第15話 赤い魔術師の焦燥(ポーラ視点)

アンリエッタとマーカスが図書館にいた頃、ポーラもまた、学術院に来ていた。


「相席しても、宜しいですか?」


庭園を一望できる席に腰掛け、コーヒーを一口飲み終えたのを見計らったように、声をかけられた。カップを置き、顔を上げると、そこには青い髪の男が立っていた。


口ではそう言っていたものの、手に持っているのは本であって、飲み物ではなかった。


「相席というのなら、せめてそれに相応しい物を持って、尋ねたらどうかしら」

「それは失礼いたしました、ポーラ様」


男はにこりと笑い、丁寧にお辞儀をした。それに対してポーラは眉を顰め、腕を組んだ。


「様はやめなさい、と言ったはずよ、マスティーユ」

「そうでしたね、ポーラ嬢。重ね重ね失礼しました」


しかしマスティーユと呼ばれた男は、敬称は直したものの、その態度自体は改める気など、微塵もない様子だった。ポーラは溜め息をつき、座るよう促した。


「それで? 何か進展でもあって?」


二週間ほど前に頼んでおいた、アンリエッタの神聖力についての進捗状況を聞いた。


独学で神聖力の使い方を学びたい子がいるのだけれど、教材として使える本はないか、と尋ねに行ったこの人物は、神聖力が使える者ではなかった。


そもそも、この学術院内で、神聖力を使える者は少ない。それはその大半が、教会か神殿で働く道を選んでいるからだ。いや、必然的に選ばされる、と言った方が良いかも知れない。何故なら、その方が安定した収入と衣食住が約束されているからだ。


勿論、私の知人の中に探してみたが、見つからなかった。その為、院長に頼んだのだが、色好い返事は得られなかった。


まぁ、私が魔術師であるため、警戒するのも仕方がない。院長もまた、ゾルレオ・レニンを警戒していたからだ。そもそも情報を持ってきたのは、院長本人である。学術院に属している神聖力を持つ者には、必要最低限、魔術師に近づかないよう、すでに警告までしていた後だった。


途方に暮れた私は、知人の知人へと協力を要請した。それに引っ掛かった……のではなく、手を挙げたのが、アズール・マスティーユだった。


彼は十年ほど前から、レニン伯爵の紹介で魔塔にやってきた魔術師で、近年レニン伯爵領に戻り、学術院で研究をしながら、教鞭を執っている。レニン伯爵の関係者だが、こうして目の届くところで、目を光らせていれば大丈夫だろうと判断した。


魔術師とはいえ、神聖力を持っている者とコンタクトが取れる人物は、なかなかいなかった、という妥協もあった。


「いえ。今はまだ待っている状態、でしょうか」

「そうね。すぐに成果を期待するなんて、私が早急過ぎたわ」


アンリエッタの反応を見た時に、自己防衛能力を身に付けていないような気がして、心配になった。だから、気持ちが急いでしまっていたのだろう。落ち着かせるように、コーヒーをもう一口飲んだ。


「具体的には、すでにお貸しした本の返却が、されていない状態です。次にお貸しする本は、すでに手配してあるのですが、連絡は未だ来ていません」


ポーラは一旦目を閉じ、間を置いてから、気になっていたことを口に出した。


「師を置かずに独学で学ぶ場合は、やっぱり習得に時間がかかるのかしら。魔法を独学でやる者なんて知らないから、尚更見当がつかないのよ」

「では、教会か神殿の者にでも尋ねてみますか? 学術院にいる知人は、やはり師を設けるべきだと、薦められましたが」


それは私も思い付いたことだった。けれど、教会や神殿に接触すれば、アンリエッタの存在に気がつかれる。


アンリエッタが、ゴールク孤児院から逃げてきたことが本当なら、接触は危険だった。最悪、連れていかれた挙げ句、こちらとの接触を阻止されてしまう可能性があった。


つまりレニン伯爵ではなく、教会や神殿がその役割に取って代わるだけなのだ。それでは、何も意味をなさない。


「教会も神殿もダメよ。間違っても、彼らの耳には入れないように。それを貴方の知人にも、同様に伝えなさい。師を置くかどうかは、まだ私たちが決めることではないから、早急に事を運ばないようにね」


やはり貴女もそうなのですね、と小さくマスティーユは呟いた。ポーラが怪訝な顔を示すと、何事もなかったかのように微笑んだ。


「いえ、とても可愛がっておられるのだと、思いまして。まるで懐に入れた者なら、誰でも大事にしようと、なされているように見えました」

「そっ、そうかしら。そんな風に考えたことがなかったから、全く気がつかなかったわ」


出会って半年にも満たない相手に、私さえも気がつかなかった本質を、見抜かれてしまっていたことに驚いた。なら、もっと前から私の周りにいる者たちも、意外と知っているのかもしれない。そんな思考が、一瞬頭を過った。


「けど、確かにそうかもしれないわね。可愛がっているのは認めるわ。そうだわ。今度、一緒にジルエットに行きましょう。アンリエッタがやっている、パン屋なの」


名案とばかりに、胸の位置で両手を合わせた。


指導する生徒の顔を、一度見てみるのは、けして悪いことじゃない。マスティーユも気になるだろう。アンリエッタに伝えるか否かは、その場で考えるとして。


「それは大変有難い話なのですが。私の方も、少々立て込んでおりまして。この体が空くのが、何時のことになるか、私も見当がつかないのです」

「そう。それは残念だわ。けれど、私が貴方の仕事を増やした要因の一つでもあるわけだから、無理を言ってしまってごめんなさいね」

「いえいえ。ただ一つ、無礼でなければ、お願いがあるのですが」


私よりも、明らかに年上に見える男性に、恥じらわれると、何だか私の方まで照れるわね。


「構わないわ。私に出来ることなら、言ってちょうだい」

「では、今度一度だけで良いので、そのお店のパンを差し入れて貰いたいです」


何を言うのかと思えば、何とも可愛らしい返答に、思わず笑みが零れた。


「ふふふ。良いわよ。期待して待っていてちょうだい」

「はい。楽しみにしています」


用件が済んだのか、マスティーユは席を立ち、一礼してからその場を去った。忙しいというのは、本当のようだった。

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