彼女に振られました。異世界で執事始めます。

アル

彼女に振られました。異世界で執事始めます。

 太陽が真上に昇り切る昼前。週末日曜日。

「おはよう。起きるの遅かったね」

 半分閉じたままの瞼を擦りながらリビングに入ってきた彼女。

 金メッシュの入った長めの茶髪は寝起きだからか、上下左右に逆立っている。フリルの付くピンク色のパジャマはシワがついていて、顔ももちろん化粧などはされていない。

 だからなのか、すごく表情が分かりやすかった。すごく不機嫌そうだ。

「私がいつ起きてこようが私の勝手でしょ? なに、悪い?」

「そ、そんなことないよ」

 今日一つめのお叱りを受けた。彼女と付き合い始めてから顔を合わせるたびに毎回こんなような小言を言われているような気がする。

「お腹空いてるでしょ。何か作ろうか?」

「寝起きで食べれるわけないでしょ」

「……ごめん」

 僕が彼女を思って言ったことの全てがからまわっていく。本当につくづく自分のことを愚図だと思う。

「アンタといると私まで陰気くさくなってきちゃう。だから今日は出かけてくるから」

「ちょっと待ってよ。今日出かけるって。……だって今日は」

 いつも僕を置いて、彼女は一人でどこか行って。それでも今日だけは一緒に居たかった。

 だって付き合って一年の記念日なんだから。君が記念日は大切にしたいって、サプライズが好きだって言っていたから色々準備していたのに。

「どうにか今日だけは予定を空けられないかな?」 

 今まで必死に僕が願ったとしても彼女が聞く耳を持ったことはない。

「面倒くさいなー。いきなり断れないの。じゃあ行ってくるから。

 そうだ。また掃除しといて。特にお風呂とトイレ。洗濯物も溜まってるから」

「……うん」


 結局彼女が出かけてから動き出すまで時間を要してしまった。いくら彼女からの扱いに慣れているとはいえ、流石に今日は堪えてしまった。

 外を見ると陽が落ち始めている。

 サプライズで用意していたプレゼントは見つからない場所にしまい直し、奮発して予約を入れたディナーの店にキャンセルの電話をかける。

「言われたこともやらないと……」

 先に掃除を終わらせ、遅くなってしまった洗濯物はコインランドリーで乾燥まで済ませてしまう。

 彼女に夕飯だけは聞いておけば良かった。もし必要だとして、作っておかなかったら大目玉を食らうのは目に見えている。ダメ元でも作っておかなければいけない。

 洗濯物を待つ間に簡単な食材だけスーパーで買い足しておく。

 片手にランドリーバッグ、もう片方の手には買い足した食材の入ったエコバッグ。帰路に着く頃には二十時を回ってしまっていた。

 もしかしたら彼女が帰ってきてしまっているかもしれないと小走り気味に帰る。

 でもそんなことをする必要はなかった。

  

 親しげに男の腕に絡みつき、高級そうなレストランから出てきた彼女とバッタリ遭遇してしまった。彼女はとびきりのメイクをして、きらびやかなドレスを身につけ、僕は見たことがないほど美しく飾られていた。

 だからこそ僕は正常ではいられない。

 頭が真っ白になり、息が詰まる。手元の二つの荷物はほぼ同時に抜け落ちていった。

「まさかこんなとこで会っちゃうとはね」

「誰こいつ?」

 声も出すことができなくなってしまった僕を他所に、彼女と男は平然と話を進めていく。

「ほら前に話した彼氏って態でコキ使ってる男だよ」

「確かに、いかにもパシリですって見た目してるわ」

 勝手に話を進めていく男と彼女の声と小馬鹿にするような笑い声だけが耳から入ってくる。

「そんなこと言ったら可哀想だって。そうだなー、『専属の執事』くらい言ってあげないと」

 

 気づくといつの間にか暗い夜道を一人で歩いていた。

 どうやってあの二人とも別れたのかも、自分がどこに向かっているのかも何も分からない。

 ただ一つ分かることは彼女とは恋人同士なんて対等なものじゃなく、主人と下僕という主従関係だったということ。

 真実を知ってしまった以上、もう耐えることができない。

「死んでしまいたい」

『本当ですか?』

 今の望みを口に出した途端に妙な声が聞こえた気がした。男のような、女のような。子供のような、ずっと老人のような。二重にも三重にも聞こえた声が頭の中で鳴り響いた。

 音のせいなのか激しい頭痛に見舞われ、意識が遠のく。

『ではその命を有効に使わせていただきます』

 先程の声と同じ声で聞こえた、その言葉と同時に両肩に何かが重くのしかかってきた。体が地面の方に強く押されていく感覚と共に、全感覚が深い底に落ちていった。


「っと。ねぇってば。聞こえているの!」

「え?」

 高く細い声で呼びかけられて、意識が覚醒した。しかし決して気絶して横たわっていたわけではないようだ。

 直立不動で目の前にいる可愛らしい女の子と対面していた。

 ホワイトブロンドの髪を肩に届かないくらいで切り揃えられ、半円状に整えたラウンド前髪のおかげで少女の表情が良く見えやすい。ハッキリとした二重瞼にスッと通った鼻筋。色白の素肌に血色の良い唇の桃色がよく映える。

