緋色の教室

こめぴ

第1話

 放課後の学生、その行動パターンなんて限られている。

 部活に打ち込む。友達と街に繰り出す。ただ駄弁る。もしくは、付き合っている相手と時間を過ごす。

「青春を売るとしたら、先輩はどこが売られると思います?」

 僕にとっては、この後輩との会話こそがそれだった。

 僕と彼女──七瀬ななせ 由奈ゆな以外は誰もいない、放課後の教室。ずいぶん年季のある教室も、机や椅子も、教卓も。窓から差し込む、燃えるような夕日に照らされていた。

「先輩、聞いてます?」

 彼女はいつも通り、文庫本の向こうから顔をのぞかせた。首を傾げれば、肩あたりで切りそろえられた黒髪が跳ねる。僕はそれを恨めし気ににらみつける。

「……また来たのか」

「また来ました!」

 悪びれる様子もなく、彼女は元気いっぱいにそう答えた。変わらない彼女についため息が漏れる。

 いつからだったか、僕は七瀬に付きまとわれるようになった。きっかけは覚えていない。たぶん大したことじゃないんだろう。普段は全くと言っていいほど接点がないのに、放課後僕が教室で本を読んでいると決まってやってくる。

 毎日毎日、飽きもせず。

 窓の外から聞こえる野球部の掛け声と吹奏楽部の演奏。廊下の外からは暇を持て余しただ駄弁る生徒たち。この絶妙な雑音があると、とても読書がはかどる。だからわざわざ残って読書をしているのに。

「まーた嫌そうな顔してますね」

「事実そうだからな」

 はつらつで騒がしく、スピーカーが服着てるような彼女は、迷惑この上なかった。

 しかし彼女は、「あいかわらずですねー」なんて、気にした様子もない。今となっては何度目のやり取りかもわからないし、それで機嫌を悪くするならとっくに来なくなっている。

「それより聞いてくださいよー」

 七瀬らしい厚顔ぶりを発揮しながら、彼女は唇を尖らせて愚痴を始めた。

「隣のクラスの男子に告白されまして」

「ほーん」

「……反応薄くないです?」

「そうか?」

「もっとこう、あるでしょう! あ、それで今日来るのちょっと遅かったんだな……とか、へ、返事はどうしたんだ……⁉ ドキドキ……とか!」

「この話何回目だと思ってるんだ。どうせ断ったんだろ?」

「まあそうですけど。つまんないです」

 そういう彼女はしれっとしたものだった。告白されたことなんてどうでもいいみたいに、プイっとそっぽを向いて足を揺らしていた。

 驚くべきことに──ってほどでもないけど、どうやら七瀬はかなりモテるらしい。彼女がここに来るようになって早数カ月。その間だけでもこういった話が出た数は両手の指の数より多い。まあ、ノリもよく、この人懐っこい性格だ。笑顔を浮かべるその顔は顎を撫でられた猫みたいにかわいらしいし、納得はできる。

 ただ、その告白よりも俺の反応が気に入らない、みたいな態度はいかがなものか。ため息とともに、ページをめくる。

「でもいいのか、断って。売れるところなくなるぞ」

「? なんの話です?」

「お前が言い出したんだろ」

 『青春を売るとしたら、どこが売られると思うか』。この教室に飛び込んでくるやいなやそう問いかけてきたのは、七瀬のほうだ。

 そう言うと七瀬は、なんというか、ぽかんとした間抜けな顔をしていた。

「なんだよその顔」

「いえ、先輩が私の話を覚えていて、しかも付き合ってくれるのが珍しくて」

「人聞きの悪い」

 それじゃ僕がいつも無視してるみたいじゃないか。別にそんなこともないだろうに。付き合うときは普通に反応する。

「誰かと付き合うなんて青春の代表格だろ。こんなところに毎日来ないで、彼氏作るなり友達と遊びに行くなりすればいいのに」

「前言ったじゃないですか。ここに来るのは、いわゆる休憩です。女子高生するのって、結構疲れるんですよ?」

 七瀬はわざとらしくやれやれと肩をすくめた。

 そういうものだろうか。基本的にはみんな好きでやってると思ってたけど。

「彼氏のほうは──まあ、先輩は気にしなくていいです」

「?」

 七瀬があからさまにぼかすのが珍しくて、つい本からしっかり目線を上げる。彼女はつまらなさそうに頬杖をついて窓の外を眺めていた。

「そんなことより!」

 しかし、突然こちらに向き直る。

「先輩はどうなんです? 先輩にとって売れる青春って、なんです?」

 グイっとこちらに顔を寄せてくるから、つい持っていた本を盾にして間に挟み込む。しかし何がそんなに気になるのか、彼女はその本を押しのけてまでまっすぐ僕に問いかけてきた。

