第16話 青い魔術師の考察(アズール視点)

「ふぅ~。失礼なことをしてしまっただろうか」


 学術院にある自身の研究室に入るや否や、声に出たのは、先ほどのポーラとのやり取りのことだった。

 すぐさま研究室に向かった理由は、別にあるというのに、相変わらず私は、あの手の顔には弱いようだ。


 ポーラ・フォーリー。いや、ジャネット・ポーラ・ソマイア。

 ソマイアの王女にして、魔塔の主で、私の初恋の人によく似た女性。


 赤い髪に強気な性格を持ち。懐に入れた者なら、無条件に誰でも大事に守ろうとするところまで、まるであの人かと思うほどそっくりだった。そう、ジェシー・ソマイアに。


 もう彼女に会うことはできないが、それをジャネットで満たそうとは思っていない。

 けれど、ジャネットを前にすると、まるでジェシーを前にした時と同じ態度を、自然と取っている自分がいた。彼女の面影すら、無意識に探してしまうところも。


 だから二週間ほど前、ジャネットからの頼みに、間を置くことなく、二つ返事で承諾してしまっていた。

 叶わない思いよりも、叶う望みのある事象に力を入れようと、決心したというのに。いとも容易く、計画に支障を来す事案を、組み込んでしまっていた。


 しかし、これも怪我の功名とでもいうのか、探していた素材が近くにいたばかりか、私のテリトリーの範囲まで、向こうから来ようとしてくれていたのだから。


 マスティーユは、机の方へゆっくりと近づいて行った。そして、“待って”いた本が、置かれているのを確認すると、口角が自然と上がった。


 アンリエッタが本を返しにきた時、次の本をすぐに渡せるよう司書に頼んだ際、ある魔法を施していた。返却後、そのまま研究室に届けるように、誘導する魔法を。そして、研究室の扉には、私以外が開けると、自動的に知らせる魔法を施しおいた。


 つまり、先ほどジャネットと会話をしていた際、その知らせを受け取っていた、というわけだ。早くその結果を確認したくて、駆け付けたというのに、第一声がアレでは、本当に自分自身に呆れてしまう。


 そして、何故このような回りくどいやり方をするのかというと、私は罠を仕掛けるのが、得意なのだ。


 最近では、周りに気づかれないように罠を仕掛け、それを私がやったと、ピンポイントで分かるようにするのが楽しみだった。だがこれは、周りに一切気づかれてはならないため、小さな罠しか仕掛けられず。尚且つ、小さすぎて相手がそれに気づいたか、そしてそれが私だと分かったかどうかの判別がつかないため、とても地味だが、難易度が高かった。


 私が愛用する魔法が、魔法陣を使ったものなのも、その特性に最も適していたからだった。


 棒やペンを使って、地面や紙に描く大きな物から、栞ほど小さな紙に描く物あり、用途によって、使い分けが出来、杖などを使う魔法よりも、詳細に色々な魔法を組み込み、組み合わせて新しい魔法を生み出すことが出来る。何とも研究し甲斐がある物だった。そういったことでも、魔法陣は私と相性が良かった。


 ふと、“待って”いた本の下に、もう一冊本があることに気がついた。それは次に渡す本として用意しておいた、二つの内の一冊だった。しかもその本には、傍目からは真っ白な紙としか見えない栞を、挟んでおいた物だった。

 その栞は、勿論魔法陣を描いていた。司書に施したのと同じ、研究室へ誘導する物を。


 マスティーユは本当に、この本だったのか確かめるように、下にあった本を取り出した。そして、パラパラ捲ると、一枚の栞が床に落ちた。拾い上げて、確かめる。魔力を注ぎ、栞に魔法陣が浮かび上がった。


 アンリエッタ・ゴールク。いや、アンリエッタ・イズルと言ったか。それなりに調べ上げ、回避能力が特別強いと判断した。だから罠を一つに絞らず、二つの内一つにし、確かめた。結果、これほどとは。


 こんな小さな罠でさえ、勘付かれるとは思わなかった。これでは、捕まらないはずだ。下手したら、警戒心さえ抱かせたかもしれない。となれば、悠長に構えてはいられない。早急にあの魔法陣を、完成させなければ。


