唖の鴉

@pu8

第1話 嚆矢濫觴


 この世には、数え切れない程の神様がいて……

 例えば、日本だけでもヤオヨロズ。

 八百万?いえいえ、実数で言えばそれこそ無数に存在する。


 さて、ここにいる神は名もなき山の神。

 山に住む動物達の信仰により生まれた神様だ。

 

 今日も山の神を囲んで、動物達が何やら会話をしているご様子。


「見てみて、ハンドスピナーGETした」

「すげぇ! ホンモノじゃん!」

「回して回して!」


 狸達が楽しげに玩具に興じる。

 しかしまぁ、人間の世界と比べると一世代遅れている感じは否めない。


「あれ、上手く回せないなぁ……神様、出来る?」

【いや、狸の手じゃ無理じゃね?】


 狸達が自分の手を見つめ絶望しているその隣では、とある猿のカップルが神様の下へやってきた。


「神様、僕達なかなか子宝に恵まれないんです……いったい何が原因なんですか!?」

【君達♂同士だからね】


 正論も時には凶器となる。

 猿のカップルは悲嘆に暮れ、茂みの奥で互いを求め始めた。


 そんないつもと変わらぬ山の日常。

 神の前に、一羽のカラスが現れた。


【キミはどうしたんだい?】


「…………」


 物言わぬカラス。

 それもその筈、このカラス──


「神様駄目だよ。そいつ喋れないんだから」

唖の鴉おし  からすじゃん。まだ生きてたのか」


 険しい自然界で意思疎通出来ぬ動物は、淘汰されゆく運命。

 一緒にいれば群れにも危害が及ぶ可能性のあるこのカラスは “唖の鴉おし  からす” と呼ばれ、山では除け者になっていた。


【へぇ……でも用があるからここに来たんでしょ?】


「……」


 物言わぬ……物言わぬからこそ、唖の鴉は瞳で語る。

 それは、このカラスがとれる唯一のコミュニケーションツール。


 誰も彼も聞いてくれなかった。

 見向きもしなかった。


 耳でなくとも聞こえる声、喋れなくても話せる言葉。


 カラスは神に語る。


【……面白い。その願い、叶えてあげるよ】


 神のその言葉に、周囲の動物たちはカラスの近くへと集まり始める。

 この山で神が願いを叶える……その行為とは、百年に一度あるかどうか。

 厄災でも起きぬ限りは、起こり得ぬ出来事。


「神様、いったい何をするの!?」

【この子を人間にするのさ】


 その言葉に、森がざわめいた。

 動物を人間にする……

 それは、神が許しても人間社会が許さない出来事。

 

「だ、だって神様さ、ケンコーホケンが無いから病気になったら詰むんでしょ?」

「コセキってのも、俺ら動物には無いんだろ?」

「女はフーゾク、男はハングレになるんだろ!?」


【まぁまぁ、落ち着いて。確かに、君達動物が急に人間になっても普通は生きていけないよね。彼等には彼等のルールがあって……君達には君達のルールがある。それに、まず第一に言葉が通じないし】


 それ見たことかと、動物たちは騒ぎ出す。

 過去に何匹もの動物が、人間になりたいと願い出た。

 他所の山では、実際に人間になった動物もいたらしいが……

 先程動物たちが話した通り、病院にも行けず、住む場所さえ確保出来ず、挙げ句は反社会的勢力に取り込まれ、最後は臓器を売り飛ばされ散っていったそうだ。


 それ以来、そんな馬鹿げた事を言う動物は居なくなった。


【でもまぁ……椅子が一つ空いているんだよ。ヤマイタチ、キミは人間に詳しいんだろ?】

「……人間の世界を旅歩いてこの山に来たから、詳しい方だとは思うけど」


 真っ白な身体をくねらせて、嫌嫌前に出るヤマイタチ。

 この山では一匹しかいない、彼女もまた孤独な動物である。


【狸、キミの持っている本を見せてくれ】

「へいへい、色んなネーちゃんが揃ってるぜ」


 狸秘蔵のコレクション。

 それは拾い集めた人間の写真集(洋物が多い)


【さて、ヤマイタチにはこの中から数人を選んでもらおう。人間世界で可愛いと言われる者を教えてくれ】

「えぇ……っていうか肌の色違くね?」


 それはヤマイタチが見てきた人間とは大分かけ離れた見た目であった。

 しかし、ヤマイタチには人間の可愛いというポイントを理解していた。


 目が大きい、肌が綺麗、顔が小さい、歯並びが良い等など……


【ふーん、人間の良し悪しは理解出来ないけど、取り敢えずこの選んだ写真でやってみようか。さて、もう元には戻れないよ? 覚悟は……出来てるね】


 カラスの瞳はどこまでも真っ直ぐに、神を見つめていた。

 神が一息つくと、辺りの空気は一変する。


【嚆矢濫觴、御子神咲耶の名を継ぐ人と成れ】


 眩い光と共に、カラスの姿は見る見る変わっていく。

 長い手足にくびれた身体。強調された胸に小さな顔。

 長いまつ毛、美しく艶のある長い髪。

 大きな瞳、小さくスラリと整った鼻。

 黒い髪、黒い瞳はカラスであった証。


 その姿に、動物たちはざわついた。


「おい、俺の見たことある人間と違うぞ……?」

「これ人間か?」

「失敗じゃね?」

「神様も落ちたな」


【ヤマイタチィ……本当に合ってんだろうナァ?】

「あ、合ってるよ! 私もこんなに可愛い人間は見たこと無いけど……」

 

