかに梓の方を向いたが、母はバナナを切るのを止めなかった。

 テレビの画面には女子中学生、口論の末の凶行と書かれた派手なテロップとともに、見覚えのある一軒家が映し出されていた。

「うそ」

『鈴木さんの娘は鈴木さんと口論の末犯行におよんだらしく、警察は母親に事情を聞くとともに』

 梓は衝撃で動けなかった。脳裏にはやるせのない激情と怒りを必死に抑え、決意に潤む亜紀の瞳がちらついた。誰よりも梓が頼りにしていた亜紀は蛇殺しを本当に実行し、そして失敗してしまった。

『全く近頃はどうなっているんだろうね。母親を殺しちゃうとか、集団自殺しちゃうとか。我々の時代じゃ考えられなかった事件だよね』

 テレビの中のコメンテーターの男がずけずけとした口調で言った。驚いたことに男はぎょろりと瞳孔が縦に長い金の目に、深緑色ののっぺりした顔をしていて、およそ人間とは思えない。一緒に映っている人たちは人間の姿形はしているが、うんうんと頷くばかりだ。

 なぜ誰も気にしないのだろう。

『そういう事件を起こす特殊な若者のことは全く理解できない。家族を殺しちゃうなんて』

「そうよ、家族を殺すなんて信じられない」

 母がバナナを一際大きな音を立てて切ったので梓の肩が跳ねた。母に巻きついた蛇は母の首筋に深々と牙を突き立てていた。白い首筋からつっと血が流れる。そしてくるりと母は振り返った。梓はテレビから離れ、母の様子を伺いながら席に戻った。弟は皿に視線を 戻し母も梓も気にせず食べている。

「ねぇ梓、ラムーってサイト、梓にはまだ早 いんじゃないかしら?見ない方がいいわよ」

 にこにこ顔の母が手にした器に、首筋から牙を離した蛇がボタボタと毒と牙についた母の血を垂らす。梓は全身に針が刺さったかと思った。

「何のこと?」

「この前ゴミ箱に記事のプリントバラバラにして捨てたでしょ。お母さん気になって紙の欠片の文字をよーく見て調べたの。図書館にまで行って司書さんから話も聞いたわ。ずっと携帯にこっそりしこんだGPS 使って見てたけど、最近よく梓図書館行ってたもんね。勉強してるのかなーって思ってたんだけど」

 笑った母はダンッと器をテーブルに叩きつけた。ヨーグルトは血の混じった毒汁の底に煙を立てて沈んでいる。蛇の顔が血の気の引いた梓の鼻先に触れる。

「読むのやめないと、亜紀ちゃんみたいに悪 い子になるわよ」

「う、うん。もう読まないよ」

「あと、亜紀ちゃんみたいな子と付き合うのもやめてね。先生から聞いたわよ。テストでわからない問題があったら今度からお母さんに全部聞きなさい」

 梓は唾を飲みこみ、声をあげそうになるのを必死にこらえる。ここは一旦従う姿勢を見せた方がいい。

「わかった」

「そうしなさい。さ、全部食べて。昨日から 今朝までずっと食べてないんだから」

 大蛇が梓の手から丸めたティッシュをくわえ、梓の目の前に見せつけるように出す。梓が器を見てためらっていると、母は優しく、さっきよりも大きな声で言った。

「食べなさい、梓」

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