麻雀は背骨で打つもんだ
「麻雀は『背骨と肚』で打つ
真剣勝負だってことを 覚えておけ!」
(『天牌』より)
生来の麻雀好きのせいで、麻雀漫画を数多く読んできた。
テクニック・セオリーを覚えるために読んだ『オバカミーコ』『爆牌党』、レジェンドとも言われる『哲也』、ロマン溢れる『むこうぶち』、言わずとしれた『アカギ』『天』など、ここで挙げるにはいささか紙幅が足りない。
しかしその中でも、もっとも実際に麻雀を打つ精神的骨子となっているものが『天牌』であり、冒頭のセリフだ。ちなみにタイトルのセリフは『天牌 外伝』で登場したほうである。
猫背で牌を触る主人公・沖本瞬に対して師匠・黒沢が放った言葉だが、僕はこれを単なる実際的な姿勢の話には捉えていない。
確かに物理的な視野狭窄にならないよう、3人+手牌をよく見るために合理的、ではあるのだけれど、メンタルコントロールが上手くできていない時にも姿勢は悪くなる。分が悪くなったり過度に熱中しだすと前のめりになったり、あるいは余裕が出ると煙草をくわえながら足を組んだり、となりがちである。
常に冷静さを保つ、卓上の出来事を真摯に受け止める。そこから虎視眈々とトップを、あるいはプラス領域を狙って打つ。そういった精神が大事だよ、と原作の来賀友志さんはおっしゃっていたのではないか。翻って人生においても、ヤケにならず、諦めず、背筋を正して向かっていく姿勢を示されていたのだろう。
また、来賀さんはtwitterでこうもおっしゃられていた。
《「麻雀はみんなのもの」
この言葉を頭の片隅に入れて置いてください。
麻雀をやると必ずや驕り高ぶり、嫉妬に焦り等、色々な感情が湧き、判断を誤りがちになります。麻雀は自分のものではありません、みんなのもの。》
思い返されることは多々ある。自分自身も若い頃の麻雀に対する態度は負ければ苛立っていたあたり未熟だったと身につまされるし、30も過ぎて牌を触っている時の態度が良くない相手を見ると、やはり符合しているなと感じ、自分を見直すきっかけとなる。
このように含蓄のある言葉を、物語を、哲学を遺してくださった来賀さんは8日に逝去なされた。
僕にとってSNSにおける1行や2行の投稿で死を悼むという行為はどうも軽々しく、公開の場で言葉にすることも控えようと思っているのだけれど、今回ばかりは書き留めておきたいと感じた。それはきっと、かの哲学をある程度の濃度で僕が受け取ることができていたからだと信じたい。
今日も、明日も、善い姿勢でひたむきに勝負へ挑み、刻まれた哲学を語っていく、そうありたいと思う。合掌。
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