第十六章 霧の中で

 ドミナスの一拍手により街の雰囲気が、スイッチを切り替えたように塗り替わる。


 穏やかな空気が張り詰めて殺伐とし、統制の取れた無音が耳を刺す。明瞭だった視界もいまや濃い霧に包まれていた。終骸が現れた時とも全然違う。『超眼プリズム』の力のせいか、俺の眼には気持ちの悪い淀みが映りこんでいた。


「なにが起きているんだこれ……」

「蓮、そこにいるの?」

「良かった。無事だったか、陽子」

「うん。けど、真耶が見当たらないのよ。どうなってるのかしきゃっ!?」

「ちょっと待てよ。真耶がいないって、一緒にいただろ? さっきまで側にいたはずじゃ…どうなってんだよ!」

「い、痛いって蓮。肩掴まないで」

「…! ごめん、陽子。あいつの身になにかあったらと思ったら…」


 陽子の震える声で、我に返る。駄目だ、真耶のこととなると周りが見えなくなる悪い癖が…。


「大丈夫よ。あの子の強さは、アンタが一番知ってるでしょう。ちょっとやそっとのことじゃ心配ないわよ」

「あ、あぁ。そうだな……」


 陽子はそう言うが、違うんだ。理屈抜きで、唯一の家族である真耶がいないという状況が耐えられない。心の余裕が消えていく。これを見越して状況を作ったのだとしたら、あのドミナスという男は最悪すぎる。一体なんなんだ。


「なんにしても、この霧から出ましょう。それから真耶を探すわよ」

「だな…。それにしても、街の様子がなんかおかしくないか」

「あのオッサンの仕業じゃないかしら。アタシたちみたくスキルを持っているのかも」

「そんなポンポン持ってるものなのか…?」


 こういう時に限って、そのあたりに詳しそうな『管理者』は何も言ってはこない。


 真耶を探しながら霧の中を進む俺と陽子は、人気ひとけのなくなった通りを慎重に歩いていく。


 長く続く通りを抜けると、古めかしい威容の屋敷にたどり着いた。広大な敷地に建てられているらしく、端から端まで見渡せないほど長い塀に囲まれている。門は半開きになっていて、まるで入ってくださいと言っているようで、明らかに怪しい。


「入ってみるか」

「そうね、ここに真耶が囚われてる可能性もあるし」


 敷地の中は、そこも人の気配がまったくない異質な空間だった。屋敷の中ですら使用人や住人を見かけないどころか、俺たちが歩く足音以外に何も聴こえない。


「なんだ……人形……?」

「む。薄気味悪いわね」


 ダンスホールのような広間には、様々なポーズを取らされた人形マネキンが立ち並んでいた。どれもこれも鎧と武器で身を固めている。


「よくわからないけど、こんなところさっさと出ましょ」

「お、おう」


 怖がる様子もなく陽子はスタスタと進んでいってしまう。ホラーは苦手だし、まったく気は進まないが、仕方なくついて行こうとした矢先。


 たす、けて。


「「!」」


 か細く助けを呼ぶ声。陽子にも聞こえたらしく、辺りを見回すが、そこにあるのはただの人形たちだけだ。幻聴か…?


「……まさか。この人形ってそういうこと…? ううん、違う、そんなのあり得ない……!」

「陽子? どうしたんだよ、落ち着けって」

「嘘! だってアイツはっ」


 何かに気付いて急に焦り始める陽子を宥めようと、彼女に近づくと。


 ガコン!! 


 足元で奈落が口を開いた。


 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


「兄さんたちはどこに行ってしまったのでしょう」


 蓮たちが謎の屋敷を訪れている頃、真耶は霧に包まれた街を彷徨っていた。


 蓮も陽子も、忽然と姿を消してしまった。どういう仕組みかはわからないが、ドミナスという男の "拍手" がトリガーだったのだろう。そのドミナス本人も見当たらないが、自分だけ取り残されたのもよくわからない。


「困りましたね……」


 さっきから霧のせいで何も見えない。


 スキル『万召サモン』で暗視ゴーグルを作ってみたが、どうもそういうものでは見通せないらしい。兄の眼なら、あるいは何か視えたのだろうか。


「おい、そこでなにしてんだ」

「む。あなたは確か…ヴェリトさん?」

「てめーはあのガキと一緒にいた女か。丁度いいや。あいつがいない今のうちにとっつかまえて、ドミナス団長の前に引きずっていくぜ!」

「はいそうですかという訳にはいかないですね」


 意気揚々とすごむヴェリトに対して、ゆっくりと拳を構える。


 自分には兄のような身体能力はない。けれど、彼に守られてばかりではいられないと、親戚や友人に頼んであらゆるスポーツや武術を学んだ。それゆえに、刃物を持った人間程度では恐れるに足りない。


「しっ!!」


 突き出されたダガーを体の軸を半身ずらしてかわし、素早くジャブを繰り出す。ヴェリトの鼻っ面を叩いて彼が目をつぶってよろめいた隙に、手刀でダガーをはたき落した。そのまま足払いをかけて地面に倒し、腕をひねり上げて無力化する。


「う、ぐっ、なんだよそれッ…! はなせよっ」

「そんなお粗末な攻撃では話になりませんよ。あ、この際です。ドミナスという男のことを教えてもらえませんか」

「だ、誰が教えてやるかっていたたたたたたたたたた」

「早く話してください。でないと、腕をへし折りますよ?」


 涼しい顔でさらっと告げると、ヴェリトはゾッとした顔でコクコクと頷いた。


 聞き出した話によれば、ドミナスには万物を支配する力があり、その力でこの街を牛耳っている。そして目下の狙いは、強い戦闘能力を持つ蓮を手下にすることだそうだ。だがそれはおかしい。


「なにがだよ。団長はいつもそうやって側近を増やしてんだぜ」

「だって変でしょう。そんな力があるのなら、初対面の時に行使すればよかったじゃないですか。そうしなかったということはつまり、その力は無条件ではない筈です」

「い、言われてみれば。なるほどな。頭いいなおまえ…」

「あなたは少し頭を使った方がいいですよ。人の言いなりになっていては、いつか痛い目を見ます」

「う、うるせーよ! だって、考えて動いたってなんにもいいことねェんだよ……」


 何やらうなだれるヴェリトをさて置いて、思考を巡らせる。


 すなわち、ドミナスの能力の条件とその正体を。

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