第5話 力を使う基準

 ゴーン、ゴーン。


 ギラーテの中央にそびえ立つ時計塔が、二時を知らせる鐘を鳴らせた。


 レニン辺境伯領ギラーテには、伯爵の屋敷はない。が、冒険者ギルドや商業ギルドが置けるほどの規模がある街ではあった。

 それは偏に、街の東側をほぼ占めている学術院が関係していた。この学術院は、学びたい者なら誰でも受け入れているスタンスを示しているため、貴族や平民、魔力の有無への差別が禁止されている。

 それは辺境だからこそ、できること、そして許される特権のようなものだった。田舎と、バカにする者もいるらしいが、制限も少ない且、自由に学び、研究できる環境は、なかなかない。

 ソマイアの首都のように、身分や生活水準の格差が大きくなってしまっている大規模な街では叶わないことだろう。

 それもあってか、自然と規模が大きくなり、いつの間にか街の半分を占めるようになった。


 こういった経緯もあって、学術院への出入りは関係者のみではあるが、その敷地内にある図書館は、一般開放されていた。ただ専門的な書物の中には、危険な書物もあるため、図書館は北と南にそれぞれ分かれていて、一般開放されているのは南館だけだった。


 アンリエッタは今、その南館へと、向かって歩いている。


 ギラーテでの生活に慣れてきた頃、一般の人間でも学術院の図書館が利用できることを知ったアンリエッタは、よく本を借りに行っていた。

 返しては借りてを繰り返すほどに。それで今日は、その借りた本を返却しに行くところだった。


 本当なら返却日まで、まだまだあるのだが、これからのことを考えると、ゆっくり本を読む時間があるのか、返却しに行く時間があるのか、分かったものではない。故に、普段買い物をする時間を使って、済ませるほかなかったのだ。


 欲を言えば、静かな図書館でゆっくり、今後のことを検討し、対策を練りたかったのだが、そんな時間は取れそうになかった。貧乏暇なしとはこのことである。


 そもそも対策を練りたくても、肝心のマーカスに何一つ聞けていないことが、問題だった。


 昨日今日は、バタバタしていて、そんな状況じゃなかったのもあったけど。それよりも、どう切り出したら良いのか、それが一番の難題だった。


 私はマーカスの背景事情を知っているが、マーカスは私がそれを知っていることを知らない。

 それなのに、“マーシェルに帰らないで、何でソマイアにいるの?”とは聞けない。むしろ、“マーシェルに帰って!”と言いたいくらいなのに。


「う~ん」


 そもそも、何でウチに居座ろうとするんだろう。

 今更だけど、ほんの少しの滞在なら、兄妹のフリなんて必要ないわけだったし。お金だって、後で返してくれるように言えば良かったのかも。

 あぁでも、お金は早ければ早い方が良いから、それはダメか。


 考えれば考えるほど、あの時言いくるめられた自分の愚かさに怒りが込み上げてきた。それと同時に、何故そこまでする必要があったのか、という疑問が浮かび上がった。


 マーカスにとって、パトリシアの問題は解決したのだろうか。いや、していないはずだ。


 小説ではヒロインのパトリシアが旅に出るのは、マーカスが家を出た二年後。つまり、今年である。


 何故二年後なのかというと、マーカスが家を出た理由を兄であるアイザックが、しばらく友人の家で腕を磨きに行っていると、偽ってパトリシアに教えていたからだ。

 しかし二年も経つと、何の音沙汰もないことに疑問を抱き、アイザックを問い詰めた。

 そこで、パトリシアはマーカスとアイザックの真意を知ることになる。が、パトリシアはそれに反して、マーカスを探しに家を出ていってしまうのだ。しかしその時にはもう、アイザックは反対することなく見送った。


 小説『銀竜の乙女』のストーリーが、すでに始まっているのか、いないのかまでは、正確には分からない。けれど、少なくとも今年中には始まることは分かる。

 だからこそ、余計にマーカスの行動が理解できなかった。


 それを、どう伝えたら良いんだろう。


 それとなく、家族のこととか聞いてみる? 無神経かな。

 だけど、そうなると私の事情も言わなくちゃならなくなるよね。相手のことを聞けば、此方のことを聞かれるのは当然だし、それに答えないのは失礼極まりない。


 何であそこにいたの? って聞いてみる?

