第12話 黄色い騎士の悪癖(マーカス視点)
マーカスは、かつて物置部屋にされていた、自身の部屋へ入った。その途端、ドアに背を預け、片手で口を覆った。
アンリエッタの部屋を訪問した目的は、少しでも彼女の背景や行動パターンを、把握しておきたかったからだった。しかしそこで、不意に得られた収穫に、つい口角が上がった。
思いがけず手に入れたアンリエッタの温もり。祝福という名の口付けも。意図してやったわけではないのが残念だが、今はそれで満足した。
そして、両手の平を見つめた。祝福の温かさなのか、それともアンリエッタの温もりなのか分からなかったが、未だ懐に残っている感じがするほど温かかった。
明日もして欲しいと言ったのは、けしてからかったわけじゃない。本心だった。が、あそこまで自覚なくやっておいて、気がついた時のアンリエッタの顔に、再び愛おしさが込み上げてきた。
「あそこで反応しなかったら、唇にいくところだった」
そうすれば、しばらく顔さえ合わせてくれなくなるかもしれない。最悪、追い出される可能性もあっただろう。
マーカスは息を吐き、天を仰いだ。
「……加減が難しいな」
無自覚で来る相手に、全力で応えてはいけないというのに、呆然とするあの唇を味わいたくなった。それを可能にするには、相手に自覚して貰わなければならない。まずはそこからだ。
「孤児院と言っていたか」
そうアンリエッタは恐らく、その感覚で触れてきたのだろう。もしかしたら、異性として見られていないのかもしれない。
髪を撫でる行為も、頬にキスする行為も。
そう思った途端、胸の奥がざわざわした。
***
「今日はしてくれないのか?」
翌日、朝食後に頬を指差しながら、ダメ元で要求してみた。
「しないから! というか、いつもしているみたいに言わないで!」
マーカスの仕草と言葉に、一瞬で顔を赤くしたアンリエッタは、すぐに声を大きくして返答した。
さすがに昨日のことを反省したのだろうか。安易な行動が出なくなっただけでも良しとしよう。ただ、それは俺以外にしてほしかった。
「しかし、手伝うと言った以上、これもそれの内に入ると思ったんだが……。どうやら、俺の思い違いだったようだな」
そう言質は取ってある。マーカスは、敢えて困ったような仕草を見せた。
これはあくまで手伝いなのだと。それなのに、始めからそれを拒否するとは酷い、とでも言いたげに。オーバーリアクションでアピールした。
「えっ、あっ。やっ、で、でも、昨日したんだから、必要ない、はず……だよ。効力はまだ続いている、と思う……から……多分」
「自信がないなら、尚更練習しないといけないんじゃないか?」
「えっ。で、でも……」
恥ずかしいし、と小さく言う口に顔を近づけた。
「頼む」
「~~~っ!」
結局、集中出来ないから無理!と断られてしまった。が、少しは意識して貰えただろうか。
***
ギラーテの自警団は、他の街の自警団とは、性質がやや違っていた。
街の治安を守ること以外に、学術院の警備も担っていたからだ。街の半分をも占めることと、学術院側から打診があったこと、そして何よりレニン伯爵家から、その名目として、運営資金を頂戴していたのだ。断る理由がない。
さらには、伯爵家直属の騎士団から、上記を理由に、直接訓練を受けることが許されていたのもあった。
単に、縛りのない冒険者よりも、駐在している自警団の方が、良かったのかもしれない。実力の方も、上より中。下より中といったように、足りなければ騎士団で強化すれば良しとするぐらいを、向こうは求めていた、ということだ。
身分が上のものであれば、実力が備わっている人物たちが、警備をした方が良いだろう。しかし、そうではない者にとっては、威圧的に感じてしまうかもしれない。それを配慮した結果、こうなったというわけである。
入ったばかりのマーカスには、まだ配属先がなかったため、毎日詰所に行ってやることは、ただ訓練を受けることのみだった。
ギラーテはソマイアの中でも、マーシェルに近いせいか、騎士の訓練方法が酷似していた。そのためもあって、マーカスにとっては、とてもやり易い環境にあった。そればかりか、新たな訓練方法に、目を輝かせ、楽しむほどだった。
訓練をそつなくこなすマーカスを見て、周りの団員は、すぐに配属先が決まるだろう、と言ってくれた。マーカスとしても、早くお金を稼いでおきたいがため、そうなってくれることを望んだ。
「ゴールク、と言ったか」
自警団の詰所からの帰りに、ふと思い出したように呟いた。
アンリエッタが言っていた、マーシェルにあるという孤児院の名前。神聖力を持っているがために、逃げなければならなかった場所。
まぁ、司祭となってしまったら、こんなに気安く触れることはできなかったのだから、こちらとしては良かった話である。
それに、一生教会に飼い殺される。アンリエッタが言っていた『神聖力を持った孤児が辿る道』とは、まさにそのことだった。騎士団への補助の外、教会への信仰に利用される。最悪の場合、信仰の象徴にされる可能性もあった。
教会がどこまで、アンリエッタを重要視しているか分からない。が、追手が来るかもしれない、という可能性が拭えない以上、調べてみる価値はありそうだ。
幸い、場所はマーシェルだ。アンリエッタを探すために、培った人脈もあるし、ザヴェル侯爵家の名で調べることもできる。
「……」
その場合、否応なしに、俺の居場所が侯爵家にバレるわけだが……。どうしたものか……。いや、いっその事これを機に、もう一つ気になっていた方も、調べてもらう方が、効率が良いかも知れない。
腹をくくったマーカスは、さらに家路を急いだ。
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