17 鋼鉄たちが崇めた竜


「なっ……これが、アマルガムなの?こんなのが神だって言うの!?」

「ハハハハハハ!顕現なされたのですよアマルガム様は!ルコア!アナタだけの為に!」

『……ウズル……ウズ……』


 想像とはかけ離れた神の姿に、ルコアは自身の目と彼を崇める信者達の感性を疑った。

 鈍色をした液体状の肉体を這いずらせ、ずるりずるりと不快な音を漏らすその姿はさながら水銀で出来た蛞蝓。

 そのおおまかな形状は双頭の竜にも見えるが、片側の頭は人間のような歯を歪に並べた口しか持たず、もう片方の眼球を備えた頭部が主導権を握っているようだ。

 手足は崩れ落ち、所々ちぎれたような柔らかな肉体の綻びからは生物の内臓のように蠢く機械たちがその姿を覗かせている。

 本来翼があるべき場所からは異様に捻じれ生々しい形状をした人間の腕が伸び、その手には祭壇に祀られていた黒く無機質な十字架が握られていた。

 神と呼ぶにはあまりにも醜悪で、腐りかけた竜の皮を引き剥がし出来損ないの機械の骨格に無理矢理被せた不格好なアニマトロニクスと表現した方が確かだ。


「信者を喰い殺すような奴が真面な神だとは思えないけれど、こんな醜いんじゃ無理もないわね」

「何を言うのです!自らが崇め称える神に喰らわれその一部となるなど、これ程までに至高な事は無いではありませんか!」

「罰ゲームみたいに食わせといてよく言うわね!」

「戯言は不要!アナタもこの運命を受け入れ、この街の一部となるのです!」

『ウヴ……ウヴゥ……』


 唸り声をあげながら首を擡げぎょろりとした大目玉でルコアを睨むアマルガム。

 唾液のように水銀を垂らし、食欲を抑えきれない貪欲なる邪竜は、聞くにも堪えない悍ましい叫び声を聖堂内に反響させると足元の哀れな生贄に襲い掛かった。


「クソ!冗談じゃない!」


 踵を返して逃げ出したルコアの元居た場所で空を食む竜の頭。

 距離を取ろうと走るが、突然足首に絡みついた無数のケーブルに引かれ、鋼鉄の床に体を叩き付けられる。

 アマルガムは肉体から無数のケーブルを触手のように蠢かせルコアを引き摺ると、丸呑みにしようと大口を開く。


「ハハハ!さぁ受け入れるのです!自身の変えられぬ運命を!」

「誰が運命なんて信じるか!この畜生が!」


 傍観者の立ち位置から高笑いを続けるコンスタンへの怒りも含めて力任せにケーブルを引く。

 案外それは簡単にアマルガムの肉体から引き千切れ、気色の悪い機械の塊と一緒に引き抜けるが次から次へと新たなケーブルが絡みつき抜け出す事が出来ない。


「無駄な足掻きはやめるのです!どうせアナタに道を切り拓く事など出来はしないのですから!」

「っせぇ!今考えてるのよ!老い耄れは黙ってなさい!」

「ぐごほっぉ!?」


 末端にこべり付いた機械の重さを活かしてケーブルを回し遠心力で投げ飛ばすルコア。

 綺麗な弧を描き宙を舞ったアマルガムの肉片はコンスタンの頭部に直撃し、老醜の肉体を張り倒した。

 その手から離れ地面を滑った彼の憎き杖を見たルコアはそれを咄嗟に掴み、地面に突き立て支えにし全身の力を振り絞って立ち上がった。

 床に固定された鋼鉄の長椅子に杖を引っ掛ける事で何とかケーブルの力に抗い始めたルコアを諦めたのか、彼女の足に絡みついていたケーブル達の力が抜け、アマルガムの体内へと戻っていく。

