私が地獄に落ちるなら

余るガム

スーサイドトーク

「天国と地獄なんて随分と曖昧な概念だと思わないかい?」


 夕暮れである。

 快活に部活へ励む少年少女の絶叫を遠く耳に感じながら、近く耳朶を打つ彼女の声に応じる。


「死後の世界、って奴ですか」


 にんまりと笑みを深める彼女は一見女性だし、事実女性であるのだが、どこかいたずらっ子な少年を想起する。


「そうだ。科学的に見て死はただの機能停止だが、人間はそこに神秘を見出した。死んだ人間はどこに行くのだろうともぬけの殻を見て空想した。目の前にあるのは人間の形をした肉塊だが、死の前後での変化は驚くほど少ない。観測できる範囲ではね。だからきっと観測できない何かが失われたのだと、魂という存在を仮定した」

「回りくどいですよ」


 溜息を一つ。


「君は情緒という奴を知らんな。こういった前振りがあるから盛り上がるんだろう?」

「たかが高校生の雑談に起承転結なんて不相応じゃないですかね」

「面白いお話にはどうしたってくっついて回るさ。たいていそういう風に出来てるんだから」

「はいはい分かりました。どうぞお続けくださいませ」


 思えば、自分が彼女を言い負かせた試しなど無かった。

 反論するだけ無為というものだ。『ああ言えばこう言う』の典型例みたいな人なのだし。


「……まあ要するにだね。死後の世界までは論理的だと思うが、天国と地獄は現世利益の影響が強すぎないか、という話をしたいわけだ」

「現世利益、ですか」

「人間は神を信仰した方が得であるという事実が理論的に証明されてしまっているんだよ? 神性なんてあったもんじゃない」


 確か『信仰しなければ地獄に落ちるのでリスク無限、信仰すれば天国へ行けるのでリターン無限』みたいな話だったか。

 お得だから入信しましょうなど、ポイントカードとそう大差はない。


「まあ論理の話をするなら、現世利益との連結は論理的なんじゃないですか? 聖職者だって結局は飯を食わねば死ぬんですし、生産性のない宗教で金を稼ぐにはそういう分かりやすさも必要だと思いますよ」

「いやいや、その前提が既に天国という概念への否定だろう」

「なぜ?」

「聖職者は天国にいけるってんなら、さっさと死ねばいいんだ。自殺は咎められるが、信仰に殉じて絶食の末餓死なんて、いかにも信者って感じだろう?」

「死が天国行きというリターンの条件であるなら、地獄行きというリスクを孕む生は合理的でない、と」


 そうさ、としたり顔で頷く彼女へ、なんと返したものか。

 そもそも理論で宗教やら死生観やらを語るのも妙な話だ。


「自分以外の人々も天国へ行けるよう水先案内人をしているというのは?」

「それは天国へ行く以上のリターンが確実に見込めるのかい?」

「自尊心とか」

「現世ありきのリターンだね。天国行きってリターンを確保してから天国で思う存分やればいいじゃないか」

「単純な思いやりだとしたら?」

「それこそ死を以って証明すればいい。生きている時点で矛盾しているから、宣教師という奴は胡散臭いんじゃないかな」


 ふーむ、と唸ってから妙案を思いつく。


「その水先案内人こそ、天国に行くための条件であると言うなら?」

「うん? どういうことだい?」

「つまりですね。自分以外の誰かを聖職者にしたら、自分は天国に行けるって話ですよ」

「なんだいそりゃ。マルチ商法と大差ないじゃないか」

「マルチ商法が破綻する理由は単純にリソースの欠如です。しかし無限のリソースがある神なら、その破綻すら乗り越えられるのでは?」

「なるほど。もしそうならなぜ神は自らの信者を増やそうとしているのだろうね? 神の有するリソースが無限であるという前提なら、わざわざそんなことをする理由が無いだろう」

「……逆なんじゃないでしょうか」

「逆、というのは?」


 少し考えをまとめる時間を取ってから話し出す。


「死者の居場所をリソースで創造しているのではなく、生前自らを信仰していて、かつ死亡した人間。それこそが神のリソースなんじゃないでしょうか」

「待て待て。となると天国っていうのは神の腹の中って事になるぞ?」

「……それこそが真実なんじゃないでしょうか。それなら地獄という存在も説明が付きます。要するに自分以外の神の腹こそが地獄で、そういう存在を悪魔だなんだと言って内輪で虐げる事で確保している」

