第7話 報復人事
昭和七年二月、元帥昇進を目前に控えるなか、海軍軍令部長に就任した伏見宮大将は高橋中将を軍令部次長として呼び寄せる。
伏見宮大将が高橋中将を自身の右腕としたのは高橋中将が第一航空戦隊の初代司令官に就任したのを契機に大艦巨砲主義から航空主兵主義へと転向したこと、さらに以前から彼が軍令部の権限強化を目論んでいたことを知っていたからだ。
その伏見宮大将の意を受けた高橋中将は海軍省の担当者を相手に優勢に交渉事を進め、ついには同省から兵力量の決定権をもぎ取ることに成功する。
この頃には伏見宮大将はすでに元帥へと昇進しており、その肩書も海軍軍令部長から軍令部総長へと変化を遂げてその権力を盤石のものとしていた。
その伏見宮元帥が真っ先に取り掛かったのは、新たなる建艦計画の第一弾であるマル一計画策定現場への介入だった。
マル一計画では四隻の空母の建造が予定されていたが、その数を減らす代わりに八五〇〇トン型軽巡を整備するよう鉄砲屋や水雷屋を中心にその要望が出されていた。
だがしかし、このことは航空主兵主義者の伏見宮元帥にとってはとんでもない話であった。
すでに、水上打撃艦艇が飛行機の敵ではないことは歴然としているのにもかかわらず、しかも最終的にはそれを六隻も建造したいと言うのだからお話にならない。
大艦巨砲主義から航空主兵主義へと脱却しつつある帝国海軍内においても、いまだに鉄砲屋や水雷屋は隠然たる力を持ち続けており、そしてそれが表出したのがつまりはマル一計画だった。
そのマル一計画における航空隊整備予算は全体のわずか一五パーセント余でしかなく、巡洋艦二隻分よりも安い。
これで精強な海軍航空隊など出来ようはずもなかった。
だから、伏見宮元帥はマル一計画をそれこそ原型をとどめないくらいに変更させた。
四隻の一六八〇〇トン型空母はそのままとし、一方で八五〇〇トン型軽巡はまったくのゼロ回答とする。
八五〇〇トン型軽巡は一隻だけでも二五〇〇万円近くに達するが、これだけあれば相当な数の飛行機が調達できる。
まったくもって無駄遣いもいいところだった。
それに、マル一計画以降の新造ラッシュやあるいは艦艇の改装や不具合改修のために人手と施設の逼迫に悩む造船関係者らも八五〇〇トン型軽巡を建造せずに済むことは非常に助かるので、このことについては多くの者が歓迎の意を表した。
一方で、このごたごたは米国の戦備にも影響を及ぼしていた。
どこでどう間違ったのか、この八五〇〇トン型軽巡を日本海軍が建造するものだと思い込んだ米海軍はその対抗として一五・二センチ砲を一五門装備する大型軽巡の建造に邁進することになったのだった。
マル一計画のメドが立った時点で伏見宮元帥には成すべきことがあった。
大艦巨砲主義から航空主兵主義への転換を妨害する連中を予備役にしたうえで海軍から放逐するのだ。
すでに大角海軍大臣にはそのリストを渡し、しかと申し付けてある。
加藤大将や末次中将といったロンドン海軍軍縮会議において「扶桑」型戦艦ならびに「伊勢」型戦艦を廃艦することに対して、その邪魔をしてくれた連中。
それに、愚にもつかない漸減邀撃作戦に固執する頭の固い鉄砲屋や水雷屋の首魁ども。
それらを一掃し、自分や高橋中将をはじめとした飛行機屋が海軍の主導権を握るのだ。
そうでなければ帝国海軍に、日本に未来は無い。
今後はその地盤をさらに強固なものにし、数年後にはその蒙を啓く役目を後進に委ねる。
後継候補としては早いうちから海軍が航空主兵となることを予見していた山本少将あたりか。
そんなことを考えながら伏見宮元帥は副官を呼び、車を出すように指示する。
あらゆる勢力のせいで板挟み状態真っ只中に陥っている気の毒な大角大臣をせっついて報復人事の完成とその発令を急がせるつもりだった。
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