第57話 事後報告

 ふかふかで柔らかい肌触り。前世でも、こんな布団に入ったことない。


 布団を頭まで被り、蹲った。ほんの少しだけ意識は目覚めたが、まだ起きたくはなかった。こうしてずるずると布団の中にいるのが、何とも言えない至福の時だったからだ。肌触りが良すぎるのも、また拍車を掛けていた。


「アンリエッタ」


 それがまさか、たった一言で、お仕舞いになるなんて、誰が思うだろうか。呼びかけに意識が反応して、布団の中にいても、しっかりと目が覚めてしまった。目をパチパチとさせたが、それでも名残惜しくて、すぐには動かなかった。


「アンリエッタ」


 もう一度呼ばれ、渋々布団から顔を少しだけ覗かせた。


「おはよう」

「お、はよう?」


 思ったより近くにいたマーカスの姿に、アンリエッタは状況を把握しようと努めた。


 そうだ。青白い蛇に捕まって、その後の記憶がない。ないと言うことはつまり……。


「ここは、もしかして、学術院?」


 計画が成功しようがしまいが、アンリエッタは学術院で避難することが、事前の打ち合わせで決められていた。最悪、攫われなければの話である。


 つまり、作戦は終了したということだ。囮として、十分なカードを入手出来たのかが気になるが。間抜けなことに、ここで気持ちよく寝ていた罪悪感で、聞くに聞けなかった。

 さらにマーカスの態度が、その状況を作っていた。


「そうだ。体は何ともないか?」


 返事と共に、アンリエッタの頭の両サイドに手を置き、見下ろしてきたからだ。


「うん。シーツが柔らかくて、気持ちよく寝れちゃうくらい、良いみたい……」


 心配してくれているみたいだから、その必要はないと言いたかった言葉に、恥ずかしさを感じて、布団で顔を隠した。すると、上から苦笑する声が聞こえた。


「それは良かった。出来れば、このまま寝かせてあげたいところなんだが、何が起こったか、話してもらえないか。いつまでも、犯人を拘束しておくには、確実な理由が必要だから。あと、ポーラも早々に魔塔に行かなければならないんだ」

「ということは、上手くいった、ってこと?」


 目の辺りまで、布団を下げた。その途端、待っていたとばかりに、額にキスされた。


「アンリエッタが、こんな状態になったこと以外は。贅沢を言えば、アンリエッタを庇って、ポーラに攻撃してくれると、より一層強いカードになったんだがな」

「えっ! 証人として、ポーラさんが必要だって言っていたじゃない。危険な目に遭わせるつもりだったの?」

「これはポーラも了承済みだ。アンリエッタの傍で待機するのだから、必然的に危険な目に合うのは分かることだろう」


 囮である自分の傍にいれば、危険なのは危険だけど……。


「それにポーラは、魔塔のトップなのだから、強いのは分かり切っている。心配する方が失礼じゃないのか」

「うっ。じゃ、最後に一つだけ、答えて」

「ん? 別に一つだけじゃなくても――……」


 両手を上げて、マーカスの首元に抱き着いた。自分の元に引き寄せたつもりでいたのだが、マーカスの腕が背中に回り、逆に抱き寄せられた。アンリエッタの上半身を起き上がらせ、マーカスはベッドの端に座った。


 ようやくアンリエッタの顔が見られたのが嬉しいのか、楽し気な口調で質問した。けれど、マーカスの肩に手を置いたアンリエッタは、神妙な面持ちだった。


「それで、何を聞きたいんだ?」

「……私は、囮として役割は、十分果たせた?」


 何を聞きたいのか分からず、マーカスは首を傾けた。


「さっきも言ったが、必要なものは手に入ったからこそ――……」

「そうじゃなくて!」


 マーカスの胸を叩き、抗議を示した。その言葉が聞きたいんじゃない。


「……ごめん」

「謝って欲しいんじゃないのに……」


 珍しく察しの悪くて、アンリエッタはマーカスの肩に、頭を乗せた。すると、背中を優しく撫でられた。


「教えてくれ。何を俺に言わせたいんだ?」


 あぁ、そうか。分からないんじゃなくて、言いたくないのかも。謝ってきたのが、その証拠だ。多分、怒るだろうな。


 それでもアンリエッタは、マーカスの耳元で囁いた。途端、案の定、マーカスが顔を顰めた。

 ジッと見つめられ、アンリエッタは目だけで懇願した。そして、観念したようにマーカスは、アンリエッタの頭を肩に押さえつけた。


「……よくやった」

「うん」

「頑張ったな」

「うん」


 アンリエッタがお願いしたのは、『褒めて欲しい』ただそれだけだった。何故だか分からないが、その言葉が聞きたかった。すると、何かが込み上げてきた。気がつくと、マーカスの服を濡らしていた。