 服装は純白を基調とし、ワインレッドのコルセットが施されたドレスを着こなしている。。ドレスの丈で隠れない素足はローヒールのロングブーツで隠す。

 あまりにも現実から逸脱している美しさと珍しい服装からどこかのお姫様を拝んでいるような、夢見心地に浮ついた気持ちになってしまっていた。

「人の顔ジロジロ見てんじゃないわよ」

 凝視したままの僕の眉間あたりに叱責と同時に少女の手痛いデコピンが飛んできた。

「痛っ!」

「大袈裟ね。それより仕事よろしく」

 悶絶する僕を尻目に少女は一方的に話を続けている。

「仕事って?」

「はあ? 今話したばかりでしょ。ちゃんと話を聞きなさいよ」

 呆れたように少女はどうやら二度目らしい説明を始めた。

「この屋敷の掃除。道具はあなたが用意して。それと夕食の準備は忘れないで」

 淡々と仕事内容が告げられていくが納得できるはずがなかった。

 会ったばかりの少女から命令を受けているの状況の整理が一向につかない。

 それにこれではまるで、彼女にやられていたことと同じではないか。ただただ仕事と言って、面倒なことを押し付けられて。

 なんで僕がやらなければいけないんだ。

「待ってよ」

「待たない!」

 僕が不満を漏らそうとしても、少女による強い圧を持った言葉によって一蹴される。

「私はこれから忙しいの。一分、一秒を無駄にできない。あなたになんか構っていられないの」

 説教をするように、少女は毅然とした態度で僕に言い聞かせてくる。

 言われているうちに自然と僕の方が悪いと思ってきてしまう。

「それと。私は主人で、あなたは執事なの。勘違いしないで、対等な関係なんかじゃない。簡単にタメ口で私と会話をしないでくれる」

 執事。そのフレーズには聞き覚えがある。最後に彼女もそう言っていたな。

 そう思うと、この言葉を彼女から直接言われているような気がしてくる。僕たちの関係は対等ではなく、彼女が上で僕が下。思い出して涙が出そうになるのを、唇を噛んで我慢する。

「じゃあ行ってくるから。後よろしくね」

 そのうちには少女──もといお嬢様は屋敷から出かけて行った。

 

 勝手に仕事を任され、見知らぬ屋敷にただ一人で残されてしまった。

 当然仕事なんかやる気もなければ、それ以上に手につくはずがない。まずはここに訪れたまでの記憶を思い起こさないと。その瞬間。

『メインミッション「屋敷の清掃」が追加されました』

『メインミッション・「お嬢様の夕食」が追加されました』

 と聞き覚えのある声でゲームのアナウンスのようにそう宣言された。

「メインミッション?」

 益々分からないことが増える。

『どちらのミッションを受注しますか?』

「どちらのって……、受けたくないんだけど」

『どちらのミッションを受注しますか?』

 やらないという選択肢は設けられていないようだ。問答無用で質問に戻される。

 こなせないままに終わるだろうと高を括り、適当に「屋敷の清掃」を宣言する。

『承りました』

『時間を設定してください』

「時間?」

『時間を設定してください』

 聞き返しても返事が返ってくることはなく、分からないままとりあえず一時間を設定。

 その後も出来上がり具合、使用道具、水洗いの有無など色々と設定する必要があった。それが全て終わると。

『清掃を開始します』

 その言葉を聞くと、プツンと意識が切れた気がした。

 しかし今回は気のせいで済んだんだろう。瞬き程度に風景を失っただけのはずだ。いる場所も変わっていないし、それほど時間が進んだ様子もない。

『清掃が終了しました』

 終了しましたって──。

 疑って周りを見渡すと明らかに様子が変わっている。埃をかぶっていた絵画や棚は綺麗になり、黒ずんでいたカーペットは本来の色に戻っている。灯りを吸収するような暗い印象だった屋敷内が輝いていた。

「何が起こって──」

 同時にどっと疲れが押し寄せてきた。

 腕や足、背中など体のありとあらゆる所が張っている。立っていることも億劫になってくる。激しい運動をやっていたかのような疲労の状況になっていた。

 このまま寝てしまいたい。仮に眠ったらそのまま死んでしまうような気がする。

 死因は何になるんだろう。過労死?

「……僕らしいや」


「…………っう」

「やっと起きた?」

 どうやら生きていたらしい。

 キングサイズよりも大きいだろうベットに寝かされ、少女の言葉を聞いている。

「この屋敷どれだけ広いと思ってるの。一日じゃ、ましてや一人で終わる訳ないんだよ。どんな無茶したの?」

 少女は出会った時に聞いた声よりもワントーン低い声で囁くように話している。

「帰ってきたらあなた倒れてるんだもん」

 ふと、少女は横になったままの僕の頭を撫でるような格好で言葉を続けた。

「よく頑張ってくれたわ。あなたのこと見直しちゃった。今日はゆっくり休んで」

 褒められてしまった。倒れて、迷惑もかけたのに、こんなに優しくされるなんて。

 こんなこと彼女はしてくれなかったな。

 むしろ彼女は無理にでも仕事を増やしてきて、仕事が終わらなかったら酷く叱られていた。

 仕事が終わらなかったら?

「すみません、お嬢様。ただ今夕食の準備を」

 忘れていた。清掃の他にも任されていた仕事はあったはずなのに。怒られるかもしれない。

「何言ってるの。病人はゆっくり休みなさい。今夜は私が軽い食事を作るから」

 言い残すと、少女は席を立ち部屋を後にしていった。

 どこまでも経験したことがない優しさに、どうすればいいのかと悩んでしまう。

 状況は彼女と一緒にいた頃と変わっていないのに、なぜか、どうしてか少女の優しさに心地よさを感じる。

 自分の存在を無下にせずに認めてくれているそれだけで満足できてしまった。

 少女が何もない僕を認めてくれるなら、もう少しだけでも一緒にいてもいいのかもしれない。

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