第22話〇世界一幸せな年越しそば

 2016年の年の瀬。

 私がシェアハウスに住みだして丸1年が経過しようとしていた。

 去年の暮は家出同然で滋賀県の実家から移り住み、引っ越しの手伝いをしてくれた親に向かって「死ね!」と言い放って一人寂しくモソモソと年越しそばをすすったものだ。

 一応私にも人の心があるので、あの時の出来事は人生でも指折りの後味の悪い出来事として記憶に残っている。

 当時は未だ両親に謝罪はおろか、まともな会話すら交わしてはいなかったが、二度と同じような思いを味わわせてはいけないと思って極力連絡を絶っていたし、私自身も二度とあのような思いをしていない。

 また、顔見知りが誰一人いないシェアハウス内で、親しい者同士のパーティーが開かれている中、独りモソモソと年越しそばをすするなんて経験も、二度としたくはない……絶対に、したくはない!

 なので今年は何としてでも一人年越しを阻止しようと密かに画策していた。

 大丈夫。今年は顔見知りがたくさんいる。

 『言語交流会』という週に2,3度は集まって仲間内でお互いの国の言葉を教え合う食事会も主催していることだし、

 マメに色んな人と旅行に行ったりもしたので、誰かに突然声をかけられたりパーティーに誘われることも無きにしも非ずだ。

 だけど……それだけで確実にボッチにならないとは限らない。

 年末なだけに、親しい人がみんな何かしらの用事が入って、ボッチ不可避な状況になるかもしれない。

 確実にボッチにならないためにはどうしたらいいか……私は考えを巡らした。

 そこで行き着いた結論は、「誰かに取られちゃう前に、私がパーティーを主催すればいいじゃない」


×   ×   ×


「よかったら年末はみんなでおせち料理でも作って食べない?」


 私は言語交流会の席でメンバー一同に提案した。


「おせち料理って何?」


 中国系カナダ人のインが尋ねた。彼女はサンリオキャラクターのみに誘われて訪日したのであって、日本文化に詳しいわけではない。当然、おせち料理なんて聞いたこともないという風だった。


「私、知ってる。お正月に食べる特別な料理よね」


 ポーランド人のオラが答えた。彼女は大学で神道を勉強していただけあって、日本の文化全般に詳しい。頼りになる。


「結構作るの大変だけど、どんなものを作るつもりなの?」


 日本人のユリさんが尋ねてきた。住民の約半数が外国人の当シェアハウスにおいて京都出身の彼女と話すと、少しホッとする。

 おせち料理に何を作るかを私たちは相談し合った。今となっては何を作ったのかよく覚えてはいないが、料理の大半を私が担ったことを鑑みると、おそらく『こんぶ巻き』『くりきんとん』『黒豆』『たたきごぼう』『筑前煮』と作ったのではなかろうか?

 とにかく、筑前煮を作ったのは確かだったと思う。筑前煮には彩のために花の形をしたニンジンが必要だ。

 大晦日当日の夕方、キッチンに立ってちまちまとニンジンに飾り包丁を入れていたところ、オラが物珍しそうに眺めていた。

 得意になった私はフフンと斜に構えて、「出来る?」と尋ねたことを覚えている。今思えば痛さ爆発である。


×   ×   ×


 日が暮れる頃にはキッチンダイニングに人が集まりだし、ガキ使が始まる頃には各テーブルにて仲良しグループ同士の小規模な宴が開かれるようになった。

 私たちもおせち料理の支度を終え、テレビ前の一区画を陣取り、席に就いた。

 その日のうちにおせち料理が仕舞えてしまわないように、年越しそばも用意した。琥珀色の関西風の出汁の上にニシンを浮かべてある。


「それじゃあみんな、今年はありがとうございました。来年もよろしく!」

「ヨロシク~」「よろしくお願いします」「よろしくね~」「早く食べよう!」


 何はともあれ無事におせちを作り上げることが出来て、私は満足していた。ぶっつけ本番だったので内心ヒヤヒヤものだった。みんな美味しそうに頬張っているし、私自身が味わってもそれなりに旨いので、失敗ではないのは確かだ。


「おお! おせちじゃん! スゴイな、みんなで作ったの?」


 他所のグループに参加していたカズさんが覗きに来てくれた。


「よかったらカズさんもどうです?」

「えっ、いいの? いや~、悪いよ~。悪いったら~……そこまで勧めてくれるなら、ちょっと貰おうかな」


 途中からカズさんも加わって、和気あいあいとおせちを突き合った。



 夜が更けるにつれてさらに住人が集まりだす。シェアハウス内の約半数、50人程度がワンフロアに集結しているらしかった。

 当初はそこかしこに小さなグループがパーティーを開いていたが、やがて酒気をおびたメンバーや隣の皿から放つ官能的な香りに誘われた人々が交じり合い、会場全体が一つの大きな塊となっていった。もはや全方向から話声や歌、騒音が聞こえてきて、テレビからの音声が聞こえない。

 私は『ガキの使い』が大好きで、年越しは必ず『笑ってはいけないシリーズ』を観ていた。

 今、こうしている間にも家族は小さなコタツを囲んで、同じように年越しそばとおせちを突き合っているんだろうなと思うと、何とも言えない寂寥感が込み上がってきた。

 私は寂しがり屋のメンヘラでありながら、誰かと長時間一緒に居ると神経がもたなくなってクラクラしてくるという、自分自身ですら持て余す面倒くさい性格をしている。

 食欲が満たされたところで私は、「少し疲れたから、今日はこのへんで」と中座して、部屋へと帰ることにした。(洗い物はして帰ったし、みんなも手伝ってくれたよ)

 部屋に帰ると早速ベッドへと身を投げた。ひと心地ついた私はぼんやりとガキ使を眺める。内容はサッパリ入って来なかった。それよりもその年の起きた色々なことを振り返っていた。

 未だ読者には語っていない、辛酸を舐めた経験がブワッと押し寄せて背中に冷たい汗が流れもした。

 だがそれよりも今年はたくさんの友達に囲まれて……それも自分からパーティーを開いて、誘い、集まってくれた友達が出来たことが、何よりも嬉しかった。


「自分はもう、独りじゃない」


 そう思いを馳せると、胸の内がジワッと暖かくなり、熱い塊から更なる温もりを生み出してくれるのを感じた。


「これが、『自信』というものか……」


 何もない。自分には何もない。生きている価値すらない。そんな感情から逃れたくて行き着いた先のシェアハウス。

 そこで暮らした私は丸一年の時を経て、ようやく『自信』というものを取り戻すことが出来た。

 それは何物にも代えがたい体験として、今でも私の胸の内に残っている。


×   ×   ×


 日付を跨いだ瞬間、1階へと続く廊下から歓声が届いた。パーティーは佳境を迎えたらしい。

 私は重たい腰を上げ、眠たい眼をこすり、防寒着に身を包んでダイニングへと下りていった。シェアハウスの管理人主催で、希望者参加の初詣に出かけるためだ。

 せっかくだから私は参加することにし、いつもの言語交流会のメンバー同士で固まって近所の神社へとお参りに出かけた。インは敬虔なクリスチャンらしく、境内には入ろうとはしなかった。

 こじんまりとしているが、地元民に愛されていそうな可愛らしい神社である。賽銭箱の前に立ち、柏手を打つ。

 

「来年もいい年になりますように」


 願いのこもった白い息が、黒々とした夜空へと昇っていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る