近所のコンビニがなんか違う
天野太洋
第1話 中華まん
夜11時。
それは時として、晩飯前以上に腹が減る魔の時間帯。
うかつなことに冷蔵庫も炊飯器もインスタントの備蓄まで空にしてしまっていた俺は今、昨日近所にオープンしたばかりのコンビニの前にいた。
そこそこ人口の多い住宅街にも拘わらず、この辺りにはコンビニが一軒もない。
一番近いスーパーはチャリで20分掛かる上、夜9時に閉店する。
そんな地味に不便な日常とも、今日で(正確には昨日からだが)おさらば!
思わずにやけてしまう顔をきゅっと引き締め、俺はコンビニに入店する。
ピロンピロンpブッ……
えっ、俺何かした!?
入店音途切れたんだけど。
……初期不良、とかか?
俺が入ってきた自動ドアを振り返って首を傾げていると、後ろから少しくぐもった男の声が聞こえた。
「いーらっしゃいませ」
悲鳴こそ上げなかったが、俺の肩はビクンと跳ねる。
声の主はレジにいた初老の男性。
……なんだ店員か。
お化けとかそういう類いのモノではなかったことにほっと胸を撫で下ろし、とりあえず俺は会釈を返しておく。
ん?
なんか挨拶変じゃなかったか?
……まあいい。
今はとにかく腹が減ってるんだ。
ふと、店員の横のホットスナックに目が留まる。
中華まんか……いいな。
この店まで、体感0度を下回る道のりを徒歩15分弱。
かなり全身が、指先なんか特に冷えてたんだよな。
肉まんを頬張り、身も心も満たされながら帰路につく! よし、これでいこう。
俺は最短距離でレジに向かう。
ざっと見たとこ客は俺しかいないみたいだし、割り込みにはならないだろう。
「肉まん一つ、お願いします」
店員にそう告げて、俺はコートの右ポケットから財布を取り出した。
小銭、小銭ーっと。うわ、10円玉ばっかりだな。
100円、100円……
「お客さん、お客さん」
俺が10円玉と格闘していると、店員から声が掛かった。
慌てて顔を上げる。
なんだ? まさか現金非対応とかか?
「うちー肉まんねー、置いてないんですーよ」
店員は困ったように笑いながら、中華まんのケースを指差す。
随分、独特な話し方する人だな。
そんなことより、肉まんは売り切れか。
まあ寒い時期だし、みんな考えることは一緒だよな。
肉まんが無いなら……そうだ、あんまんとか。
「じゃあ、この――」
俺はケースを見る。
そこには最上段から下段まで『ハヤシまん』のプレートしかなかった。
「……『ハヤシまん』で、お願いします」
いや待て。俺今なんて言った!?
『ハヤシまん』……ハヤシ!?
っていうか100円玉どこよ!?
「はーい、ハヤシまん一つ。お会計ーはー、えーっと……120円にーなーります」
「あっはい。袋はいりません」
ようやく見つかった100円玉と10円玉二枚をレジの皿に置く。
そのままシールが貼られた『ハヤシまん』を左ポケットに突っ込んで、店を後にした。
ピロンピロンpブッ……
「ありがーとうございましーたっ」
ふと気づくと、俺は見慣れたドアの前に立っていた。
いつの間にかアパートに帰ってきていたようだ。
俺の買い食い計画が狂ってしまったが、こたつで肉ま……『ハヤシまん』を食べるのも乙なモンだろう。
あっ鍵、鍵。
ガチャリとドアを開けると、ほのかに残った温かい空気が俺を出迎えてくれた。
この暖気を逃がさないように、サッと中に入りドアを閉める。
靴を脱いで、テキトーに手洗いうがいを済ませ、『ハヤシまん』をレンジに入れてスイッチオン。
こたつとテレビを点けると、程なくしてレンジが鳴った。
今俺の目の前にあるのは、紙の包みを剥がれ、こたつの上で湯気を上げる『ハヤシまん』。
『ハヤシまん』……。
何なんだ『ハヤシまん』って! 『ハヤシまん』しか置いてないって!
ぶつ切れの入店音とか、店員の個性的なイントネーションとか、この際どうでもいい。
あのケースのプレートの配置、そもそも肉まんとか他の中華まんは存在しない感じだったぞ。
カレーならともかく、いつの間にハヤシはそんなに地位を上げたんだ!?
『ハヤシまん』どころか、『ハヤシライス』すらコンビニで見かけるのは稀だよな!?
……いやいや。落ち着け、俺。
まずは一口食べてみようじゃないか。話はそれからだ。
はむっ。
怖じ気づいていつもより小さめになった一口は、餡にあと一歩届かなかった。
……うん。
皮はよくある感じの中華まんだ。普通においしい。
問題のハヤシ餡はどんなものか。
俺は意を決して、今度は大きめにかぶりついた。
!!
熱っ!
何これっ、上顎に張り付く! 熱っ!
俺は食べかけの『ハヤシまん』をこたつに残し、慌てて台所に走るとコップも出さずに水道水を手で受けて飲んだ。
ぷはっ。
あー、油断してた。
……チーズだ。
そうだよな、チーズ入りのカレーまんはよく見かけるもんな。
『ハヤシまん』に入っててもおかしくないよな。
まだヒリヒリする上顎を少しでも冷まそうと口で呼吸をしながら、今度はちゃんとコップに水を汲む。
こたつに戻ると、テレビの中の芸人がさっきの俺と似たようなリアクションをしていた。
二人羽織でおでんとか、まだやってるもんなんだな。
さて、水という援軍を召喚した俺は、改めて『ハヤシまん』に向き直る。
熱さでまともに味わうことができなかった二口目だが、鼻に抜けるさわやかなトマトの香りからそのポテンシャルの高さは窺えた。
こいつ、……もしかしたらカレーまんを超えるかもしれない。
新たな可能性を目の前に身震いしながら、三口目を頬張った。
うん、イケる。
いや、イケるなんてもんじゃない。
……想像以上にうまい。
もう一口、二口――と熱さなんか気にもとめずにかぶりつく。
中華まんにしてはゴロゴロと大きめの具材はしかし、ひとたび歯を入れればほろほろと崩れていく。
トマトの酸味に絡む濃厚なチーズが絶妙で、ケチャップ味のピザまんの完全なる上位互換がそこにあった。
ハヤシやカレー特有の、妙に口に残るざらついたルーはふかふかの皮に拭われ、後味の不快感はゼロ。いや、むしろ爽快感すら感じさせる。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせ、剥いだ包み紙に深々と頭を下げる。
完敗だ。
ハヤシを見くびっていた。
『ハヤシまん』の味を知った今、普通のカレーまんやピザまんで満足できる自信がない。
一つだけ、不満を挙げるなら――
――俺が食べたかったの、肉まんなんだよなあ。
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