 再び意識を取り戻したコンスタンを、今度はルコアが笑い飛ばした。


「は、はは!余裕ぶっこいてるからよ!」

「ぐ……ぐぅ頭が……なっ!?ワタクシの混導杖を!わ、悪い事は言いません!早くそれを手放すのです!」

「ふーん、これ、もしかして混術を扱う為の触媒として機能する杖だったのかしら?それで私達をぶん殴ってただなんて――」

「混術装置としての機能はあくまで補助用です!それは……それは!あぁ!」

『ウ……ウズ……』

「……何?」


 先程までルコアを睨んでいたアマルガムの目が、ゆっくりと下に視線を向ける。

 その先に居たのは、よろよろと立ち上がるコンスタンの姿だった。


「なるほどね、これはアマルガムから身を守る役割もしてくれる、まさに転ばぬ先の杖ね」

「そ、そんな事がっ!」

『ウ、ゥルイァ……』

「や、やめるのですアマルガム様!私は……私は!」


 必死に命乞いをしようとするコンスタンだったが、彼の崇める神に人の言葉を理解出来る知性は無かった。

 口しかない頭がコンスタンの体に喰らいつき、ゆっくりと噛み締めながら老いた体を吞み込んでゆく。

 哀れな司祭の僅かに残された肉体から噴き出す血液がアマルガムの鈍色の体をまだら模様に染め上げた。


「これでこの街は私のモノね。こんな退屈な場所、まずはピザの配達でも頼めるように壁を取り払おうかしら」

「そ……それを持ってたところで……アナ、タに……アマルガム様を操ることなど……できません、よ……」

「……確かにそうね」

「ふ、フハハ……さ、さぁ……アマルガムさ、ま……ワタクシの……血肉と共に、あの、哀れな……子羊、を……」


 ゴリ、という微かな音が響き、とうとう司祭の姿は見えなくなった。

 静まり返った聖堂内で、アマルガムは再びゆっくりと、次の獲物となるルコアを睨む。


「この杖でアマルガムの出し入れをしてたのは確かだけど……それはちょっと無理そうね。だとしたら、出来そうな事はただ一つ――」

『ウルィ……』

「この私が魔女になるだなんて、何かの皮肉かしら?でもね、私の主様……私はやっと幼い頃の夢を叶えられそうです」


 二つの大口を開けて迫るアマルガムを前に、ルコアは目を瞑り、祈るように杖を振りかざす。

 それはかつての自身の神へと送る、冒涜の願いを込めて。


「神をこの手で殺す事と――魔法使いになる事を!」

『ウルァウ!』

「出てこい!『炎』!」


 強く頭の中で思い浮かべる『火』のイメージ。

 紅蓮に燃え盛り、全てを焼き焦がすエネルギーの波。

 ルコアの脳内に描かれたそのビジョン、脳波という波動を増幅させた機械仕掛けの杖に、熱が帯び始める。

 大気中に満たされたアイレム粒子が増幅させられた波動に集い、波打ち、与えられた事象を構築する為にその姿を変えてゆく。

 杖を纏う空気の色が赤く染まり出し、その直後、舞い散る火花と共に放たれたのは、赤橙に燃え盛る火球だった。


『ウルァ!』


 渦を巻き空を焼く火球はアマルガムの大きく開いた口内に放り込まれ、体の一部に引火すると鈍色の肉体を炎上させた。

 突然の熱に混乱した邪竜は身を引き、体についた火を揉み消そうと軟体的な胴体をうねらせる。


「ほ、本当に出た!私って才能あるんじゃないの!……と、思ったけどちゃんと教えてくれたシルのおかげね」

『ウ……グァアアア!!!』

「え……ちょ、なに?」

「ど、どうされましたコンスタンさ――こ、これは!?」


 突然、今ままでの囁くような鳴き声からは想像もつかない程の絶叫。

 異変を察し駆けつけて来たクルップは、その状況に目を疑った。


『アァアア!アァ!アアアアア!』


 背中から伸びた巨大な腕で十字架を握り締めると、アマルガムはそれを高く掲げ、叫び声をあげながらもその姿は何かを祈っているかのようにも感じられた。

 アマルガムの叫びに呼応するようにして、握られた十字架のオブジェクトから光が漏れ始める。


「な、なにするつもりなの……!」

「アマルガム様!何を!何をなさるのです!な、にを……」

「ちょっ……クルップ!?」


 ルコアの横に立ち、何かをアマルガムに訴えかけていたクルップ。

 しかし鈍色だったその肉体は僅かに赤く色付き始め、その直後、機械仕掛けの硬いはずの肉体がどろりと蕩けた肉片と骨の塊へと変貌し、崩れ落ちた。


「何が起きて……なっ!」


 それはクルップだけでは無かった。

 この礼拝堂も、豪華絢爛な装飾も、街の家々も、そこに暮らすアロイ達も、全ての鉄が肉片へと還元され、蕩け、崩壊を始めた。

 その異常な光景にルコアは息を飲む。


「術を解いたっていうの?何の為に!?」

『ウ……グゥ……』


 周囲の鋼鉄と同じように、どろどろと崩れ始めるアマルガムの肉体。

 うず高く積まれた肉片と骨の塊と化してゆくアマルガムだったモノは、それでも蠢き続けていた。


「……っ!」

「そう……やはりそうだったのね」


 悍ましい音を立て蠢く肉塊からゆっくりとその体を持ち上げる、ひとりの影。

 項垂れるような姿勢で細い体に似つかわしくない黒い十字架を肩に背負った灰色の少女は、機械のようで人間的な憐れみを湛えた瞳でルコアを見つめた。


「……シル」

「いいえ違うわ、ルコアさん。私は――」


 優しいようでただただ冷たいその声で、少女は言う。

 背負った十字架を重苦しい剣のように握り締めて。


「――この街の化身、アマルガム」

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