勝利か死か Vaincre ou mourir
せりもも
対英戦略
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この部分は状況説明です
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1797年、アルプスを越えてイタリアを征服したボナパルトは、そのまま国境を越え、ウィーンへ向けて進軍を開始した。首都から150キロ(東京から新富士駅くらい)のレオーベンまで迫ったフランス軍に対し、オーストリアは、和約を受け容れた。
これで、フランスの敵は、海の向こうのイギリスだけとなった。
イギリスは、ちっぽけな島国だ。資源も少ない。国力の多くは、海洋貿易に頼っている。イギリスを叩くには、海路を遮断するに限る。それが、ボナパルトの意見であり、外務大臣、タレーランの意見でもあった。
イギリスの、北海における権益は、4年前に、ピシュグリュ軍の印象的な勝利により、フランスのものとなっていた。その年の冬は、寒い冬だった。青い外套のフランス騎兵は、凍った北海を馬で渡り、オランダ艦隊を拿捕したのだ。
イギリスは、地中海貿易に活路を求めた。インドからの豊かな物資が、生命線だった。
エジプトからシリアへの陸路を抑えれば、地中海は、フランスのものになると、ボナパルトは考えた。エジプトの、豊かな農産物も魅力だった。
翌年春も終わろうという頃。最後の敵を叩くべく、フランスの対イギリス軍は、海を渡った。
エジプト遠征だ。
アレクサンドリア近くに上陸したフランス軍は、なんなくこの都市を陥落させ、さらに、南へ向かった。
エジプトにおけるフランス軍の敵は、マムルークだった。彼らは、オスマントルコから、慣習的に、エジプトに於ける徴税を認められていた。マムルークの首長ベイは、全財産を持って移動しつつ、行く先々の住民達から、
フランス軍のエジプト進出は、このマムルークの利益を脅かすものだった。普段は仲の悪いベイ同士が手を結び、彼らは、共同して、フランス軍に敵対した。
アレクサンドリアからカイロへの進軍が始まった。最前衛を行くのは、ドゼ師団だった。ドゼは、ボナパルトの「友人」ということになっている。
初めのうちは、砂漠ばかりだった。未知の危険を警戒し、経験のないほどの喉の渇きに苦しみつつ、ドゼはゆっくり、師団を進めた。暑い砂の上は、歩きづらかった。
大砲。水。馬。飼葉。
ありとあらゆるものが、不足していた。
総司令官ボナパルトは、一切の補給要請を無視した。その上、中間地点まで来ると、後ろから恐ろしい勢いでドゼ師団に追い付き、前衛の進軍速度が遅すぎると、叱りつけた。
首都カイロ近くまで来て、フランス軍は、マムルーク軍と激突した。フランス軍は、師団ごとに方陣を組んだが、最も敵の近くにいたのは、ドゼ師団だった。敵の襲来に、ドゼ師団は、方陣を組む、ぎりぎりの時間しかなかった。犠牲者の数も多かった。
この戦いをボナパルトは、ピラミッドの戦いと呼ぶことにした。戦場からはピラミッドは見えなかったけれども。また、見えたとしても、兵士たちはそれが何であるかわからず、ただ困惑するばかりだったけれども。※
各方陣の四隅には、大砲が置かれていた。
発砲命令が出され、マムルーク兵たちは、空気を揺るがす落雷のような音に、驚愕した。少しして彼らは、遠くの味方が、ばらばらになって倒れているのを見た。だが、なかなか、その因果関係を把握できなかった。
砂漠の民が、今まで見たこともないような武器の力によって、フランス軍は、マムルーク軍に勝利した。
フランス軍は首都カイロに入城、カイロのパシャ(オスマン帝国の地方長官)は、マムルークと共に、逃亡した。
砂漠に逃げ込んだマムルーク達は、再び、その力を蓄えつつあった。彼らは、オアシスの村々を襲い、馬や武器を徴収した。
中でも、イブラヒム・ベイと、ムラド・ベイの力が強大だった。
8月。ボナパルトは、ギザに駐屯していたドゼ師団に、ムラド・ベイ討伐を命じた。
3日後には、師団は出発した。ナイル河を、船で、上流に向かう。
ファユームのオアシスで、ムラド・ベイを見かけたという、現地人の情報が入った。途中で船を降り、湿地帯を腰まで泥水に浸かって進んだ。しかし、いつも、今一歩のところで、ムラド・ベイに逃げられてしまった。ムラド・ベイにしてみれば、自分の軍を、充分に整えないうちに、西欧から来た敵と、戦いたくなかったのだ。
ドゼ師団にとっては、慌てて逃げたマムルーク達が残した大量の小麦を手に入れたことが、収穫といえば、収穫だった。
ドゼは、再び、ナイル河へ戻ることにした。ナイルを遡り、ユセフ運河の入り口を目指す。そこから小舟を乗り入れ、再び、ファユーム方面へ向かった。
ユセフ運河は、アメンホテプ3世時代に端を発する、古い運河だ。当然、整備されておらず、曲がりくねって、水位は低い。ボートは、座礁してばかりいた。結局、兵士たちは、水の中を、ロープを掴んで移動する羽目になった。
兵士たちは、かつてないほど、消耗していた。それを見越したマムルーク兵の小団が、何度か襲ってきた。いずれも、小競り合い程度で、彼らは散っていった。
ドゼは、ムラド・ベイの本隊に追いつこうと躍起になった。
そんな必要などなかったのだ。ムラド・ベイは、村々からの略奪により、態勢を整え終わっていた。
マムルークの大隊が、フランス軍を待っていた。
小高い丘を背景にした、ここ、セディマンで。
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※ピラミッドの戦い
エジプトでは「Embabehの戦い」と呼ばれています。
ナポレオンにはどうも、文学的? な名前をつけたがる傾向があり、資料を読んでいると名称が入り混じっていて大変混乱します。
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