6/20 いつから

いつから親父と呼ぶようになったか。乱暴で不器用な、その呼称を。


小学生に上がる前後までは「パパ」だったはずだが、それからお父さんに変わった正確な時期は不明だ。ただ子供心ながらに幼稚な呼び方だという認識があって、いつしかお父さんと称するようになった、という記憶はある。

そこから「親父」へと転ずるようになったのは、おそらく世間並みに中高生であろう。何かしら年上の言葉を聞くことへの反感と、明確な力である親なんてなんともないさという、子供らしい斜な視線を持った時期があったのか。いや、あるとすれば僕自身ではない、と思う。これもまた周囲の風潮だったのだろう。両親に対してよりも集団の中における格好良さへ向ける意識があった。流行りの髪型と服を特に理由もなく真似る、美意識のない格好良さに憧憬を抱いたのだ。これもまた、幼稚な時代だ。

そのままこの年まで来ている、とみればいささか恥じ入るところもあろうが、今に至っては他所で紹介するときに「うちの親父です」と言うことぐらいで、もっとも「うちの父です」という文言のほうがよく使うのだけれど、対面で向かって話すときに「親父はさぁ」となることはならない。むしろ「あなた」「あんた」というほうが多い。これはあちらもそうだ(もっとも、父の場合は「お前」も包含されるが)。同質の二人称を用いることで、対等とは言わないまでも、議論に値する大人になった気でいるらしい。

学生時代に比べ、机を並べて仕事をするようになってから共に過ごす時間は増えた。最初の1・2年など鴨の子よろしくどこにでもついて歩き仕事を覚えた。今や僕がそれなりのウエートを占めるようになり、車で遠出したついでに飯を食うなどということも少なくなったのだけれど。

たまには直接に「親父」と呼びかけてみようか。「釣りにでも行かない?」と。

そこにはまだ乱暴さは残っているけれど、これでコーティングした親愛の情があることを、しっかりと自覚できるはずだ。

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