流れ着いた物語

白色野菜

流れ着いたモノ



水の中は静かだ。


 ごぽりごぽりと、泡の音が聞こえるばかりで

 自分の鼓動の音すら遠い。


水の中は緩やかだ。

 

 キラキラと水面で乱反射した光は独特の網目模様となってプールの底に現れる。

 水面が揺れる度に、ゆらりゆらりと形を変えるそれは何時も綺麗だった。


 だから水の中は好きだ。

 だから水の中が好きな事がばれないようにずっと泳げない振りをしていた。


 だけど、まさかプールどころか崖から海へ突き落とされるなんて誰が思うだろう。


幸い、突き落とされた場所は岩場でもなく、大した高さでもなく。

 ざぶん、と沈み込んだ体は痛む事無く水の中に受け止められた。


 けれど、プールとは違い海には波と水流がある。

 海水を吸って重い体に驚いて、思わず水面へ向かって泳いでも暴れれば暴れるほど上手く体は浮き上がらない。

 着衣水泳の授業の事なんてすっかり忘れて、パニックになった僕はそのまま何度も意味も無くもがいてもがいてもがいて、息が苦しくなって泡を吐いてまた沈んで。


 自分の立てる細かい泡で自分が上を向いてるのか下を向いているのかも分からなくなった頃、ごぼりと一際大きな泡が肺から吐き出されて。


 ――そして、走馬灯すら見ないなんて、呆気ないな……なんて思いと一緒に

僕の意識と視界はゆっくりと黒に蝕われて消えた。







 次に僕が感じたのは、体のだるさだった。

 眠くて眠くて仕方ない、唇が塩を吹くくらいカサカサで痛いのに、舐めて湿気させる気力すら沸かなくてだけど、緩やかに吸い込む生暖かい潮の風が生きている事を実感させた。


「にゃ~」

 ざらり、と頬を舐められる。

 ふわふわの黒い毛皮が視界の端に映って、日だまりの香りが鼻を擽る。


「おやまぁ、人が流れ着いたのは初めてだね」

 続いて人の声が聞こえた。

 老人のようで、それなのに少女の声のようにも聞こえる。

 アルトでもソプラノでもましては、テノールでもない不思議な音は、確かに人の声だと認識できた。


「生きてるのかい?」

「にゃ~」

 僕の代わりに猫が返事をする。

 そうして、砂浜を踏みつけて近づいてくる足音に安心したからかふっと、体の力が抜けて微睡みの中に沈んでいく。

 けれど、溺れた時とは違う。

 側にある暖かな呼気が、安らぎを教えてくれた。




「なるほど、何も覚えてないと」

「はい……折角助けて貰ったのに、申し訳ありません」

 僕は、嘘をついた。

 あの場所に帰りたくなかったから。

 僕は、嘘をついてこの優しい魔女に助けを乞うた。


「いや、いいさ。あんたの事はクロがきにいってる。なら、記憶が戻るまで居ると良いさ。記憶が戻らなきゃ、あんたが何処のもんかも分からないからね」

 魔女は、知ってか知らずかそれが道理であるとばかりに素知らぬ顔をして海沿いの家の一室を貸してくれた。

 客間のようなそこは、修学旅行のホテルの一室のみたいで清潔で機能的だ。

 テレビもネットも無かったけれど、この家の一階は喫茶店になっていた。


 殆ど、お客さんもこないけれどそこで手伝いをしながら、夏の暑くも穏やかな日々を過ごしている。


 魔女はたまに家の裏手にある砂浜に流れ着いた物を拾ってきてはソレがどんなものなのか僕に語って聞かせた。

 それらは何の変哲もないものもあれば、見た事も聞いた事も無いものもあった。

 魔女は僕に語り終わるとそれらの品物をしかるべき場所へと送り届けていた。


 そんな物語達が零れないように。

 あの日々を忘れないように。


 そんな願いを込めて。

 僕はここに綴る。

 

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流れ着いた物語 白色野菜 @hakusyokuyasai

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