 かと思うと、ニヨニヨしながら語りだす。

「そりゃぁ、私ことかわいい後輩とのぉ、放課後の時間とはわかってるんですけどね~?」

「…………」

「本を読むなー‼」

「あっ」

 我慢ならないとばかりに七瀬は声を上げると、僕の本を取り上げる。……いいところだったのに。

「先輩こればっかじゃないですか! 後輩との会話を楽しみましょうよ! レッツトーキングウィズ私!」

「しょうがないだろ、好きなんだから」

物語自体もだけど、特に知らないことを知るのが、知識がたまっていく感覚が、僕は好きだった。

 前にそう七瀬に話したとき、「えー、使わない可能性のほうが高い知識なんて別にいらないです。効率悪いじゃないですか」なんて言ってたけど。正直「つまらないからやだ」みたいな理由かと思っていたから少し驚いたのを覚えている。こいつだって地頭はいいんだろうな、やらないだけで。もったいない。

「……なんですか」

「いや別に」

 顔に出ていたのか、彼女は探るような視線を向けてくる。でもわざわざ言うつもりもない。「とにかく」と仕切りなおした。

「えっと、僕の青春だっけ。しいて言うなら、僕の青春はそれなんだろうな」

 彼女のほうを指さしながら、そういった。彼女はその指さす先をたどり──取り上げた本を見て、また不機嫌そうな顔をする。

「これですか?」

「そうそれ」

「私より?」

「お前より」

「もー頭に来ました!」

 突如として、七瀬は勢いよく立ち上がった。ガタンと椅子が大きく揺れ、倒れそうになる。それを七瀬はすんでのところで支え、ほっと息を吐く。僕の視線に気づくと、わざとらしく咳払いをして、本を持ったまま走り出し。

「ほらほら! 先輩の大好きな青春がどっか行っちゃいますよ!」

 教室の入り口あたりで振り返ると、僕の本を見せびらかすようにしてそういった。

 小学生か。

「意地でも私のこと意識させてやりますから!」

「待ってくれ七瀬!」

「! せ、先輩まさか──」

「本は丁寧に扱ってくれよ!」

「そればっか‼」

 不機嫌そうに地団太を踏む姿は、子供っぽいといえばそうだけど、彼女らしくもある。

 僕はやれやれと立ち上がった。

 もうそろそろからかいすぎたかもしれない。あまり不機嫌になりすぎると面倒だし、僕も不本意だ。

「七瀬」

 声をかければ、今度こそ教室から飛び出そうとした七瀬は、ゆっくりこちらにふり返った。そのあからさまなジト目は、「私不機嫌ですよー、先輩のせいですよー」とでも言いたげだった。

「……今度は何です? 今度こそ私のありがたみがわかりました?」

「いやそれじゃなくて」

 違うんですか……と恨めしそうにする七瀬に、つい笑ってしまう。

「七瀬はさ、僕が七瀬のことを意識してないっていうけどさ」

 確かにゆっくりと本を読むには邪魔この上ないけど。

 確かに、部活に一生懸命打ち込んだり、友達と遊んだり、若気の至りといえるような失敗をしたり──そんな青春と、この時間は言えないかもしれないけど。

「僕は七瀬のこと──」



『──自己同一性判定値が危険域に達しました。』



   ◆  ◆


「僕……なんて、言ったんだっけ」

 目覚めると同時に、ついそんな言葉をこぼしてしまった。

 視界は暗闇一色。あの学校の懐かしい木製の椅子は、安物のプラスチックチェアへ。夏の夕方の蒸し暑さは、金属の箱の中似るような無機質な冷気に取って代わられた。

頭には不快な重量感。夢の中より数段重い気がする腕を持ち上げて、頭を覆っていたヘルメットのような機械を外す。

 気が付けばすっかり夜になっていた。最低限の家具だけでそろえられた無機質な部屋は、すっかり青く染まっている。唯一の光源は、窓の外から入ってくる、秩序を知らない光たちのみ。壁に映された時計は、すでに日付が変わっていることを示していた。