 騒ぐ動物たちをよそに、当のカラスは楽しげに歩き回っている。

 落ちている布切れを身体に巻き付け、さも人間のような振る舞いをし始めた。


【そうか服か……それっ!】


 神の一振りで、カラスの布切れは真新しいモノへと変化していく。

 それは、人間の世界では制服と呼ばれている。

 その服を、カラスは知っていた。

 知っていたからこそ喜びに満ち溢れ、くるくると踊り始める。


 そんなカラスに皆が夢中な最中、ヤマイタチは神に尋ねる。


「神様、あの服は何?」

【餞別さ。では、これより唖の鴉とヤマイタチは山を下りる】


「ぷぇっ!!? なんで私も!!?」

【実はこれには深ーい訳があってね……そうだね、言うなれば……この地の命運がかっていると言うか……そう、それこそ地球規模の── 】


「で、本当は?」

【面白そうだし。行ってこーい!! ヒメガミに宜しく言っといてね!!】


 神とは理不尽な存在である。

 気がつけば山の麓まで飛ばされたカラスとヤマイタチ。

 北颪が、二匹の背中を後押ししていた。


「えー……っていうか、ヒメガミって誰……?」


 ◇  ◇  ◇  ◇


 二匹が飛ばされた後の森では、動物たちが大騒ぎである。

 皆の疑問、一匹の兎が神に尋ねた。


「ねぇ神様、どうして唖の鴉を人間にしたの?」


【うーん……話せば長くなるよ?】


 神のその言葉に、動物たちは頷いた。

 木漏れ日が降り注ぐ森の中、長い長い話が始まる。


【唖の鴉は、今日も寂しく人間の巣を徘徊していた……そんな、いつもと変わらぬ一日。さて、人間の世界では食べ物が所狭しと並ぶパン屋なる場所が存在する。偶々開いた扉……得も言われぬ匂いが漂うその中で、唖の鴉は一番大きな獲物を狩った。人間に追われながらも逃げ切った唖の鴉は、二日ぶりの食事にありついた……筈だった。なんと! 大きな獲物は唖の鴉の口に刺さったまま抜けないではないか!! フランスパンなるその獲物、一際硬いその獲物、噛めども噛めどもびくともしない!! なんとも間抜けで滑稽な唖の鴉の目の前に、一匹の人間が現れた。帰る場所も無く、頼る者も無く、唖の鴉は観念し、死を受け入れた……そこで初めて、唖の鴉は優しさを知る。刺さったフランスパンを抜き、細かく千切って目の前に並べる人間。目と目が合い、唖の鴉は心の中で “ありがとう” と呟いた。さて、問題はここからだ。なんとその人間、去り際にこう言い放ったのだ。 “どういたしまして” さぁ! ここで── 】


「長っ……」

「まだ終わんないの?」

「歳取ると話が長くなるんだよなぁ……」

「無駄に盛り上げようとしてるよね」

「さぁ!! さぁ!!www」

「今北産業」


「さぁ!」

「さぁ!」

「さぁ!」


「「wwww」」


 一世代前のネットスラングを駆使する動物たち。

 皆は笑い転げ、神は怒り心頭である。


 ◇  ◇  ◇  ◇


 さて、人間の世界では唖の鴉とヤマイタチが例のパン屋に来ていた。

 人間はよく疲れ、よく腹を空かす。

 

「うわぁ……いい匂い……でもお金持ってないでしょ?」


 ヤマイタチの言葉に、頭からクエッションマークを出すカラス。

 動物界には無い概念、ヤマイタチはそれを理解していた。


「人間はお金ってヤツと引き換えに獲物を得ることが出来るの。だから私達もまずはお金を入手しないと……」


 そうは言っても腹の虫は鳴きやまない。

 只々、物欲しそうにフランスパンを見つめるカラス。


 それを横目に、フランスパンを手に取る人間が一人。

 肩に浸かる茶色の髪の毛、唖の鴉に負けず劣らずのスタイル。

 そして、同じ学生服。


 どこから見ても美人だが、近寄り難い雰囲気なのは所謂ヤンキーと言われる風貌だからだろうか。


 その人間は、冗談交じりに笑いながらカラスに尋ねた。


「アンタ、もしかしてお金持ってないの?」


 神から授かりし肉体が、強く鼓動する。

 この現象が何なのか……

 しかし今はそんな事よりも──


「ふふっ、そんなにお腹の音鳴らしてたら買わなきゃじゃん?」


 二度目のフランスパン、二度目の出会い。

 唖の鴉、初めての人生が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る