 いくらなんでも、本を返却するためには、また来なくてはならないのだから。



 ***



 後日、ジャネットがパンの入った紙袋を持って、研究室に現れた。あれが社交辞令でなかったのは嬉しいが、あまりの散らかりように、内心焦った。


 礼儀としても、紙袋を受け取って、そのままお帰り願うことはできない。だからといって、この散らかった研究室で、共にお茶をすることもできなかった。同じ教授という立場の人間ならともかく。


 とはいえ、研究室に籠ってばかりいる私には、ジャネットを誘っても良いような場所は知らず、結果として、先日相席した場所で、ランチを取ることになった。今後もそういうことがあるのなら、もっと引き出しを多くするべきだな。


 息を一つ吐くと、反省の気持ちも含めて、コーヒーに口をつけた。


「やはり忙しいところを訪ねてしまったようね。申し訳なかったわ」


 口ではそう言うものの、自らの行動を戒めるような態度は、一切示さないところもまた、似ていた。


「いいえ。時には、気分転換も必要ですから。このように、気軽に訪ねて来てくださると、私としても嬉しい限りです」


 次こそは、挽回の機会を得たいところだったからだ。けれど、ジャネットとこれ以上関わっていいのか、悩むところでもあった。例えば、こんな会話になってしまうと困った。


「これを買いに行った時、それとなく貴方のことを話したの」


 無論、共通の話題と言えば、魔法かアンリエッタのことしかない。そして、ジャネットの関心事は、後者でしかないのだから、仕方がなかった。


 何か勘付いたことを、ジャネットに話したのではないだろうか。アンリエッタという少女を全く知らないが故の不安だった。


「何か仰っていましたか? 一応、本で分からないところがあれば、司書を通して質問出来るように、手配はしたのですが……」

「まぁ、そこまでしてくれていたの? ありがとう。でも、それは大丈夫そうだったわ。ただ……そうね、どんな人物なのか聞かれて、少し困ってしまったのよ」

「そうでしょうね。私とポーラ嬢の関係は、魔塔の主と魔術師ですから。今回のようなことがなければ、接点などなかったでしょう」


 ジャネットの言葉ならいざ知らず、自分の言葉に傷ついていれば、世話がない。


「ふふふ。そんなに拗ねないでちょうだい。だから、こうして貴方に会って、答えを見つけに来たのだから」


 茶目っ気に笑う姿を見て、思わずローブに付いているフードを被りたくなった。

 まだ私は、ジャネットの攻撃対象ではないのだろう。アンリエッタのために、私を見定めようとしているのかもしれない。それでも、知ろうとしてくれている行為を、今は喜んでも良いのだろうか。


「一度の面談で、何か分かりましたか?」

「まさか。そんな人物がいたら、お目にかかりたいわ。それに進捗報告は、定期的に聞きに来るつもりだから、忘れないでちょうだい」

「承りました」


 そうだった。忘れていたが、そういう特典もあったのだ。次回からは、もっと良い場所を探しておかなければ。


「それはそうと、それ以外で何かありましたか?気分が優れないように、お見受けするのですが」


 ジェシーはよく、あのような表情をして、私の所にやってきていた。自分では解決できないから、相談に乗ってほしい、と。


「よく分かったわね。アンリエッタがね。……その、一緒に暮らしている“お兄さん”と、どうも喧嘩しているようなのよ。まぁ、それを聞いたからって、私がどうにか出来る問題でもないのだけど……」


 でも、何かしたい。してあげたいが、具体的にどうしたら良いのか分からない。懐かしくて、その時と同じことを口にした。


「見守るのが一番でしょう。けれど、それが難しいようでしたら、私がいつでも聞きますよ。愚痴だろうと、文句だろうと、何でも」

「ありがとう。私も、見守るのが一番だとは、思ってはいたのよ。口を出してはいけないと」

「えぇ。分かりますとも」


 それを皮切りに、ジャネットは少しずつだが、話し始めた。

 しかし、アンリエッタ・ゴールクに兄はいなかったはず。イズルと姓を変えてからも、調べた時には出てこなかった。それが何故、今になって……。


 ジャネットを利用したくはないが、もう少しその“兄”について、知る必要がありそうだ。

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