「アンリエッタ⁉」

「ご、ごめんなさい。突然、涙が出てきちゃって」


 普段、なかなか泣いたりしないのに。止めたくても、感情が高ぶって、マーカスの服を握りしめた。


 嬉しかったのか、怖かったのか、説明のつかない感情で溢れた。だから、マーカスに言って欲しかったのかもしれない。上手く吐き出せなかったから。


 落ち着くまで、マーカスは何も聞かずに、背中や髪を撫でてくれた。声を上げるわけでもなく、嗚咽を出すわけでもなく、ただ静かに涙が止まるのを待った。



 ***



 カラリッド侯爵家が差し向けた集団を罠にかけた後、学術院で過ごすことになった理由は、単にご近所への迷惑と警備のためだった。


 それは、大規模に編成しておきながらも、罠だということを、一部の人間のみ知らせていたからだ。その他大勢には、ゾドが神聖力を持った少女を攫いに来る、という密告があった、ということになっている。


 捕まった聖職者や聖騎士は、ゾドから来た者であるため、罠というよりも、警備を強化したことによって発覚した、と周り者たちは思うだろう。すると今度は、被害に遭った少女が注目されてしまう。


 そのための一時避難先が学術院だった。警備の面でも申し分ないからである。


 いつまで避難していれば良いのか、予想はできないが、念のためアンリエッタは、ひと月分の服などを、事前に運んでおいたのだ。


 食事を終えた後、服に着替えて待った。けれど、そんなに待たずにポーラが現れたのは、逆にアンリエッタの支度待ちだったのでは、と思えてならなかった。


 ポーラさんの方が忙しいって聞いていたんだけど。私に合わせてくれたのかな。


 恐縮しつつ、椅子から立ち上がって、ポーラを出迎えた。が、ポーラの方がアンリエッタに近づくのが早かった。声を掛けようとした瞬間に、抱き締められたからだ。


「ポ、ポーラさん⁉」

「良かった。無事に目が覚めて。本当に、何ともないの。具合が悪くなったら、すぐに言うのよ」


 体のチェックまでされて、無事を確かめながら、喜んだり、心配したり、世話しなかった。


「大丈夫です。それよりもポーラさん、忙しいって聞いたんですけど」

「えぇ。そうだったわ。思い出したくないかもしれないけど、あの時何があったのか、詳しく話して貰える?」


 お互い、椅子に着いてから、攫われた時の状況を話した。部屋には、アンリエッタとポーラの他に、壁に背を預けているマーカスと、ドアの近くで待機しているフレッドの姿があった。フードを取ったフレッドの顔を見たのは、これが初めてだった。


「ふ~ん。神聖力でも、魔法みたいなことが出来るのね。蛇だなんて、悪趣味だわ」

「お言葉ですが、捕らえ易いように、蛇の形だったのではないでしょうか。アンリエッタを発見した時に巻き付いていた紐が、神聖力で作られていた物でしたので」

「喋れるようにするには、生き物でなくてはならなかった、というかしら。この狐みたいに」


 そう言うと、ポーラは膝の上に乗せていた、青い狐をポンと叩いた。部屋に入ってきた時から、気になっていた。あまり着飾らないポーラが、その狐を首に巻いていたからだ。


 まぁ、王女様だから、威厳が必要で身に着けているのかな、と思っていたが、どうやら違っていたらしい。


「これは、ユルーゲルが作った物なの。一応、話に参加させたかったんだけど、アンリエッタの目にはまだ触れさせたくなかったから、こうしてみたんだけど、どうかしら」


 両手で持ち上げて、アンリエッタの反応を待った。


「大丈夫です。色は青いけど、蛇と違って可愛いので、怖くありません」

「良かった。最初はもっと、本物に近い大きさと顔だったのよ。周りが不自然に思わないように、小さく可愛くしたの」

「十分、不自然だったぞ」


 いくら模造品でも、アンリエッタの近くに、ユルーゲルがいるのが、気に食わないらしい。マーカスの発言に、アンリエッタは慌てたが、当のポーラは気にしてはいなかった。


「それで、型番の照合は、いつ頃出来そう?」


 話題を変えたからだ。フレッドは、アンリエッタとポーラに近寄り、間にあるテーブルに、足輪を置いた。フレッドと視線が合い、アンリエッタは大丈夫だと、頷いて見せた。


「今も尚、連絡を取り合っている司祭仲間がいるので、魔塔に戻られる頃には分かるかと思われます。なので……」

「分かったわ。貴方と連絡が取れる魔術師を、用意すればいいのね」

「はい。お願いします」


 返事と共に、フレッドは再びドアへと向かっていった。ポーラは、足輪を鞄の中に仕舞い込んだ。


「犯人たちは口を割ったのか」

「えぇ。聖職者と聖騎士には手こずるかと思ったんだけど、思ったよりも神聖力を持っていなかったみたいだから、魔法で口を割らせたわ。どうやら聖騎士は、聖職者の護衛だけが役割ではなかったみたいなの」