 怪我して動けなくなって、たまたまあそこにいた、って言われそう。


 じゃ、何で怪我したの? なんて質問は野暮だ。

 旅をしていれば、必ず怪我はする。しない方がむしろおかしいくらいだ。


「あぁ、ますます分かんない」


 その時だった。突然、服を掴まれ、後ろに引っ張られた。


「‼」


 あまりにも急なことに驚いて、体と頭が反応できず、アンリエッタはただ、目を瞑ることしかできなかった。


「私は今のあなたの行動が、分からないわ。気を付けなさい。危ないところだったのよ」


 倒れるかと思った体を支えるかのように、アンリエッタの両肩を掴んだ赤毛の美人が、心配そうな声で話しかけた。

 そうっと、アンリエッタが目を開けると、勢いよく走っていく馬車が見えた。


 どうやら、横からカーブしてきた馬車に、轢かれそうになったらしい。

 考えただけで、ゾッとした。


 アンリエッタは後ろを振り返り、改めて赤毛の美人と向き合った。


「ありがとうございます、ポーラさん」


 そこには、ウェーブがかった赤毛のロングヘアーと、目鼻立ちがはっきりした端麗な顔立ち。そしてローブを纏っていても分かる豊満な体型をしたポーラ・フォーリーがいた。彼女を見たら、大抵の人間が振り返ってしまうほどの美人だった。


 普段はそれを隠すために、フードを被っているのだが、今はさすがに取っていることもあって、各方向からの視線が集まっていた。


 それは無理もない。質素なローブを纏っているのに、思わず見惚れてしまうのだから。自分もそれくらいの体型は欲しかったと、羨んでしまう。


 まぁ私の場合、幼少を孤児院で過ごしたから、栄養の良い物を多く取らなかったせいで、貧相な体型をしているんだよ、きっと。

 うん。でも前世も今世も似た体型だったから、一度くらいあんな体型が欲しかったなぁ。


 さらに言うと、ポーラは同性であっても、思わず「お姉様」と呼びたくなるくらい頼れる人格者でもあった。

 実際、冒険者ギルド内でそう呼ばれているとか、いないとか。“姉”が“姐”の字に、時々なっているとか、いないとか。

 ジェイク情報なので、真偽は分からないが。


 ただ私には、何処かの国の王女様のように思う瞬間があった。他の人に言うと、“女王様の間違いじゃない?”と冷やかされたので、もう言わないことにしている。本人に言う勇気もないけど。


「それで? 大丈夫なの? 怪我とかしてない?」


 ポーラがボディーチェックをするように、アンリエッタの頭や肩を触った。


「平気です。ポーラさんこそ、大丈夫ですか?」


 少し乱れた様子の髪に、アンリエッタは手を伸ばして、ポーラの髪を整えた。


「ふふ。いつものことだから、これくらい大丈夫よ。それにしても――……」


 アンリエッタの手を払うことなく受けながら、ポーラは一度目を閉じ、再び言葉を続けた。


「こうしてアンリエッタが触れてくれると、体が軽くなったように感じるのは、何故かしらね」

「!」


 その言葉に一瞬驚いて、アンリエッタは手を引こうとした。

 けれど、その行動は悪手だ。ポーラに理由を迫られる隙を与えることになるからだ。

 アンリエッタは心の中で、舌打ちした。


 無意識の行動とはいえ、気を付ける必要があったのに。

 そう。これが孤児院から脱出した理由であり、原因だった。


 私の持つ神聖力は、どうやら他の人よりも多いらしい。意識的に力を使うだけでなく、ただ触れただけでも、相手に影響を与えてしまうことがあった。特に、好感を持った相手なら、より一層起こってしまう事態だった。


 しかもそれは、無意識下に起こり、自分ではコントロールすることができなかった。もしかすると、できるのかもしれないが、訓練のようなものをすると周りに悟られてしまうのではと思い、練習すること自体を躊躇した。


 それが今になって、返ってくるなんて。


 あの時はただ、逃げるだけで良かった。

 教会の内部に連れて行かされる話を、院長室からこっそり聞いてしまい、逃げることを決意した。そんなところに行ったら、自由がないからだった。

 こちらの意思を必死に伝えても、相手が話の通じない人間ばかりじゃ、前世と何も変わらない。こっちが疲れるばかりなのに、相手は疲労一つないような素振りで、より一層腹を立てた挙げ句、私はただ精神をすり減らし続けるだけ。


 教会にいる司祭たちの顔は、エゴを押し付ける人間の顔にしか、私には見えなかった。自分たちが楽をするために、相手に犠牲を平気で、無自覚に要求する人間たち。

 前世で私を苦しめた、あの親族たちと同じ空気に、吐き気がした。


 しかし、ポーラさんは違っていた。そんな人間たちとは違い、私の意見を尊重してくれる、できた人間だ。


 けれどその前に、ポーラさんは冒険者である。私が神聖力を持っていることは、知らせたくない。まして、冒険者として活動していない普段のポーラさんは、各地を旅しているといっていた。