「それなら異教徒への弾圧も説明がつく、か……」


 決まりだね。死後の世界は神格生物とか上位者とか、そういうのの腹の中の事だ。


◆◇◆◇


 思えば俺が彼女を言い負かしたのはこれが初めての事になる。

 そう考えてみれば少々誇らしげな気持ちにもなろうというものだ。


「というか思ったんですけど」

「なんだい?」

「なんでいきなりあんな話を? 哲学というかスピリチュアルというか、そういうのってあんまり興味ない人だと思ってたんですけど」

「そんなことは無いさ。私は哲学もスピリチュアルも、なんならクトゥルフ神話TRPGだって嗜む人間だよ?」

「抜群に不似合いですね、TRPG」

「ほっといてくれたまえ」


 この人が沢山の友達と卓を囲んでワイワイする光景など想像もできない。

 人に避けられているのはよく見るが。


「ああ、そうそう。話をした理由だったね」


 彼女は少し上を向いて。


「実は今日、自殺するつもりだったんだ」

「は?」

「ほら、中庭があるだろう? あそこに飛び降りる予定だったんだ。もうあそこを使う部活動の連中は帰ってるし、窓際なら宿直の人にも見つかりづらい。即死は出来ずとも、強く頭を打って明日の朝まで待ってれば流石に死ぬ。朝練をする人達には悪いと思うがね」


 開いた口が塞がらない、とはこの事か。

 自殺なんて対岸の火事だと思っていた。自分には関係のない出来事だと思っていた。


 だがこんなにも身近な人間が『そう』だと思うと、なにかぞわりとしたものが背筋を這い回る感触を覚える。

 日常という安定的な代物が音を立てて崩れ落ちる。足から血が抜けた様な気分だ。


「しかしだ。じゃあ死んだあと私はどうなるんだろうかとふと疑問に思ってね。それで君の意見を聞きたかったのさ」

「……別視点、ですか」

「考える時間は死んでからいくらでもあるが、他人の意見を聞くのは出来ないだろうと思ってね。有意義ではあったよ。今日のお話で死んでから考える時間があるのか不明瞭になったわけだしね」

「はあ……ではなぜ自殺など?」

「んー、なんでだと思う?」

「疎外感とか」

「君の中で私はどれだけ打たれ弱いのかね」

「避けられがちなのは事実じゃないですか。それぐらいしか思いつきませんよ」

「まあそれはそうだけどさ」


 自覚はしていたのか。


「で、理由だったね。こんな事を言うとその道の人たちから怒られそうだが、興味という奴かな」

「興味、ですか」

「そう。自殺者というのは恐ろしく少ない。思い立っても直前でへたりこんでしまう様な人間がほとんどだ。じゃあそんな『死の恐怖』って奴はどれくらいなんだろうという興味さ」

「はあ……」


 聞いてなおピンと来ないのは、やはり俺が凡人だからだろうか。

 あるいは、彼女が何一つ本当の事を言っていないからだろうか。


 どちらもありそうだが、どちらもまたピンと来ない。


「最後の時間を君に注ごうと思ったのは……君ならきっとずっと覚えてくれているだろうから、だね」

「さっきまで話してた人が死んだとか、寝覚めが悪いですしね」

「まあ、そりゃそうだね」

「だから、死なないでください」


 彼女は怪訝な顔をした。


「命が尊いからとか、そんな曖昧な理由じゃなくて。俺の寝覚めが悪いから、死なないでください」


 しばらくの間キョトンとした顔を続けた後、笑い出した彼女。


「んふふ、やっぱり君は良いね。倫理とか道徳みたいな綺麗ごとを言わないし、言えない。徹頭徹尾、自分本位の言葉だが……だからこそ、本音なのがよくわかる」

「……褒められてるんですかね?」

「褒めてるさ。手前勝手で我儘で独善的だとね」


 それらは絶対に誉め言葉ではないと思うが、まあ捻くれ者からしたら褒めているのだろう。


「天邪鬼ですね」

「ふふ、ますます君の事が好きになったよ……どこまで天邪鬼だと思う?」

「知りません」

「はっはっは」


 いよいよ辛抱溜まらんと快活に笑う。

 こんな笑顔の彼女を見たのは初めてだ。


 今日はとても初めての事が多い一日である。


「さて、笑って生きる活力も沸いたことだし、私は何事もなかったかのように家に帰ろうか。君はどうする?」

「お供します」


 彼女を家まで送って、その後自分は家に帰った。

 何とも奇妙な放課後であったと回想しながら、眠った。


◆◇◆◇


 そういえば。


『昨日未明』


 彼女は。


『高校生の高岸真由美たかぎし まゆみさん18歳が』


 生きる活力が湧いたとは言ったが。


『自宅で首を吊って死んでいる所が発見されました』


 死ぬのを止めたとは、言っていなかったな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私が地獄に落ちるなら 余るガム @bkhwrkniatrsi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