第39話 情報戦

 インド洋に進入すると同時に第一艦隊と第二艦隊はそれぞれ「大和」と「武蔵」から一六機ずつの索敵機を二波に分けて送り出した。

 早くから航空主兵主義に転換した帝国海軍にとって索敵、つまり敵の先制発見は金科玉条とも言うべきものであった。

 帝国海軍の主力は機動部隊であり、航空戦力こそ強大だが一方で水上打撃艦艇は貧弱の極みだ。

 もし、索敵を怠ったことで敵の水上打撃艦艇の発見が遅れ、それが原因で内懐に飛び込まれた日にはそれこそ目も当てられない。

 実際、欧州の戦場ではドイツの巡洋戦艦「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」の接近を許した英空母「グローリアス」が、それら二隻が装備する艦砲によってあえなく撃沈されている。

 空母あるいは機動部隊は攻めには強いが、一方で守りに入れば脆い。

 だからこそ何よりも情報を重視し、それゆえに索敵もまた怠るわけにはいかなかったのだ。


 三二機を投入した広範で密度の濃い索敵網は十全に機能し、すでに英艦隊の所在はもちろん、おおまかな艦隊構成も把握するに至っている。

 一方、英海軍もまた帝国海軍と同じかあるいはそれ以上に情報の重要性を理解しており、こちらもまたわずかに遅れて第一艦隊と第二艦隊を発見していた。


 「前衛艦隊のほうは空母と巡洋艦がそれぞれ二隻に駆逐艦が六隻。その後方にある本隊のほうは空母が一隻に戦艦が五隻、それに巡洋艦が四隻に駆逐艦が八隻か。

 我が方の情報通信部門の分析通りだな。かつて通信部門は出世コースから外れた士官の捨て所だった時代もあるが、航空主兵への転換によって情報通信の重要性が理解されはじめたことでそれも変わった。

 逆に今では情報分析が出来ない者は参謀になることが難しいから、目端の利く者は誰もがこぞって情報通信部門に行きたがる。時代も変わったものだ」


 胸中でそうつぶやく第一機動艦隊司令長官の山本大将だが、一方で誰よりもその恩恵に浴していることを実感している。

 事前に敵の正確な位置やその戦力が分かれば、こちらは適切な兵力配置や配分が出来る。

 それゆえに母艦航空隊でも偵察任務にあたるペアはそのいずれもが腕利きの搭乗員で固められている。

 敵の姿を求めて目標物の無い洋上を単機で、しかもいつ襲いかかってくるか分からない敵戦闘機に注意を払いながらの飛行は並の搭乗員に務まるものではない。

 航法や通信の技術はもちろん、集中力や持続力、さらに冷静さや胆力、そして何があっても情報を持ち帰るという不屈の闘志が要求される。

 だからこそ、索敵に携わる者たちは他の搭乗員から一目も二目も置かれるし、少々生臭い話になるが、索敵における飛行手当はかなりの高額に設定されている。


 情報通信部門が拡充され、そこに大勢の優秀な人間が入ってきたことで帝国海軍の情報通信に対する術力は短期間のうちに大きく向上していた。

 すそ野が広がれば頂が高くなるのは必然と言ってもいい。

 そのようななか、情報通信部門で暗号を担当するうちの一人が海軍のD暗号が解読されている、あるいはされかかっているのではないかと疑義の声を上げる。

 その男は海兵におけるハンモックナンバーもあるいは勤務態度も申し分なく、ファクトやエビデンス無しに無責任な声を上げるような人間ではなかった。


 この指摘に帝国海軍上層部は文字通り震撼する。

 いかに緻密な作戦を立てようとも、情報が駄々洩れでは何の意味も無い。

 逆に相手からのカウンターインテリジェンスで酷い目に遭うことは目に見えている。

 調査の結果、D暗号が漏れているという確証こそつかめなかったものの、しかし調査担当者らが得たその心証は限りなく黒に近いグレーだった。

 さらに、調査に付随して行われた商船暗号や外交暗号に関しては、こちらはその強度が低かったこともあり完全に解読されていることが判明する。

 そのことで、担当部局は大慌てでその改善に取り組んだ。

 そして、現在ではそれらの暗号強度も上がり、今のところは諸外国に解読されている兆候は確認されていない。

 外務省をはじめ軍官民を巻き込んだ一連の騒動は、だがしかし帝国海軍のみならず国民全体に情報に対する関心あるいはその重要性を再認識させる、つまりは意識改革のようなものをもたらした。

 それは、正面装備の増強と同等かあるいはそれ以上に日本の戦力向上に多大な恩恵をもたらしたはずだったし、山本長官はそのことを実感している。


 そして、東洋艦隊は自分たちの前に堂々とその姿を現した。

 事前に帝国海軍が仕掛けた情報の餌に東洋艦隊は食いついてきたのだ。  


 「インド洋に投入する戦力は一個機動艦隊と同じく一個水上打撃艦隊」


 だが実際は違う。

 インド洋に投入された戦力は二個機動艦隊。

 その艦上機は常用機だけで五四〇機に達する。

 もし、東洋艦隊が事前にこのことを知っていたとしたら、おそらくは戦いを避けたことだろう。

 だがしかし、そのことを土壇場まで知らずにいた東洋艦隊はまんまと釣り出され、そしてすでに回帰不能点を超えてしまっている。

 逆に言えば、帝国海軍は世界で最も狡猾で腹黒な暗黒国家である英国を出し抜いたのだ。

 これを痛快と言わずしてなんと言おうか。


 そのようなことを考えつつ、山本長官は第一艦隊ならびに第二艦隊の攻撃隊に発進命令を下す。

 「大和」型空母から零戦二四機に一式艦攻が三〇機、「天城」型空母からは零戦一二機に一式艦攻が二四機、「金剛」型空母からは零戦一二機に一式艦攻が一八機。

 一二〇機の零戦と一九二機の一式艦攻が次々に飛行甲板を蹴って高度を上げていく。

 三〇〇機を超える攻撃隊は編隊を整えると同時に西に向かって進撃を開始した。

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