 人としては信用できるが、それ以外の要素が不安材料だらけだった。だからこそ、話してはいけない相手なんじゃないだろうか。


 私の勘も、警戒音を鳴らしている。

 立ち向かうことも、戦うことも必要だけど、逃げた方が良い時もある。むしろ、逃げられるなら、逃げるべきだ。

 悟られないように、なるべく平静を装った。


「それは、私自体がポーラさんにとって、癒しの存在とかだったりして」


 な~んてね、と冗談交じりに言いながら、手を引っ込めた。


「まぁ、そうとも言えなくはないわね」


 よし、とりあえず誤魔化せた。

 ポーラがのって来てくれたことに、アンリエッタは安堵した。が、それは束の間だった。


「でも、アンリエッタの作るパンもだけど、他と違って優しい感じがするのよね。食べると、疲れが癒されるような気分になるの。だから、繁盛しているのよね」

「きょ、恐縮です」


 確かに、常連さんからそう言われたことはあったけど。それは、いつも疲れた顔をしている研究者たちに言われたことだった。

 だから、深い意味も、パンに神聖力が移っていたかもしれないと、疑ったことはなかった。


「ねぇ、少し落ち着いた場所で、お話しない?」


 いつもなら、喜んで! と言いたいところだったが、状況が状況なだけに、すぐには答えられなかった。


 怖いし、どうしてポーラさんにそこまで攻められなければならないのか、理解できなかった。


 その時だった。

 ガシャン‼ という大きな音に、体がビクッと反応した。音のした方を見たが、それらしきものが見当たらない。

 けれど、ポーラには見当がついているのか、すぐさま反応し、駆け出した。


 ここで保身を優先するならば、そっと立ち去ることが正解だった。しかし、私はそこまで卑怯な人間にはなれなかった。

 気がつくと、ポーラの後を追っていた。



 ***



 アンリエッタは、ポーラから見ると七歳年下だ。

 けれど体力面では、どちらが年下か分からないほどの差があった。冒険者と比較するのは、可笑しな話だが。


 そのため、現場に着いた時には、すでに事が終わった後だった。アンリエッタは肩で息をしながら、膝に両手を置いて、息を整えた後、前を見据えた。


 そこは裏通りのよくある袋小路だった。

 奥の壁に細長い氷の塊で張り付けにされた男が一人。その前で仁王立ちしている女が一人。そして、少し離れた場所で、呆然と座り込んでいる少年が一人いた。


 状況判断としては、音の発生の原因と思われる男に向かって、ポーラが氷の魔法で懲らしめた。という見立てだろう。


 あっちは、ポーラさんに任せるとして、少年は大丈夫かな。


 見るからに薄汚れた姿と腫れた頬。むき出しになっている腕や足に、できたばかりと思わせる痣で、何があったのか、瞬時に判断できた。


 ギラーテは辺境の街だが、大きな街故に、ストリートチルドレンがいない訳ではなかった。その子供たちは、家族がいて家もある。けれど、貧しい故に路上で働いたりしている。


 アンリエッタのいた孤児院があった街には、それよりも酷い状態の子供たちがいた分、あまり気に止めていなかった。孤児院という名の家はあったが、アンリエッタには家族がいなかったからだ。