「いくら未熟だとはいえ、アンリエッタほどの持ち主を攫うのに、魔法に負けるとは。聖騎士は、ブースターの役割を担っていたってことですね」


 確かに未熟だけど、他の誰かに言われると、身が縮こまる思いだった。が、それよりも気になることがあり、その言葉を口に出した。


「ブースターって?」

「力を分け与えることです。使用している術が、思った以上に力を使う場合、他の者が傍にいて、力を注ぐんですよ」

「魔術師同士でもやるけど、基本私たちは、群れないから、魔石で代用するわ」

「教会は縦社会ですから、上に言われれば、断れないんです」


 感心して聞いていたけど、魔術師と聖職者って仲が悪いのかな。マーカスの態度は今更だけど、フレッドまでポーラに反発した態度を取ることがあって、時々ヒヤッとなる。


「ソマイアは、魔塔があるせいで、教会の勢力は他国と比べて少ないの。だから、少人数で梯子して、ソマイアを抜けようとしていたらしいわ。潜入させていた冒険者が、ソマイアの国境付近に待機していた聖職者たちに、嘘の決行日を知らせておいてくれたお陰で、あの時傭兵の男が、外部と連絡が取れなかったそうよ」

「ジルエットの常連だと言っていたからな、あの冒険者」

「え⁉」


 じょ、常連さん⁉ 誰だろう、最近姿を見ていない、冒険者の常連さんなんて、いっぱいいるから分からない……。長期間の依頼を受けたりすることがあるため、よくあることだった。


「そうなのよ、アンリエッタ。今回協力してくれた人たちの大半は、アンリエッタのパンのファンなの」

「初めて知りました。じゃ、お礼を。あ、でも、お店には戻れないから、無理か」

「大丈夫よ。ここの宿泊施設には、厨房もいくつかあって、使われていないのもあるから、好きに使っても良いそうよ。この学術院にも、アンリエッタのパンのファンは多いから」


 あぁ、マーカスが色々やっているのを知って、差し入れと称して、バラまいていたから。


「材料は、ロザリーに頼めばいい。こんなことがあったから、気にしているだろうから。ジェイクと一緒に荷物を持ってきてくれるだろう」

「あとで手紙を書くから、届けてもらえる?」

「あぁ、ついでに使用許可も取ってきておく」


 これでお礼が出来る、と胸を撫で下ろした。けれど、話し合いが終わったわけではなかった。ポーラが話題を変えるために、笑みを消したからだ。


「口を割った聖職者から、カラリッド侯爵の名前が出たわ」

「一体、どんな魔法を使ったんですか。そんな大事なこと、簡単に口に出すとは……」

「そこは言えないわ。ただ、傭兵のように、契約書があれば、尚良かったんだけど」

「傭兵の契約相手は?」


 マーカスの問いに、ポーラは溜め息をついてから答えた。


「残念ながら、一緒にいた聖職者だったわ。だから聖職者の言質のみ」

「型番で証明しても、交渉のカードとしては、弱いでしょうね」

「そうなのよ。こう言いたくはないけど、貴族が平民の少女を誘拐するのは、よくあることだから」


 その言葉に、一瞬背筋に悪寒が走った。他人事でもなかったし、孤児院でも、突然いなくなった子がいたからだ。


 あれが私のように逃げているのならいい、だけどそうじゃなかったら。旅をしている時も、教会が人身売買をしている、と聞いたことがあった。


「聖職者の言質を、さらに証明する証拠を突き出せば、問題ないのではありませんか」


 突然、ポーラの膝の上にいた青い狐が喋った。アンリエッタを考慮してか、ユルーゲルの声には聞こえなかったが、喋っているのは、ユルーゲル本人である。


「どういうことかしら」

「先日、マーカス殿の提案で、カラリッド侯爵家に、ある魔法陣を設置したのを覚えていますか。その魔法陣が、今回の誘拐を企てている話を拾いまして」


 えっ、盗聴器を設置したってこと? 犯罪なんじゃないの。違法なものは、証拠にならないんじゃ……。って、ここは前世の世界じゃないのに、何言っているんだか、私は。


「あら。ゾドでも、貴族の筆頭ともいえるカラリッド侯爵に、その証拠を突き付けたら、こっちの提案も聞いてもらえそうね」


 提案と書いて、脅しと読むんですか……それは。さすがの私も、怖くて聞けなかった。


「やはり、法螺を真実にして、正解でしたね」

「……まぁ、ともかく、そっちは上手い感じに料理してくれ」


 この状況で、悪役の言い方をしないで、マーカス!


 どこを取っても、犯罪臭しかしない空気だったが、敢えて何も言わなかった。その原因が自分自身にあったからだ。そして、ポーラたちの助けがなければ、平穏に暮らせないことも、分かっていたのだ。


 そうでなければ、今頃、ソマイアの国境まで連れて行かされ、ゾドの聖女として、傀儡にされていたかもしれない。未だ満足に、神聖力を使いこなせていないから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る