『おはようございます。七瀬由奈・・・・様』

 そんな部屋に、無機質な声が響いた。

『自己同一性の確認を行います。名前と年齢をお願いします』

「……七瀬由奈、二二歳」

『本日の日付をお願いします』

「二〇六〇年一二月一三日。……もういいでしょ」

 自分の語調が強くなっているのに気が付いて、またいやな気分になる。

機械音声の技術は上がり、もう人のそれと区別がつかないくらいになった。それでも機械らしい感情の無さはなくならない。私はそれが苦手だった。

『いけません』

 私の抗議を、機械音声ははっきりと拒絶する。

『青春売買は、人の青春の追体験が可能となったサービスです。しかし青春売買の中では、人格も、記憶も、感情も、元の青春の持ち主に依存します。そのため──』

「自己同一性の喪失が懸念される、でしょ。わかってるって、そんなこと」

 青春売買は、一〇年前から開始されたサービスだ。ドナーの青春の記憶を取り出して、その追体験ができるようになった。危険だからって反対する人もいるけど、青春を思い出せる、やり直せるとして、すごい速さで広がった。たとえそれが他人の記憶だったとしても。

「大丈夫、なんともないって。私は私。しっかりわかってる」

『しかし先ほどの発言は──』

「目が覚めたばっかで混乱してただけ」

『ですが──』

「あーもう、うるさいうるさい。システム:シャットダウン」

 そう唱えれば途端にあの不快な音声は鳴りやんだ。

 わかってる。私が言ったんじゃない。私が、言われたんだ。

記憶の抽出をすると、抽出される人からその記憶はきれいに消えてしまう。だからこそ自分の人生の一部を売るとかで、『売春』だなんて、昔の言葉を引っ張り出して悪く言われてはいるけど。

「……あの時、なんて言われたんだっけ」

 私は去年、自分の青春を売った。その原因なんて、わかりきっている。

青春を売ればその記憶が消える。なのにこんなに青春売買が普及しているのはなんでか。簡単な話で、基本的に売られる青春は、生きていた時にドナー登録していた故人のものだからだ。


 二年前、先輩は死んだ。


 こんなに医療が発達しても、技術が進歩しても、人が死ぬ原因なんてありふれているもので。その一つを、先輩は運悪く拾ってしまった、っぽい。売ってしまったからはっきりとは覚えてないけど。先輩が死んだことを知る場面は、ぎりぎり私の青春に入っていたらしい。

 だから売ってしまった時のことは覚えてる。先輩が死んで、先輩の青春にすらなれない私の青春になんて価値がないように思えたんだ。

「先輩、結局最後まであんな感じだったしなぁ……たしか」

 人の記憶は結構しぶといもので、こうやっておぼろげに思い出せちゃうのが厄介なところだ。でも考えないようにすれば忘れられる。そう生きていこうと思った頃だった、先輩の青春が売られているのを見つけたのは。

 気が付いたら買っていた。なんでかはわからない。もしかしたら、あんなにかたくなに私との時間は青春じゃないと言い張っていた先輩の青春が、なら何なのか気になったのかもしれない。

 青春売買を使ったことはなかった。今回だけって、そう言い聞かせて先輩の青春を買って──私が売り出してしまった、失ってしまった、もう手に届かない青春が、そこにあった。

 もう何も覚えてない。私が先輩に構いだしたきっかけだってそう。先輩が覚えてないのは別にいい。そういう人だから。でも、きっと私にとっては、青春の始まりで、大切な、大切な思い出のはずなのに。先輩が気付いてなくても、私の中にあるからそれでいいんだって、そう思えていたはずなのに。

 もう、何も覚えていない。

 私が、こんななのに。先輩は、先輩の青春は。

「私との、ことばっかじゃ、ないですかぁ……」

 声が震えた。見えたのはあの最後のシーンだけじゃない。毎日、毎日、飽きもせず先輩の元に来る私。そしてそれを苦笑いしながら、呆れながら迎える先輩。それが先輩の青春だった。

 追体験は追想とは違う。

 見るんじゃなくて、体験する。感じることも、考えることも、思ったことも、私のものじゃなくて、先輩のもので。追体験中、私は私でなく、間違いなく先輩だった。

 だからこそ、あの時先輩が感じていたことがわかってしまう。

 そしてそれは──泣きたくなるくらいに温かかった。

「…………ッッ。はぁぁぁあああ……」

 大きく、大きく息を吐きだした。すれば、胸を占めるあれやこれや体から抜けていく。

 涙は出ない。あれは私じゃないから。私にとっては、失った青春だから。

「これ、なんでしょうね、先輩」

 この感情の名前、本ばかり読んでいた先輩ならわかるのかな。

 罪悪感と安どが混ざり合ったような。

 後悔と喜びが溶け合ったような。

「いっそのこと、泣ければよかったのに」

 だから私は、失ってしまったあの緋色の教室での日々に、思いをはせるのだ。

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