邯鄲の夢 胡蝶の詩

中田もな

こちょう

私を軽蔑しますか?

大漠をたゆたう、この私を


「『けいべつ』って、何?」

「馬鹿にするってことさ」

 シジンはそう言うと、うーんと大きく伸びをする。そのままボクの横に座って、ざらついた紙を取り出した。

「せっかくだから、思い浮かんだ詩を書いておこう」

「ふーん」

 シジンは羽のついたペンを取りだすと、「私を軽蔑しますか?」と書いた。ボクはシジンの手つきを見ながら、どこまでも続く砂の山を眺めた。


 ここはモンゴルにあるゴビ砂漠。ボクの仕事は、観光客をフタコブラクダの上に乗せること。長いながい道の上を、ゆっくりゆっくり歩く仕事。

「なぁ、ノヨン。おまえ、ウサギは好きか?」

「うん」

 ボクは草原のウサギを思い出しながら、小さく「うん」とうなずいた。シジンは「よっしゃ」とつぶやいて、「私の友人 兎好き」と書いた。

「……ヘンな詩」

「いいの、いいの。詩ってのは、大体こんなもんだ」

 シジンは勝手に満足すると、最後に「親愛なる邯鄲へ 君の胡蝶より」と書いた。「こちょう」というのが、シジンの名前らしい……。


「いやぁ、災難だった。俺はウランバートルから、モンゴル縦貫鉄道に乗ったんだよ。分かるだろ? 砂漠を走る、長い鉄道だよ」

 ……初めてシジンに会ったとき、彼はボロボロの服を着て、今にも倒れそうだった。ボクはシジンを観光用の「ゲル」に連れて行って、そこで話を聞いてあげた。

「んでさ、その中で、ちょっとしたゴタゴタがあって。気づけば俺は、ぽーんと列車の窓から放り出されて、砂漠の中を歩いてたってわけ」

 ボクの兄ちゃんは、シジンのことを「無賃乗車」だと言った。そうじゃなきゃ、列車を降ろされることはないって。

「というわけで、お願いがあるんだが……。少しの間、家に泊めてくれないか?」

 シジンはボクに頼み込んで、ボクの家に泊まりたがった。だからボクは、「面白い話を聞かせてくれるならいいよ」と言った。シジンも観光客のように、面白い話を聞かせてくれそうだったから。

「本当か!? いやぁ、助かる!! 面白い話なら、いくらでも聞かせてやるからな!!」


 ……それからボクは、シジンと一緒に仕事をして、色々な話を聞かせてもらった。シジンは中国で生まれてから、西に東に、あちこち旅をしているらしい。今日は砂漠の向こう側にある、「にほん」という国について話してくれた。

「この先に、『日本国』って国があるんだが、この砂漠の砂は、その国まで飛んでいくんだぜ」

 ボクはじっと目を凝らして、遠くにあるはずの国を見つめた。ずっと続くゴビ砂漠の、さらにその先まで。

「……国なんて、どこにもないけど」

「分かってないなぁ。こういうのは、『心の目』で見るんだよ」

 シジンはそう言うと、オンボロのリュックを地面に下ろして、緑色のボトルを取り出した。お酒が入っていたらしい、空っぽのボトル。

「これは『日本酒』って言ってな、日本で有名なお酒なんだ。これが中々美味くてな……。いやぁ、ノヨンにも飲ませたかったなぁ」

「へぇー」

 シジンはボトルのフタを開けると、さっき書いた詩の紙を入れた。「よし! ボトルメールの完成!」……らしい。

「ノヨン、おまえに頼みがある」

「何?」

「このボトルを、『邯鄲』に渡してほしい。……残念ながら、俺は彼には会えないんだ」

 ひらひらひら、と舞う蝶が、シジンのリュックの上に止まる。ボクは緑のボトルを受け取って、ラクダの首にくくりつけた。

「任せたぞ、ウサギの好きな、俺の友人」

 シジンはそう言うと、太陽のようにまぶしく笑った。いつの間にか、きれいな蝶々の数は増えて、シジンの顔の周りを飛び回っていた。

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