6/3 雑記

今年も5ヶ月が過ぎてしまい頭を抱えている。割に本も読めていなくて「なぜオレはあんなムダな時間を……」という感じだ。


今日は文調について考えていた。文の書き方については個々人の病癖とでもいうものがあろうが、もう少し簡単な「語り」としての調子である。

どの程度の重みを置くか、錘を下ろしているものがあるかというのは、結局のところどういった題材を扱うのか(テーマではない、念のため)に準ずるところがあって、今考えているものは久々に質感/実在感を強めにするから、どの程度にするべきかと悩んでいるところである。

ライトノベルは戯画的であっていいし、それが要求されるのだけど、時として浮遊感を伴って所在があやふやになるところがある。それは諸氏もこと現実を強く意識する大人になってからこそ感じやすくなるのではないか。

また題材も「書かれるべきこと」=テーマが明確化され、それを適切に表現するために選択することがよりロジカルになるだろうから、結局のところテーマについて掘り下げて思考することがすべてを導いていくのだろうな、という何とも言えない結論に達した。つまり僕の事例に関してはテーマの社会的な/世界の中における重量感をもっと検討するべきだということだ。


というところまでぼんやりと思考しつつ、ある事例がこの論理悪くないのかもなと思わせる。

野球の話なのだが、送球が悪い選手というのは基本的に捕球、あるいはその姿勢が良くないことが多い。その捕球というのはグラブで取るというより先にボールへの入り方、さらには打球へのスタートが大事であり、これは構え方と打球への予測によって改善されるものだ。

最初の考え方が浅ければ浅い創作物になるし、打球への予測と構え方が悪ければ必然難しい打球は失策になる。

昔から母親に「段取り八分」とよく言われたが、この年になって身にしみてくる気がした(ちょっと違うか?)。

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