第二十一章 兄妹の休日 (前編)

 どこまでも澄み渡る空気。遠くでは野鳥がさえずっている。目に優しい緑一色が広がる森林地帯。


 絶好のハイキング日和といった森林のど真ん中で、およそそんな穏やかな雰囲気とかけ離れた険悪さを漂わせた二人組がいた。


「なぁ、真耶まや……。そのコンパス壊れてね?」

「失礼な。兄さんが物珍しさに勝手に歩き回るから迷ったんでしょう」

「うぐっ」


 俺と真耶は、武者修行に出かけた陽子と一度別れて、街外れの山の中にいた。休日がてらに復興資材や食料を集める依頼を受けてのことだ。見たことも聞いたこともない動植物ばかりで、ここが異世界だと再認識していた。


 まぁ、そんな呑気な感動は、道に迷ったせいで吹き飛んでしまったわけだが。


「はぁ…。で、どうするんだよ」

「仕方ありません。ここはひとつ、山を散策しましょう。私たちはこの世界のことをもっと知らないといけませんから」

「そうするか」


 考えてみれば、〈イグニア〉に来てからずっと、こんなのんびりとした時間はなかった。木漏れ日の下を歩きながら、横にいる真耶をふと見やる。


 光を受けて透き通るショートの黒髪。スラッとした体型に、アイドル顔負けの美人っぷり。うむ、今日も俺の自慢の妹は可愛い。


「兄さん。目が気持ち悪いです」

「そんな目してないだろ!?」

「しています。近寄らないでくださいシスコン兄さん」

「ひどすぎないか!?」


 昔から俺に対して真耶は当たりがキツいんだよな。困ったもんだ。


「困ったものなのは兄さんです。何度言えばいいんですか。過保護すぎるんですよ」

「心の中を読んだ、だと…!?」

「簡単な推理です。兄さんのことは、昔からよく知っているんですから、このぐらいは当たり前ですよ」


 たまに思う。昔からこんな風に頭脳明晰だった妹にとって、才覚が生きづらさを生んでないかと。余計なお世話かもしれないけど。


 降りかかる火の粉はもちろん払う。その上で、真耶の人生をどう生きるかは自分で決めて欲しい。そのためなら俺は…。


「きゃあああああああああああああ!!」

「今のは?」

「悲鳴…。あちらから聞こえました!」


 森の奥から甲高い悲鳴が起きた。声の高さからして、子どもの悲鳴だ。危ない状態なのは間違いない、助けないと。


 雑草をかき分け、木々を乗り越えて急ぐ。


 辿りついた先は開けた草原になっており、何匹かの獣と、そいつらに取り囲まれた小柄な人影が見えた。獣はこの世界で猪獅子ライオンボアと呼ばれるタイプだ。大きさは、動物園で昔に観たカバぐらいある。それが数匹、今にも獲物を襲おうとしていた。


「兄さん!」

「ああ!」


 巻き立つ土煙を気にせず、跳ぶ。


 突進姿勢に入っていた一匹を真横から、頭蓋の砕ける感触とともに蹴り飛ばす。残りの猪獅子に動揺が見て取れる。


「たじろいだな? なら、これで終わりだ!」


 『異能リィンフォース』により強化された腕力で一気に拳を叩き込む。手近な猪獅子の脳天をぶち抜くと、突き刺さった腕を振り回した。即席のハンマーと化した獣が、残りをボウリングのピンのようになぎ倒して沈黙させた。


「一丁上がり、っと」

「少しは加減してください、脳筋兄さん。助けた相手にも怯えられては意味がありませんよ」

「手を抜ける状況でもなかったんだ、仕方ないだろ。それよりも…。大丈夫か?」


 小言を飛ばしてくる真耶から視線をそらして、猪獅子に襲われていた人物に手を差し伸べる。


「あ、ありがとうなのです」


 ペコリとお辞儀をしたのは、可憐な美少女と呼ぶに相応しい子だった。ふんわりとカールしたプラチナブロンド、深みのある碧眼に人形のような白い肌。絵に描いたようなお姫様のようにドレスまで着ている。


「か、可愛いです…!」

「いや鼻息荒いし怖いって。落ち着け真耶」

「……」


 女の子の方も軽く引いてるじゃないか。


「え、えっと。お二人は冒険者なのですか?」

「うーん、一応はな」


 〈イグニア〉に来てから俺と真耶は、学校の制服をベースにしつつ、動きやすく改造した衣服を装備している。周りからは一介の冒険者に映るのか。まぁ実際、こうして依頼を受けてるわけだしな。


「わぁ! わたくし冒険者の方とお話しするのが憧れだったのです!」

「そ、そっか」

「それは一旦さておき。あなたの名前は? どうしてこんな所で魔物に襲われていたんですか?」

「申し遅れましたね。わたくしの名前は…リエス。話せば長くなりますが、山向こうすぐの王都に戻る途中だったのです。ですが妙な霧の中で迷ってしまって…。気付けばこんな山の中に……」


 ふむ。要するに。


「迷子か」

「ですねえ」

「ま、迷子というわけではっ。少し休んでいただけなのですっ」

「本当に?」

「信じてください〜!」


 なんだろう、このからかいたくなる感じ。真耶も同じように感じているらしく、悪そうな顔をしてる。やはり兄妹、感性が似てる。


 真面目な話、おそらくドミナスを倒したことで街を覆い隠していた霧が消えて、リエスは山中からここまで出てこれたのだろう。


 よし。いい機会かもしれない。


「なぁ、リエス。俺たちに王都まで送らせてくれないか?」

「兄さん、いいんですか。街の依頼は…」

「どのみち俺たちも迷ってるんだ。こっから一度王都に抜けて、そこから戻っても変わらないんじゃないかな。それに一度王都も見ておきたい」

「ほ、本当ですか! それは助かるのです。お礼は必ずいたします!」


 目を輝かせるリエスに苦笑しながら、俺たちは山を越えて王都とやらに向かうことにしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る