 まぁ、前世の親族たちを思えば、いない方が楽なんだけどね。広くて浅い関係が、今の私にとっては理想的だから。


 おそらくこの少年は、張り付けにされている男の反感を買ったのか、苛立ちの捌け口にされたのだろう。アンリエッタは駆け寄った。


「大丈夫?」


 明らかに大丈夫じゃない少年に、他にかける言葉が見つからなかった。少年は何も言わず、痛そうに両手で両腕を擦っていた。

 アンリエッタはその姿に、躊躇うことなく両手を翳し、神聖力を使った。ポーラがいることなど、構うことなく。


「!」


 少年は神聖力を見るのが初めなのか、それとも魔法でも治療を受けたことがなかったのか、その光景に驚いた顔をしていた。


 孤児院でもそうだった。

 暴力や体罰で受けた傷や、魔法が失敗してできた傷を見ると、いてもたってもいられなかった。


 それは前世では、あまり見られないものだったからだろう。そして、自分にはそれを治せる力があった。

 辛そうな顔を見ていると、自分にできることをしたくなる。やってあげたくなる。面倒見がいい方じゃないのにも関わらず、手を出してしまう。

 それが親族たちを、付け上がらせる原因になっていたのも、知っていた。


 その悪い癖が、また出てしまった。


「痛い所、ある?」


 少年は体を確かめた後、アンリエッタに向かって首を横に振った。


「ない! ありがとう、お姉ちゃん」

「ううん。何があったのか知らないけど、気をつけてね」

「うん」


 そう言うと少年は立ち上がり、その場から離れようとした。しかし、アンリエッタの後ろから、靴音を立ててやってきたポーラに止められた。


「待ちなさい。あの男を自警団につき出す時に、君の証言も必要なの。一方だけの発言じゃ、信憑性にかけるでしょ」

「ポ、ポーラさん……」


 そこまでしなくても……と、目で訴えたが、ポーラは目を閉じて、首を横に振った。


「あの男は、君に財布をスられたと言っているわ。だから、君に暴力を振ったと。君はどう? あの男が言ったことは本当?」


 そんな高圧的に言ったら、本当のことも言えなくなる。


「ち――……」

「そう言うところは、卑怯にならないことね。生き方は正々堂々と出来なくても、中身まで曲げるのは、格好悪いわよ」

「……っ!」


 少年は歯を食い縛り、俯いた。


「どうなのかしら」

「……か、返せば良いんだろ! この、クソババアー!」


 そう言うと、傍に落ちていた小さな巾着袋をポーラに向かって投げつけ、少年は走り去っていった。しかし、ポーラは意にも介さぬように、それを掴み、追いかけることなく眺めていた。


「ポ、ポーラさん?」

「クソババア、と言われるほど、歳は食っていないはずなんだけどね」


 溜め息をつき、指を鳴らした。すると、後ろで何か喚いている男の服に刺さっていた氷の塊が砕けた。



 ***



「アンリエッタ、さっきの力のことだけど……」


 結局、ポーラは張り付けにしていた男を自警団につき出すことなく、注意をしただけで解放した。少年のことといい、男前である。と、能天気にポーラの横を歩いていたアンリエッタは、その一言で凍りついた。


「ち、力ですか? さすがポーラさん、魔法の腕も上手なんですね。相手の男性、傷一つなかったとか……」


 わざと別の意味で解釈した返事をしたが、ポーラの目が冷ややかにアンリエッタを貫いた。


「神聖力よね」

「……」

「神聖力だったわよね」


 悪いことをしたわけではなかったが、圧に負けて頷いた。


「やっぱり、使えたのね」

「はい。黙っていてすみません」

「謝る必要なんてどこにもないわ。むしろ、私がそうしたんだから。でもね、私が言うのもなんだけど、そのことを安易に話してはダメよ」


 もう一度、はいと答えると、ポーラは満足そうに微笑んだ。逆にアンリエッタは視線を横に流した。


 少年を助けたことに、後悔はない。ポーラさんに知られてしまったのも、仕方がない。遅かれ早かれ、いずれそうなっていたのかもしれないから。


「それでなんだけど、アンリエッタは神聖力について、どれくらい知っているのかしら」

「え?」


 どれくらいって? どういう意味だろう。傷とかを癒すことかな。


「癒すことだけが神聖力ではない、というのは……知らなかった……みたいね」

「違うんですか?」


 アンリエッタの驚いた顔を見て、ポーラはやっぱりね、という反応をした。


「えぇ。そうよ。隠すくらいだから、あまり使わないんだと思ったら、案の定ね」

「いけませんか」

「いけなくはないわ。でも、神聖力には私が使う魔法のように、攻撃面もあるの。そう言った、癒しだけじゃない使い方も出来れば、いざと言う時、役に立つんじゃないかしら」


 ポーラさんの言いたいことは分かる。いつまでもこの力のことを隠し通すことは出来ないし、危険な目にあった時、対処できないのは困る。しかし――……。


「だからと言って、どうしろと言うんですか? 他の人に言うのは良くないって言ったのは、ポーラさんですよ。見ず知らずの人に、信用できない人に、教えを乞いたくないです」

「そうね。アンリエッタの気持ちも分かるわ。だから、まず独学でやってみるのはどうかしら」

「独学……ですか?」


 予想だにしなかった言葉に、アンリエッタは戸惑った。魔法でも、独学でやらず先生をつけた方が安全だと言われているのに、それをやれだなんて。


「そう。ここの学術院の先生に頼んで、神聖力関係の本を借りてあげるから、まずはそこから学ぶの」


 伝手があるから大丈夫よ、とポーラはウィンクして言った。


 まぁ、いきなり実践の練習ではなく、座学からなら良いかと思い、ポーラの申し出を受けた。しかし、アンリエッタはただこの決断をして良かったのか、不安になった。

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